(23) 総督
きっかけは、とある大貴族令嬢のひと言だったという。
「おほほほほ。ワタクシ、こちらに来るのは久しぶりでしたけれども感心致しましたわ。王都にいらっしゃる皆様はよくもまあ我慢できますこと。アレを見て、アレを見られて、恥ずかしくはないものなのかしら?」
それは王都城門前の景観のこと。
王道のすぐ両側に広がる貧民たちの、ゴチャゴチャとした屋台や長屋や干した洗濯物や。
そういう庶民の生活感が、貧しさが、他国からやって来る賓客にどう見られてしまうのか。
それを放置しておいては、これから即位する新王の権威を貶めはしないだろうか。
ひいてはこの国の国格を貶めはしないだろうか。
そこでこの問題は元老院の定例会で取り上げられることとなった。
まずは法務官僚の答弁である。
「住民たちは城外市と呼称しておりますが、居住する土地の所有権を持っているわけではありません。該当する一帯は全て国有地であり、その法的な裁量権は、そこを治める国任総督が持つからです」
「しかしその総督殿は……」
「はい。ですので現在国任総督の持つ裁量権は、事実上この元老院へと委託されております」
かくして。
元老院は緊急立法として「王道至近の国有地不法占拠物の強請撤去に関する行政執行命令」を満場一致で可決した。
具体的には、民間の解体業者を派遣して、王道から建屋数軒分の幅にあるすべての建造物を打ち壊すというものである。
城外市の住民には事前の布告さえもなかった。
朝、大きな木槌や鳶口を持った解体業者の一団が城門からやってきて、街道沿いにある住宅や店舗をいきなり打ち壊しはじめたのだ。
「やめてくれ、俺の店を壊さないでくれ!」
「この家を壊されたら、アタシは今日からどこで寝たらいいんだい!」
「なぜだ、なぜこんな酷いことをするんだ!」
一方、木槌を持つ労働者たちの顔は一様に暗かった。
労働者自身もまたこの城外市に暮らす住民であるからだ。
城外市の住民が、同じ城外市の住民の暮らす家や店舗を壊していく。
それでも手を抜くことは許されないのだ。
仕事の手を抜けば翌日から職を失ってしまうからだ。
彼らもまた、生活が掛かっているのだ。
「やめろッ、俺の家を壊すんじゃねぇ!」
住民のひとりが、ついに労働者に殴り掛かった。
「不届き者め、取り押さえろ!」
殴り掛かった住民は、解体作業を見守っていた王都衛兵隊によって逆に殴打されて即座に拘束された。
「ここは国有地である! よって国有地を不法に占拠する建造物は撤去する! いいか、これは国法に則った行政執行である! よってこれを妨害する者は国法に背く犯罪者として処罰する!」
しかもこの騒動は、一ヵ所には留まらなかった。
王都の四つの城門を起点に、王道沿いに建てられていた家屋が軒並み壊されていったのだ。
これで住む家を失った被害者の総数は、恐らくは城外市全体で二千人を超えるものと思われた。
一方、報告を受けたガタナーの決断は早かった。
商会の全従業員を集めると、こう宣言したのだ。
「ガタナー商会はこれより、今回家を失った方たちを全力で支援する!」
従業員たちが息を飲んだ。
さすがにガタナーの決定に声を上げて反対する者はいなかった。
しかし皆、とても悔しそうな顔だった。
歯を食い縛り、泣いている者さえいた。
「どれだけ金が掛かろうとも、ガタナー商会は被害者を全力で支援する! 今回の件で飢えて死ぬ者、凍えて死ぬ者など、ひとりとして出しはしない!」
住む家を失った、二千人を超える被害者への全面支援である。
それに果たしてどれ程の費用が掛かるのか。
それをなぜガタナー商会が担わねばならないのか。
支援に商会の資金を投入すれば、これまで従業員たちが寝る間も惜しんで練り上げた事業の拡張計画を、全て破棄しなければならないのに。
このガタナーは、全く利益の生まない救済事業のために、商会の血液である資金をつぎ込むつもりなのだ。
ここにいる若い従業員たちのほとんどは、かつてガタナーに雇われたことのある孤児たちである。
ガタナーの下積み時代を、その労苦を誰よりも分かっている者ばかりである。
だからこそ悔しかった。
ガタナー商会の雄飛に費やすべき血の資金が、赤の他人を救うために無為に流されていくことが悔しかったのだ。
「ナイマン、被害状況を調べて纏めてくれ。まずは被害者全ての名簿を作成、それと行政執行の背景も知りたい」
「ニックス、各地区で炊き出しを行う。その手配を。多少余る分には構わないが、けして不足のないように」
「ヌルミス、居住施設を作る手配を。雨風をしのげる程度の簡素な長屋でいいからとにかく大至急。四人家族が暮らせる部屋を各地区に百室ずつ、動ける職人を総動員してそれを五日以内に作らせろ」
「ネイザール、長屋ができるまでの五日間、被害者を一般家庭に民泊させる。宿代はガタナー商会が前払いするので、大至急その告知と募集の手配を」
「ノーラ、被害者を集めて炊き出しと宿泊所への誘導を。病人や怪我人がいれば救護院への手配も頼む」
「とにかく大至急、金は幾ら掛かっても構わん。急いでくれ!」
「はいッ」
ガタナーの指示を受けて、それぞれのリーダーとグループが飛び出して行った。
後に残ったのは商会長のガタナーと、その秘書役の少年と、モヒカン頭のチンピラであった。
◇◆◇◆◇
「テツヤ君、各地区の親分に全面支援を要請する。手紙を書くので、配達を……、頼む……」
そのガタナーさんの声が震えていって。
「くそッ、トランキーロ様に託された大事なお金なのに! こんなところで、こんなところで!」
ギリギリと歯ぎしりをして嗚咽したのだ。
事業の拡張計画を全て水に流し、誰よりも悔しかったのはこのガタナーさんであったのだ。
「分かっているのに、こんなことは商人として間違っているのは分かっているのに! ああ、私は商人としてまるで失格なのだ! それが分かっているのに! 分かっているのに!」
まるで血を吐くようにガタナーさんは叫び、血を流すようにガタナーさんは涙を溢したのだった。
「この国で一番の、この世界で一番の商人となれ。あの方はそう言って私に資金を託してくれたというのに! ああ、なぜ私はこんな間違ったことを……。私はトランキーロ様の期待を裏切ってしまった……」
「それは違います!」
俺より先に、声を上げたのは竜兵だった。
「ガタナーさんの判断は、けして間違っていないと思います!」
「リューへー君……」
「たしかに普通の商人ならば、こんなときに大切な資金を赤の他人の救済につぎ込んだりなどしません。だけどトランキーロ様が選んだのはそういう普通の商人ではありません。トランキーロ様が見込んで資金を託したのは普通の商人ではなくて、まさにガタナーさん、今のあなたではないですか」
「リューへー君……、トランキーロ様は……、この私に失望しないだろうか?」
「失望どころかこれを知れば、さすがは自分の見込んだ商人と喜んでくれるはずです。ねえ兄様」
「うん、間違いなく喜ぶな。きっと今頃は、自分の目に狂いはなかったと喜んでニヤついていると思う」
「テツヤ君……。そうか、ありがとう」
ガタナーさんが顔を上げて少しだけ笑った。
「テツヤ君のその笑顔を見てたらね、なんだか本当にトランキーロ様が喜んでくれている気がしてきたよ」
「手紙、渡してきますね。四組織全てに、ガタナー商会への全面協力を命じてきます」
「はははテツヤ君、トランキーロ様じゃあるまいし、あの親分さんたちに命令や指示なんてできないよ。我々はあくまでお願いする立場だからね」
「おっといけねえ、そうでした。口の聞き方に気をつけないとボスたちに殺されちまう」
「ははは、親分さんたちにはくれぐれもよろしくと」
「はいッ。では、行ってきますッ」
そして。
俺は四地区を回り、四人のボスに今回の騒動とガタナーさんの決断を伝えた。
そしてガタナー商会の支援活動に対して、組を挙げて全面協力することを命じた。
それで夜になってガタナー商会に戻ってきたのだが、対策本部であるこのオフィスにはまるで戦場のように怒号が飛び交っていた。
とにかく食料が、労働者が、土地が、建材が、そして時間と資金が足りなかった。
緊急を要する救援活動であるがゆえに足元を見られて、売り手が値を吊り上げているのだ。
「適正額の五割増までは容認する! しかしそれ以上は資金が持たない……」
「ガタナーさん、それ以上の値をつける者をリストアップしてください。そこに組織の者を行かせて説得させますので!」
「おおお、テツヤ君、親分さんたちに協力を取り付けてもらったのか!」
「はい。トランキーロファミリーの四組織は、これよりガタナーさんの指揮下に入るそうです」
うおおおおッ、と商会全体がどよめいた。
組織の人間が出向いて「説得」してくれるなら、不当な高値で私腹を肥やす者などキレイサッパリいなくなるに違いない。
「手段としてけして誉められたことではない。しかしこれで」
「ああ、これでいけるぞ!」
「資金もギリギリだが足りる!」
「ウチの担当地区のリストだ、これを組織に持って行って!」
「あの口入れ屋をもう一度説得しに行くぞ! 今度は組織の人を連れてな!」
「あの土地の立ち退きもお願いして来て! お金はちゃんと払うから、あまり乱暴なことはしないようにって!」
戦場の怒号がオクターブを上げたけれども、若い従業員たちの目は輝いていた。
これで救える、これでガタナーさんの希望を果たせるとばかりに輝いていた。
「ガタナーさん、お茶を淹れました。それとこれ、屋台で買ってきたオデンですけど」
「ありがとう、テツヤ君。君のお陰でなんとかなりそうだ。これでなんとか人死にだけは防げそうだ」
「お礼なら俺でなく協力を約束してくれた親分たちに……」
「ありがとう、テツヤ君、本当にありがとう」
「あー、もういいですからッ。俺は単に言われた仕事をしているだけですし!」
どうしてこの人はすぐに赤くビカビカ点滅するんだろうね……。
「竜兵、おまえも食え。そして少し休め」
「ああ、リューへー君にも助けてもらったよ。いやあこの子はすごいね! まったく驚いたよ、これほど優秀だったとは!」
竜兵はやや疲れた様子ながらも、ペンを持つその手を止めなかった。
デスクに積み上がっている書類をテキパキと裁いているのだ。
ガタナーさんの元へやってくる膨大な量の報告書や決裁書。
竜兵はその全てに目を通し、種類ごとに整理した上で優先度の高い順にガタナーさんに手渡していく。
ときに要点や問題点を纏めたメモまで添付し、指揮官であるガタナーさんの負担をギリギリまで減らす役割を見事に果たしていたのだ。
「それでは少しだけ休憩をとらせてもらいます」
くそう、竜兵のくせになんかデキる男のオーラを出してやがるし!
なんかイライラしてきたぞぅ!
「それにしても腹が立つなぁ! 人の住んでる家をいきなりぶち壊すとか、アタマがおかしいのかよ! 責任者は出てこいッてんだ!」
「しかしテツヤ君、我々にはどうすることもできないんだよ。なにしろ城外市の土地は法的には全て国有地なんだ。今我々のいるこの商会にしても、土地の正式な裁量権は国に任命された総督様が持っているんだからね」
「だからってこんな横暴が許されていいワケないですよ! どこのお貴族様か知らないけど、そんなクソ総督なんて取っ捕まえて裸にひんむいて、ケツにアーヘンの花束をぶっ刺してやる! そんでもって泥亀の群の中に放り込んでやる!」
「うゎ……。兄様なら本当にやりそうで怖いです」
「おうッ、絶対にやってやるともさ!」
「あの兄様、どうか手荒なことは程々に……」
「会長、ガタナー会長!」
「おおナイマンか、どうだ分かったのか?」
そこに飛び込んできたのは各方面の情報を集めていたナイマンさんだった。
「はい会長、現在この城外市を治めている国任総督様がようやく判明しました!」
「そうか、それでその国任総督様に、我々の嘆願書をお渡しする伝はありそうか?」
「それは無理です、できません。たとえどの商会に声を掛けたとしても伝など絶対に得られません」
「なんと、それほど高位の貴族様なのか」
「貴族様ではないのです!」
ナイマンさんが叫んだ。
「現在、王国からこの地の総督に任命されているお方は、王族なのです!」
「なんと、王族だと!」
「はい。現在この城外市の総督様は、国任総督様の名は……」
「いったいどこのどいつだッ、その悪者はぁ!」
「オータニウス様です。王国第二王子、オータニウス様なのです!」
「ええええーッ!」
「うぬぬぬぬ、そうかぁ、その悪者はぁ、オータニウスって奴なのかぁ……」
「兄様、兄様ぁッ、どうか落ち着いて、どうか冷静に、アーヘンの花束とか、そういう手荒なことはどうか、どうかぁーッ!」




