(21) 上納金
夕刻。
この日の仕事を終えた子供たちが孤児院へと帰る時間。
皆疲れてはいるものの、その表情はどれも明るかった。
稼ぎの大半は食費として院長へ渡さねばならないが、それで温かい食事をお腹一杯に食べることができるのだ。
真面目に働けば、自由にできるお金で自分だけの新しい毛布や、自分だけの服だって買えるのだ。
なにしろガタナーが王都に商会を作ってから仕事が途切れないようになった。
給金だって上げてくれた。
しかもガタナーは、商会の従業員として孤児院出身の若者たちを何人も雇ってくれたのだ。
彼ら彼女はそこで働きながら、読み書きや算盤まで学ばせてもらっているという。
ここにいる子供たちも、そのほとんどが将来ガタナー商会で働くことを希望しているくらいである。
それなのに。
ガタナーの誘いを断った者がいるという。
あのガタナーが最初に声を掛けてくれたにも関わらず、それを断り裏社会の組織に入った恩知らずがいるという。
「あッ」
キョロキョロしていた最年少の女の子が何かを見つけて。
「あ、リューヘー君だ」
別の女の子も声を漏らした。
優しくて品があって整った顔の少年は、こちらに気づくとコッソリ手を振ってくれた。
年長の女の子たちは皆、顔を赤くして手を振り返した。
なにしろこの町では有名な「王子サマ」である。
できることなら、今すぐ近くまで走って行きたかった。
なのに。
「おうおうおうおう、またてめえらか!」
王子サマの隣にはいつもアイツがいるのだ。
あの王子サマとはまるで釣り合いのとれない嫌われ者が、モヒカン頭のチンピラがいるのだ。
「どいつもこいつも小せえなあ、ちゃんと飯食ってんのかぁ?」
「ち、テツだ」
「またアイツだ、泥亀だ」
「相手にするな、行こうぜ」
「あ、ちょっと待ってよ」
男の子たちが足を速めるが、女の子たちはそうもいかない。
王子サマへの未練があるのだ。
「おうおう、おまえらも早く帰った方がいいんじゃねえのかぁ? 晩飯を食いそびれたら、そのおっぱいも永遠に小さいままだぞぉ?」
「うゎ、サイテー。アイツ、サイテー……」
「ねえ、私たちも行きましょう……」
「そんなことないもん!」
飛びだして、あちらに走っていく者がいた。
「大人になったら、すっごく大きいおっぱいになるんだから!」
「お、おう……」
すぐ目の前まで来て真っ赤な顔で抗議する子に、チンピラはややたじろいでいる様子だった。
「テツなんて、下品で乱暴で意地悪で、大嫌いよ!」
「そ、そうか……」
チンピラが困った顔で、年長の女の子たちを見る。
「いーい? テツのことなんて、大嫌いなんだから!」
「う、うん……」
「ホントにホントに、大ッ嫌いなんだから!」
最年少のその子は仲間たちに連れ戻されてからも、何度も何度も振り返っては叫ぶのだ。
「ポポラマは、テツのことなんて大嫌いなんだからぁ!」
別の日。
「おうリューヘー、それとテツ……。親分が喉が渇いたそうだ。二階に行ってお茶を淹れて差し上げろ」
「はいカシラ、分りました」
「ういっス、二階にお茶ですね、喜んで!」
この組織の長、サダナーの居室と執務室のある二階。
その階段を上がっていくふたりの新入りを、胃を押さえながら見送るのはこの組織のナンバーツー、ダンディ口髭のカツォーリである。
「なあなあアニキ、あの新入りは何かワケ有りなのかい?」
「ん、ああオメエは退院してきたばかりで知らなかったか。実はな、ここだけの話……」
◇◆◇◆◇
「あー、親分。最近どうも組内でおかしな噂が立っているようなんですが。俺の隠し子がどうしたとか……」
「んん?」
「まあそれはいいです。呼び立ててすみません、話というのは……」
上納金の話であった。
上納金を俺に手渡すため、西のローヒム、北のシブー、東の二代目イビールがここにやって来るらしい。
正直、そんな用事で一家の長がワザワザ出向いて来ることはないと思う。
けれどもサダナーはヤレヤレと首を振るのだ。
「連中だって、たまには親分に会いたいんですよ」
それと用件はもうひとつ。
「ガタナーをなんとかできませんかね?」
そう。俺の天敵、善人商人のガタナーさん。
このサダナーの実の兄だが、兄弟仲は長らく疎遠であったという。
悪事に手を染めたサダナーが引け目を感じて、マジメな兄を避けていたからである。
しかもサダナーはそのうちに裏社会で出世して、立場を得てしまったのである。
なにしろ、とかく人から恨みを買いがちなこの稼業である。
自分の身内であることが知られれば、ガタナーの身にも危害が及ぶ恐れがあった。
それでガタナーが実兄であることは周囲に隠していたんだとか。
まあ結局、それを抗争相手の先代イビールに嗅ぎ付けられて、ガタナーさんは襲われてしまったワケなんだけど。
そのガタナーさん。
王都に自分の商会を立ち上げて今が一番忙しい時期であるはずなのに、この事務所にはチョクチョクやって来るのよ。
それでサダナーに長々とお説教。
さすがにサダナーの更正は手遅れと諦めてくれたようだけど、その代わりに俺の事。
俺のことを組から足抜けさせろって。
更正するのにまだ手後れじゃないとか言い張って……。
「俺、従業員のお誘いはちゃんと断ったのになぁ」
「親分すみません。ガタナーときたら昔から人の話を聞かない奴でして」
「人の話を聞かないのに、それを俺にどうしろって言うのさ」
「人の話は聞かなくても、魔王様の話なら聞くかもしれませんので」
うへえ。
俺、ガタナーさんとはあまり顔を会わせたくないんだよねぇ。
なにしろあの人ときたらすぐに赤く光るし。
この前ポポラマの赤いのを消して以来、背中スッキリの嫌われ者ライフを堪能しているのにさ。
そんでもって数日後。
ウチの組は厳重な警備態勢。
そこに護衛を引き連れて、各地区の裏社会の大物たちがやってきた。
西地区のローヒム。
北地区のシブー。
東地区の二代目イビール。
それで護衛たちが入口を固めたここの二階の執務室。
只今室内にいるのは、各地区のトップ四人だけ。
そこに。
「どうもー。カツォーリさんに言われてお茶をお持ちしましたー」
俺と竜兵が参加して。
俺はそのまま上座について、胸をコンコン。
「やあ、お待たせ」
「御無沙汰しておりやした、親分!」
トゲトゲ黒鎧の俺に四人が平伏した。
「じゃあサダナー、入ってもらって」
「はい」
室内に更にもう一人が参加して、そこから各地区の簡単な収支報告。
そして差し出された大きなカバンが四つ。
「あの、トランキーロ様……。私はなぜここに呼ばれたのでしょうか?」
イカツイお兄さんたちに二重三重に囲まれたこの事務所、この執務室。
その室内には四人のボスとトゲトゲ黒鎧とお茶汲みの竜兵。
そりゃまあ居心地悪いよね?
「ああガタナーよ。おまえには頼みたいことがあったのだ」
「ははッ。何なりとお申し付けくださいッ」
「うむ。ではこれを持っていけ」
「え?」
「親分、それはッ!」
固まったのはガタナーだけではなかった。
四人のボスたちも驚いている。
うん。高木さんの手も借りていないのに、結構なマヌケ面だね。
「ガタナーよ、このカネをすべて持っていけ。そしてこれをおまえの裁量で自由に使え」
「むむ、無理ですッ! そのようなこと、私にはできませんッ!」
「むろんその遣い道には一切口は出さん。たとえおまえがそれで王都に豪邸を建てようが、たとえ何人の愛人を囲おうが遣い道はおまえの自由だ」
「できません! どうかお許しを、私にはできません!」
「怖いのか?」
「……」
「たしかにきれいな仕事で集めたカネじゃない。このカネは裏社会のカネだ。大勢の汗や涙や血を流して作った汚れたカネだ。その汚れたカネに触れることが怖いか、ガタナーよ」
「……」
「ガタナーよ、これはたしかに汚れたカネだ。だがその遣い方によっては、もしかしたら流れた汗や涙や血よりもっとたくさんの笑顔を作れるかもしれないぞ?」
「トランキーロ様……」
「親分……」
ガタナーさんも四人のボスたちも、ようやく俺の意図に気づいた様子だった。
俺が成り行きでこの四人を子分にしたとき。
そのときから漠然と考えていたのだ。
彼らからの上納金など、そっくり託してしまうべきだと。
それを最大限に活かしてくれる、有能な善人に託してしまうべきだと。
「なぜですか……」
ガタナーさんが絞り出すように。
「なぜ……、トランキーロ様、なぜ私なのですか……? 私など吹けば飛ぶような零細商会の、一介の商人です。なのに、なぜ私なのですか!」
「おまえだからだ! それができるのは、おまえしかいないからだ!」
「トランキーロ様……」
「この汚れたカネを使い、より多くの笑顔を作れるのは、この世界におまえしかいないからだ」
「ああ、ああ……」
「吹けば飛ぶような零細商会にそれができぬというならば、おまえは王都で一番の商人となるがいい」
「そんなこと私には……」
「今回だけではない。おまえには以後毎月この汚れたカネを渡してやる。必要ならばこの四人の手も好きなだけ借りるがいい。それでもできぬと言うか、ガタナーよ!」
「私は、私は……」
「ガタナーよ、おまえはこの国で、この世界で一番の商人となれ!」
「はい……」
「大勢の汗と涙と血で汚れたこのカネを使って、その百倍もの笑顔を作ってみせろ!」
「はい……」
「できるか、ガタナー!」
「はい、トランキーロ様。それが私に与えられた使命とあらば……」
ギュッと歯を食い縛り顔を上げたガタナーさん。
「必ずや、やり遂げて見せましょう」
ここにいる裏社会の大物よりも、さらに気迫に満ちたその顔は。
「このガタナー、命に代えても必ず!」
さすがはサダナーの兄というべき顔だった。
◇◆◇◆◇
「いやあ面白えものが見れたな!」
裏社会の大物たち。
その会合があっけないほどの短時間で終わって、晴れやかな顔で階下に降りてくる。
「ああ、さすがは俺たちの親分だ!」
「まったく器がデカすぎて、もう何がなんだか分からねえよ!」
「面白え、面白えなぁ!」
「え、マジかよ、魔王様が来ていたのかよ……」
大物たちの会話に身を震わせたのはサダナー一家の下っ端、ラットであった。
「こうしちゃられねえ!」
ラットは階段を駆け上がると執務室に飛び込んだ。
「誰も……、いねえ……」
「あれ、ラット先輩。ここの片付けならもう終りましたよ?」
「おうテツ、てめえここで魔王様は見たか?」
「いいえ、自分らはお茶を出してから別室にいましたので」
「ち、使えねえ野郎だなッ」
「そりゃ酷いスよ、先輩」
「おいラット、てめえ持ち場を離れて勝手に入って来るんじゃねえぞ」
「あ、カツォーリのカシラ。あの、カシラはトランキーロの大親分には会いましたか?」
「そりゃ、まあな……」
「マジすか! いいなぁ、くそう、俺も魔王様に会いてえ!」
「あー、ラット、止めとけ……。会ったら驚いて腰を抜かすから……」
「それほどですか! くそう、いつか、いつかは俺も魔王様に……」
「ラット先輩、あんまり期待しすぎると実際に会ったときガッカリしますよ?」
「うるせぇテツ、てめえは黙ってろッ! この役立たずめッ、ウスノロのボンクラ野郎め!」
「酷え、酷いっスよぉ、先輩」
「ラット、おまえは絶対に、絶対に会わない方がいいからッ。いろいろと後悔するからッ。痛てッ、痛てててて……」