第五章 生存者、勝者、敗残者、それぞれの理由(三)
教室に最後に残った月形さんを呼びに行った。月形さんは読んでいた『魔法学』という本に栞を挟むと、鞄にしまって立ち上がった。
神宮寺は、もう急ぐこともないだろうと思い、月形さんにいくつか聞きたい疑問点を聞いてみようと思った。
「月形さんは、さっき蒼井さんとの会話を聞いてたよね。マジチェフェルは怖くないの」
月形さんは微塵も怖れず、冗談すら語った。
「よく考えれば、怖いわよ。緑衣が半分以上も赤衣になっている服を着た男の子が近くにいて、普通に話し掛けてくるんだもの。街中だったら、警察を呼ぶわ」
「こんな時に冗談は、よしてくれ。蒼井さんも今、死にかけて、手術室の中だよ」
月形さんの眉が少し下がった。
「蒼井さん、生きていたの。蒼井さん、神宮寺君の思いついた作戦に乗らず、絶対に無謀な戦いを挑んで死ぬと思っていたのに。運がいいのね」
「月形さんの予想は、半分まで正解だよ。蒼井さんは、あれほど戦うなって言ったのに、戦いを挑んで、全身に大怪我を負ったよ。生きていられる理由は、小清水さんが『同胞への癒』を使って応急処置をしてくれたからだよ」
月形さんが、小清水さんを哀れむように評した。
「治癒系の魔法は消耗が激しいから、これで小清水さんも、消えたも同然ね。蒼井さんの身代わりとは、馬鹿な行為をしたものね。蒼井さんは、ここで生き延びても、もう、恐怖で学校に来られないわ。蒼井さんは退学権利金を納めていないでしょうから、逃げ出す。そうなれば、わかるわよね?」
逃亡は許されない。生きて魔道師になって出るか死体になって出るか、どちらか一方だ。辺境魔法学校の掟だ。月形さんは蒼井さんを、冷徹に分析するような口調で評価した。
「蒼井さんは、辺境魔法学校に来ていい人じゃなかった。復讐がどうのという話を以前に聞いたけど、蒼井さんの目は、復讐者の目じゃなかった」
月形さんは、復讐のために魔法を求める人間を見た経験があるのだろうか。それとも、月形さん自身が復讐するために、辺境魔法学校に来ているのだろうか。
復讐者の心を知るからこそ、グループを作って神宮寺たちと仲良くやっている蒼井さんを、どこか蔑んでいたのかもしれない。
「蒼井さん、嫌いだったのか?」
「別に、嫌いじゃないわ。蒼井さんは、単なる人間。幸せな人間。幸せな人間は、幸せな人間として、日常の中で終るべきだったのよ。もっとも、普通に生きていても、神宮寺君のような身勝手な人に、恨んだりされはするけどね」
神宮寺は、心の中を読まれたと、反発心もあった。とはいえ、身勝手に人を恨む人間と評されたのには、納得がいかなかった。
神宮寺は言うことを聞かなかった蒼井さんを恨んではいたが、本心を偽り、否定した。
「俺は、蒼井さんが作戦に乗らなくて腹は立ったけど、恨んじゃいないさ」
「神宮寺君は、名案だと思い込んだ作戦を考えて押し付けて失敗した。次に小清水さんを失えば、きっと、ああ、あの時、俺の意見を聞いていればと悔やむ。悔やんだ後に、蒼井さんを恨むのよ。人間って、そうできているのよ」
月形さんの予想は当っていると思った。それだけに腹立たしく、何か言い返したかった。
「じゃあ、俺が身勝手って、どういう意味だよ。月形さんの言う通りだとしたら、恨むのは、当たり前だろう」
月形さんは、数学の解き方を説明するように、理論的に述べた。
「第一に重要なのは、人の性格なのよ。攻撃魔法を選択した人は、攻撃的発想でマジチェフェルを乗り越える方法を組み立てなければいけなかったのよ。性格と適性を無視した作戦では、うまくいくはずがない。なのに、神宮寺君は、蒼井さんの性格を無視して作戦を押し付けたから、身勝手と評したのよ。間違っている?」
「月形さんだって、戦いを挑もうとした蒼井さんに言っただろう? 私が蒼井さんだったら、そうはしない、って」
月形さんは自然体で、余裕を漂わせながらも、返答した。
「でも、神宮寺君の作戦が正しいとは、言わなかったわ。蒼井さんにも、手を貸してくれって直接には頼まれなかったしね。お節介焼きは、性格じゃないのよ。私は、これでも、自分のマジチェフェルで、手いっぱいなのよ」
月形さんの言い分には腹が立った。でも、言い合いをしている時間的余裕は、ない。
「月形さんの意見はわかったよ。会場に移動しよう」
「そうね。あまり魔法先生を待たせるのは悪いわね。お喋りは、ここまでにしましょう」
月形さんは最後に付け加えた。
「それと、私のことは、嫌な女だと思ってくれて結構だけど、蒼井さんの失敗は責めないでね。蒼井さんと初めて話した時の記憶を覚えている? 最初に会った時の蒼井さんが、本当の蒼井さん。今の蒼井さんは、もう違う魔道書に心を喰われて、周りが見えなくなり始めた蒼井さんなのよ」
《接近遭遇の間》の間に向かう途中に、神宮寺は聞いた。
「一つ、教えてくれないか。登校日の初日は制服だった。次の日からは、私服になった。なのに、またなんで、今日は制服なんか着るんだ」
「念のためよ。高校を卒業しても高校の制服を着るのは恥ずかしいけど、東京魔法高校の制服は、ただの服とは違うのよ。魔術に関しての備えでいえば、普通の服と鎖帷子くらい防御力が違うといえばいいかしらね。武器なら持ち込み禁止って言われても、男の先生なら、服を脱げとはいいづらいでしょう。もっとも、インナーや下着にも呪符を書き込んでいるから、最悪、生まれたままの姿でマジチェフェルってのも、あるかもしれないけど」
マジチェフェルに備えて、嘉納は武器を持ち込み、月形さんは防具を持ち込んだ。
二人とも、習得した魔法だけに頼る真似はしなかった。成功する人間と、失敗する人間では、やはり何かが違うのだろうか?
《接近遭遇の間》の間に行くと、小清水さんはパイプ椅子に腰掛けていたが、息が荒かった。『同胞への癒』は、やはり負担が大きいのかもしれない。
部屋に入ると、剣持が蒼井さんの時と同じように、詰問調で聞いてきた。
「蒼井を搬送して、月形を呼びに行ったにしては、随分と時間が掛かったな」
神宮寺より先に、月形さんが悪びれことなく嘘を吐いた。
「待ち時間が長かったので、神宮寺君が呼びに来た時は、トイレに行っていました」
剣持は何かを言おうとしたが、再び先に魔法先生が口を開いた。
「そうですか。生理現象なら、しかたありませんね。さっそく始めましょう」
月形さんが『異界の気配』『ダレイネザルの言語』を掛けてから、円柱状空間に入った。
月形さんは東京魔法高校の制服は魔術的には鎖帷子と言っていたが、果たしてタングステンの棍を切断する攻撃を防ぐだけの魔法的威力を持っているのだろうか。
神宮寺も『異界の気配』を唱えて、見守った。
ガラス扉の鍵が掛かる音がして、マジチェフェルが始まった。
(俺と月形さんが選択した魔法は同じ。月形さんが三つ目を習得していないなら、どう切り抜けるのだろう)
月形さんは堂々と歩いて、黄色い円の五十㎝手前まで近付いた。
神宮寺は、円の近くで大怪我を負った二番の生徒のマジチェフェルを思い出した。
月形さんもやられると思った。ところが、二分が経過しても何も起きなかった。
三分が経過しても、どちらも動かない。四分後。月形さんがそっと右手を差し出して、ゆっくり戻すと、ガラス扉の鍵が開く音がした。
魔法先生は嘉納の時と同じように宣言した。
「終了です。優をあげましょう。指先の傷は医務室で処置してもらいなさい。処置が終ったら、帰っていいですよ」
指先の傷と先生は言ったが、傷は小さいものなのか全く神宮寺からはわからなかった。
ただ、月形さんは人差指をそっと親指で撫ぜていた。
指先を怪我したのはいい。それより月形さんの時には、どうして何も起きなかったのか。