(11) 赤色
宿屋の一室。
日も沈んで空が暗くなった頃。
この赤いカルマをどうにかできないものかと、只今、俺たちはいろいろと実験中である。
実験台はもちろん赤く光った竜兵である。
まず最初に。
「文字なんて知らないままでいいから、おまえは余計なことをするな」と拒絶してみた。
結果。竜兵の赤い光は弱くならなかった。
どうやら人から貰った恩恵は、そっくり突き返しても無効にはならないらしい。
むしろ、竜兵が泣きそうになって赤い光が強くなってしまった。
ふむ。精神的に傷つけても攻撃認定されて、カルマ収支の赤字が増えるのか。
では竜兵に俺のことを攻撃させてみたらどうだろう?
俺は高木さんに魔法剣を借りて、
「よし竜兵、それで俺を斬ってみろ」
結果。竜兵がとうとう泣いてしまい、実験は一時中断。
しかもこれも精神的苦痛にカウントされたようで、竜兵の赤い光はますます強くなってしまった。
「兄様に剣を向けるとか、ボクにできるわけないじゃないですかぁ! あと何ですか、この神話に出てきそうな剣はぁ!」
何って、えーとたしかダンジョンの八十階層くらいで拾ったやつだったかな。
言うとまたうるさいから言わんけど。
次に。
同じ紙を買ってきて、竜兵にくれてやった。
結果。竜兵の赤い光に変化はナシ。
紙の量を倍に増やしても変化はナシ。
赤カルマの収支計算は、プレゼントの金額には比例しないらしい。
紙を貰った竜兵も微妙な顔をしているし。
これはあれだ。もっと竜兵のためになるというか、竜兵が喜ぶようなことをしないとダメなのかも。
「なあ竜兵、おまえ俺に何をされたらうれしい?」
「ボクは兄様に文字を教えたいです……」
こいつはアホか。
それでは俺の赤字が、俺の背中のモゾモゾがまた増えてしまうではないか。
「あの、いけませんか?」
「く、毎日少しずつ頼む……」
ウルウルの目に負けてつい承諾してしまったのだが、
「あれ? 赤いのが少し弱くなったぞ」
これはどういうことだ?
うーん、俺に字を教えることが竜兵にとっての恩恵なのか……。
ああそうか。やっぱ兄が文盲だと世間体が悪いものね。
そうかなるほどね。俺に恩恵があることでも、同時に竜兵にも恩恵があれば赤カルマは増えないってことか。
「よし、なんか分かってきたぞ。でかした、竜兵」
ご褒美に頭をガシガシと撫でてやった。
「ちょ、兄様、やめてくださいよ」
あれ? 竜兵の赤いのがちょっとずつ弱くなってるじゃん。
おまえ、もしかしてこんなのが嬉しいのか?
そうと分かれば!
「よーしよし、竜兵、よーしよし」
「ちょ、兄様、離してッ、離してください!」
逃げようとする竜兵を押さえ込んでガシガシ、ガシガシ。
おおお、赤字が減っていく、減っていく。
ならば!
「ちょっと兄様ッ!」
両腕でガシッと竜兵を抱き締めて。
「ありがとう竜兵、ありがとうな」
スキンシップを強化してみた。
「ボクは……、ボクは……」
「竜兵、ありがとう」
「ボクは兄様にいつも助けてもらってばかりで……、ボクは兄様に文字を教えることくらいしかしてあげられなくて……」
「はあ? おまえなに馬鹿なこと言ってんだ?」
「え」
「俺の方が多く助けてもらってるから、現にこうしてカルマの収支が赤字になってるんだろ?」
「だってボク、兄様のことを助けたことなんか……」
「助けてもらってるさ。おまえがいなきゃ俺はひとりぼっちだ」
「兄様……」
「こんな右も左も知らない町で、もし俺ひとりだったら今頃どんなに心細かったことか。想像しただけでもゾッとするわ」
「ぐす……」
「そりゃ高木さんは一緒にいるけどさ、高木さんは俺の相棒だ。家族とはちょっと違う。俺の家族は竜兵、おまえだけなんだぞ」
「ぐす、ぐす……」
「おまえには帰る場所がある。おまえのことを殺そうとした酷い奴らだけど、それでもお城には本当の兄ちゃんがいて、父ちゃんもいる。でも俺には本当の本当に帰る場所がないんだぜ? 分かるか、俺にはおまえだけなんだよ。俺の家族は竜兵、おまえだけなんだよ」
「うえーん!」
「だから竜兵、おまえは俺の赤字をこれ以上増やしてくれるな。いいか、分かったか」
「うえーん!」
俺にハグされたまま、竜兵が大泣きしてしまった。
ああ、竜兵にまた精神的ダメージを与えてしまった。これで俺の赤字もまた増えてしまったな。
そう思ってふと見ると。
「うおおお、マジか!」
「ぐす、兄様……?」
竜兵の赤い光がスッキリきれいに消えていたのだ。
なんだろう、竜兵、なんか嬉しいことでもあったのか?
そうか、これはもしや!
「分かったぞ!」
「ぐす、兄様……?」
「謎は解けた。赤いカルマを消す方法が分かったんだ! ようし竜兵、今から出掛けるぞ」
日は沈んだけれど、まだ寝るまでに時間はあるし。
とりあえずは飯屋のおばちゃんにリベンジしなくては!
「ぐす、タカギさん、また兄様がおかしなことを考えてます」
「ボン、若旦那がこうなったらもう」
「うん。でも兄様が暴走したら、それを止めるのはきっとボクの役割りなんだ」
「そりゃあ随分と損な役割りでございやすね」
「うん。でもしかたないよ。ボクは兄様の弟だから」
「若旦那は果報者だ。こんなにできた弟を持って」
「ありがとう、タカギさん、ありがとう……」
◇◆◇◆◇
「竜兵、こっちだ。おばちゃんはこっちにいる」
飯屋の女主人は店の裏口の、暗がりの中にいるらしかった。
竜兵の兄は暗がりの中でも夜目が利くし、たとえ物陰でも、たとえ遠くからでも女主人の「カルマの光」が見えるという。
「なんだありゃ? おばちゃんがチンピラみたいな奴に金を渡しているぞ」
「チンピラ、ですか」
「ああ。典型的なチンピラ。雑魚っぽいのにすげえ偉そうにしててさ。あ、こっちに来た」
すると暗がりの中から、ふんふんふーんと鼻歌の若者がやって来た。
「うわぁッと!」
小柄でガラの悪い若者が哲也たちを見て大袈裟に驚いてから。
「て、てめえら、なんだ、こらぁ、カチコミか、こらぁ!」
たった今驚いたのを誤魔化すように怒鳴りたてた。
「どうも今晩は」
哲也と竜兵がこれにペコリと頭を下げると。
「ち、カタギかよ」
と露骨に安堵の表情になってから。
「へ、おめえら運がよかったな。カタギじゃなかったら、今頃この俺に血祭りにされてたところだぜ?」
そして肩をユサユサと偉そうな歩き方で去って行った。
「すげえな、あいつ。絵に描いたようなチンピラだった」
「おばさん、今の人にお金を渡していたんですか?」
「ああ。あれはきっとおばちゃんのヒモだな」
「え」
「おまえにはまだ分からないと思うが、大人になるといろいろとあるんだよ。カラダの疼きを持て余した熟女とか、親子ほどにも年の離れたチンピラとのただれた関係とか、亭主にバラされたくなかったら金をよこせとか、いろいろとな」
「……」
うんうんと訳知り顔の哲也に対し「それは絶対に違うから」とは言えない竜兵であった。
この兄にそれを言っても無駄なことなら知っている。
それを知っているくらいには竜兵は大人なのだ。
「あら、いらっしゃい」
「おばちゃん、定食ふたつ」
「あいよ。大盛ふたつだね」
「いや、俺のは普通盛にして。どうも最近太ってきてさ」
「あら、全然そうは見えないけどねぇ」
「まあいいから」
「じゃあボクも普通で……」
「こいつのは大盛で頼むよ。なにせ育ち盛りだからね」
「あいよ」
「ちょっと兄様!」
「いいか竜兵、たとえ相手が不倫中のおばちゃんでも、人の好意は素直に受けとれ。俺はカルマの収支的に無理だけどな」
「ボクだってこんなにたくさん食べられませんよぅ」
「ふう、食った、食った」
「兄様、食べるの早ッ」
「そうだ。ねえ、おばちゃん」
「ん、なんだい?」
「いつも、ありがとう」
「ちょ、アンタ、何をッ!」
「に……」
竜兵は驚いて声も出なかった。
大盛の定食と格闘していてすっかり油断もしていた。
哲也が、いかにも何かをしでかしそうだった哲也が、突然女主人に抱きついたのだ。
「おばちゃん、いつもありがとう」
「離して、ちょっと、アンタ、離してッ!」
「うん。分かってる。ちゃんと分かってる。離して離しては離すなってことだよな」
「兄様、それは!」
竜兵は言えなかった。
この兄は何かとんでもない勘違いをしているのだ。
いくつも、いくつも、勘違いをしているのだ。
「おばちゃん、いつもあり……」
「この、いい加減におしッ!」
とうとうドンッと哲也を押しのけて、
「こう見えてアタシはダンナ一筋なんだ。いやらしいことを考えてるなら帰っておくれッ!」
カンカンに怒った女主人によって、二人は有無も言わさず店を追い出されてしまったのだ。
「あれぇ?」
「兄様……」
「ちゃんとハグしたのに、赤いのが減ってなかったぞ」
「兄様……」
「ていうかちょっと増えてたぞ」
「兄様……」
「おかしいなぁ。なあ竜兵、なんかおかしいよなぁ?」
「おかしいのは……」
「ん?」
「おかしいのは、兄様のアタマですからッ!」




