第一章 月形事変(一)
雪が融けてなくなり、桜の季節の向かう頃。十八歳となる神宮寺誠は黒のスーツ姿で車の後部座席で憂鬱な時間を過ごしていた。憂鬱な原因は粛清の仕事にあった。
神宮寺の横には三十三歳になるスーツの男がいる。男は七三分けの髪を綺麗に整えて、黒縁の眼鏡を掛けている。男の名は竜胆義弘。辺境魔法学校粛清官室の副長であり、神宮寺の年上の部下に当たる。
二階建て六戸が入居するアパートの前で車が止まる。
「神宮寺室長、第二班、第三班、配置に就きました」
(憂鬱、憂鬱と思っていても、仕事はなくならい。嫌な仕事ならさっさと済ませてしまおう)
粛清は気が引ける。粛清対象者が善人でない点が救いだった。粛清対象の芽室夫妻は、すでに同じダレイネザル系の魔導師を四人も殺している。
芽室夫妻が何人殺しているかは、神宮寺にとって大きな問題ではなかった。
仕事だから、始末する。辺境魔法学校でうまくやっていくために殺す。力を手に入れても上に行けないのであれば無意味だ。
(もし、これが、親、兄弟、友人等の知っている人間だったら)
ふと、そんな考えが頭を過ぎる。
辺境魔法学校に入学して授業で亡くなった、小清水さんの愛くるしい顔が浮かぶ。
(おそらく、俺には殺せないだろうな)
自分の意志ではなかったにせよ、蒼井さんを殺した記憶が蘇る。辛い記憶だ。前言を思い直す。
(俺は殺せるのかもしれない。俺はもう随分と辺境魔法学校に馴染んでしまった。人を殺す仕事くらい、なんともない。そう、昔は昔。今は今だ)
竜胆にも迷いが見えたのか、職務執行できるのか不安げな顔を向けていた。
他の粛清官に迷いを見せたくなかった。弱さは辺境魔法学校ではマイナスに働く。
「俺が行って片付けてくるよ。第二班、第三班には『サポートをよろしく頼む』と伝えてください。サポート組にはできるだけ負担が掛からないように立ち回ってみせます」
竜胆が躊躇いがちに意見する。
「室長が自ら粛清に乗り出さなくても、よろしいのでは?」
(嫌な仕事だからといって、他人任せにはできない。この後も、辺境魔法学校にいるのならば、俺は何十人、何百人と人を殺していかねばならない。今日も乗り越えらないと、明日は来ない)
竜胆を横目にちらりと見る。
(俺にとっては実質、これが初仕事。初仕事で失敗しないように気を廻しているのかもしれないな。でも、俺はお客さんじゃない。この粛清官室を、魔法先生より預けられた室長だ。それに、実績を作っておかないと後が怖い)
「こんな若輩者のする仕事は不安ですか? 不安なのはわかります。でも、ここは任せてください」
(そう、これは辺境魔法学校でやっていくための通過儀礼の一つに過ぎない)
竜胆が一回り以上も若い神宮に恐縮する。
「不安だなんて、滅相もない。ただ、前任の常世田室長はこのような場合は、まず車両で指揮を執るのが常でしたもので」
(前任は有能だったから、印象が残っているのかもしれない。だが、俺が来た以上は俺の色の染まった部屋にしないと、だめだ。ここは俺の牙城だ)
「前任は前任。俺は俺です。俺が室長になった以上。俺のやりかたに他の皆に合わせてもらいます。これは、決定です。従ってください」
竜胆が「わかりました」と、深々と頷く。
「それに、粛清官室の最大戦力である俺が前面に立ったほうが早く終わる。ターゲットを逃して被害を拡大させたくない」
(敵は殺す。味方は生かす。芽室夫妻は敵だ)
神宮寺はただの魔導師ではない。ダレイネザル系魔導師の中で十人しかいないウトナピシュテヌと呼ばれる高位魔導師である。戦力は並みの魔導師の比ではない。
粛清の中身は神宮寺に任されていた。神宮寺は芽室夫妻に情けを懸けるつもりは一切なかった。
(殺す者は殺される覚悟があって当然とは言わないが、同属に手を掛けた芽室夫妻はやりすぎた。組織には組織の規律がある。そのために俺のような人間が飼われている)
神宮寺は体内にある魔力の篭った黄金の心臓に働き掛ける。黄金の心臓の鼓動により『鋼龍の鎧』の魔法を掛けて、全身を不可視の鎧で覆った。
『鋼龍の鎧』はドラゴン・クラスの防御力を術者に与える魔法。唱えておけば、並たいていの攻撃では傷が付かない。一般的な魔導師には使えない高位呪文だが、神宮寺にお手のものだった。
車から降りる。神宮寺は肩に小さくして乗せている、ダレイネザルの僕であるファフブールを飛ばす。
ファフブールを逃走経路になるであろうリビングの窓の付近に配備した。ファフブールと視覚共有を使っておくので、逃走経路に対象が逃げてもわかる。
「願わくば、芽室夫妻と、亡くなった同胞の魂に安息が訪れることを願って、粛清を行使します」
神宮寺は車を降りた。そのまま、アパートの一階中央の部屋の前に行く。
竜胆も一緒に下り、神宮寺の後ろを従いて来る。
ドアの前で呼び鈴を鳴らして声を上げる。
「辺境魔法学校から来ました。神宮寺です。ここを開けてもらえませんかね」
少々間の抜けた呼び掛けだが、粛清対象に掛ける言葉が他に見つからなかった。
竜胆が舌打ちするのが聞こえた。
(舌打ちするのはわかるけどさ。俺だって粛清に際してなんて言えばいいかなんて、考えてなかったんだよ。今まで、粛清なんてした経験ないからさ)
扉の向こうで大きく魔力が膨らむ気配がした。
(まあ、当然の反応か。泣きつかれて縋れるよりは、いっそ清々(すがすが)しいまでの判断だ)
芽室夫妻が攻撃を選んだ状況に、やはり相手は敵だと安堵する。
竜胆が神宮寺を突き飛ばそうとする。
逆に神宮寺は突き飛ばそうとした竜胆を『押し出し』の魔法で突き放す。
(嬉しいけど、邪魔。俺の心配はしなくていいって、今度から教えなきゃ駄目だな)
竜胆が突き放された瞬間、ドアが吹き飛んだ。猛烈な爆炎が神宮寺を襲った。
『鋼龍の鎧』の効果により、神宮寺は無傷で吹き飛ばされもしない。
「こんなものか」が正直な感想だった。
相手の攻撃に落胆を覚える神宮寺が心にいた。
(この程度の火力なら、室内にファフブールを実体化させて襲わせても倒せたな。竜胆さんが提案していたように、俺が来る必要はなかった)
神宮寺は余裕を込めて発言する。
「酷いですね。ただ、粛清に来ただけなのに、爆炎魔法でお出迎えとは」
神宮寺の言葉に答える者は誰もいない。神宮寺は燃え盛る玄関を潜って、歩いてターゲットの芽室夫妻を追う。
ファフブールの視覚を通して情報が送られてきた。粛清対象である芽室夫婦はリビングの窓を突き破っていた。
すぐに、ファフブールに命じて芽室夫妻を追跡させた。芽室夫妻に対して、待機していた第二班が『鋳造の魔炎』と『精錬の雷』魔法で攻撃を仕掛ける。
芽室夫妻は迫り来る炎の塊を機敏に躱す。雷は妻が魔法で結界を張り防いだ。
(動きは一般人以上だな。連携も上手い。息ぴったりの夫婦だな。魔導師になんかならなければ、それなりに楽しい人生を歩めたのに、残念だ)
物置に夫が飛び込む。物置の壁を突き破って、サイドカー付きの黒の改造バイクが飛び出した。
改造バイクに搭載された自動小銃が第二班に向かって乱射される。思わぬ反撃を受けた第二班は、すぐに物陰に隠れて銃撃を回避する。
(自動小銃付きの改造オートバイか。中々値段が張る装備を隠しているな。でも、普通の銃でどうにかできる存在は、魔導師レベルまでなんだよ)
第二班が崩されたので、芽室夫妻に逃走経路ができた。
神宮寺が外に出たときには、サイドカーに妻が飛び乗って逃走しようとしていた。
(ここで逃げられたら、第二班は責めを免れないか。しょうがない、俺がサポートしてやるか。下の人間のフォローも上の人間の務めだ。それに、事務仕事ではいつもお世話になっている)
神宮寺はファフブールに、逃走経路を塞ぐように命じる。神宮寺の命令を受けたファフブールは、実体化して直径二mの刃物の塊となった。
ファフブールが抜かれるとは考えなかった。ファフブールもまた普通の魔導師にとっては、充分に脅威な存在だ。
逃走経路の先を塞ぐも、バイクの自動小銃がファフブールを捉える。
ファフブールは頑健な体で浴びせられた弾丸を、ことごとく弾いた。
バイクはファフブールに向かって突き進む進路は無謀と悟ったのか、急ターンをする。
(当然、そう来るわな。でも、それだとチェック・メイトなんだよ。俺よりまだファフブールを相手にしたほうが僅かに生存確率が高かったのに)
進行方向に神宮寺しかいない。バイクは迷うことなく急加速をして神宮寺を跳ね飛ばしに来た。
避けようとは考えなかった。避ける必要もなかった。ドラゴンにバイクが衝突したらどうなるか。神宮寺にはよくわかっていた。
バイクと神宮寺が衝突する。『鋼龍の鎧』が掛かった神宮寺に突っ込んだバイクは、逆に弾き飛ばされる。衝撃はそれなりあった。だが、痛みはなかった。
バイクが宙を舞う。夫は投げ出されて地面に落ちる。
妻はバイクごと燃え盛るリビングに突っ込んだ。リビングから絶叫がした。次いでリビングから爆発音がする。
バイクの破片が外に飛び散った。妻の生存は望めなかった。
(これで、まず一人か。俺が辺境魔法学校に来て殺した二人目の人間だ)
一人目は、クラスメイトの蒼井さんだった。蒼井さんの時は殺したあと、風呂に入ったときに、悲しさと悔しさで涙が流れてきた。
だが、二人目には特段、なんの感傷もなかった。
神宮寺の耳から絶叫の声が通り過ぎた。
(人間の断末魔って、いつ聞いても嫌なものだな。俺が上げさせたに等しいんだけど)
地面に投げ出された夫に神宮寺は近づく。夫は体を丸めて蹲っていた。
哀れみを感じたが、助けたいとは思わなかった。
(小清水さんを失った時も、蒼井さんを失った時も、悲しみが胸を貫き、悔しさに涙した。それが、どうだ、目の前の男にはなんの慈悲も感じない。やはり、俺は変ったかのかもしれない)
「大丈夫ですか?」と、神宮寺は、しゃがんで声を掛ける。
「助けて」と命乞いをされたらどうしよう、とかは考えなかった。
夫も呪い屋だ。他人の慈悲に縋って生き延びられるとは考えていないだろう。そう、俺たちのいる世界は、そんな冷たい世界だ。
夫が手を神宮寺に差し出した。手には手榴弾が握られていた。
神宮寺の前で芽室の夫はピンを抜いた。夫は自棄になったのか、笑い顔を浮かべていた。
(この人も、すでに心が壊れているんだな。無駄な足掻きなのに)
ダレイネザル系の魔導師は成長が早い。だが、正気を保ったままでいられる人間は少ない。みんな、どこか心が壊れている。神宮寺にしても違うとはいえない。
手榴弾では『鋼龍の鎧』を纏った神宮寺には傷一つ負わせられない。それは、目や鼓膜とて同じ。神宮寺は黙って夫の最後を見つめる。最後をきちんと見てやるのが供養の一環だと感じていた。
三秒後に爆音が辺りに響いた。
神宮寺に初めての粛清は対象者二人の死亡で幕を閉じた。




