第四章 飛べない雛は岸壁に打ちつけられ死ぬ(五)
神宮寺が戻ると、小清水さんが、汚れた緑衣のまま、パイプ椅子に呆然と腰掛けていた。
ガラス円柱状の中では他の生徒の試験が始まっておらず、作業員たちがクリーナーで血を掃除していた。
小清水さんの許に駆けていった。小清水さんは、神宮寺に顔を合わせることなく、小刻みに震え、青い唇から小さく言葉を漏らした。
「四谷くんと、越村さんが、死んじゃったよ」
神宮寺は、できるだけ怖がらせないようにと心掛けながら、小清水さんに尋ねた。
「何が起きたの? どんな風に、四谷と越村さんが殺されたの」
神宮寺の「殺された」という言葉に、小清水さんが敏感に反応した。小清水さんは、耳を塞いで下を向き、外界からの情報をシャットアウトしようとしていた。
詳しい状況は、すぐに聞けそうになかった。
部屋を見ると、他の作業員が四人、いなくなっている。死んだ人間二人を別の反対側の出口から運んでいったのだろう。
剣持が魔法先生に真剣な口調で、進言する声が聞こえた。
「まずい状況になりましたね。ファフブールの気が立っている。ここはいったん、月形を投入して、成功の流れを作って、ファフブールを鎮めましょうか? このままでは、想定以上に死人が出る可能性があります」
魔法先生はいつもと同じ柔和な笑顔を崩さずに答えた。
「死人は多く出るでしょうが、別に構わないでしょう。こういう展開も、たまには面白いじゃないですか。それに、今期、確保したい魔道師三名は、どうにか見通しがつきそうなので、月形さんの投入は、まだ早いでしょう。もう少し様子を見ましょう」
すでに短時間の内に二人も死人が出たのに「面白い」や「様子を見ましょう」だと、「あんたは狂っている」と、言ってやりたかった。
でも、魔法先生に面と向かって抗議はできなかった。魔法先生の機嫌を損ねれば、順番を飛ばされて、次は神宮寺自身が投入されるかもしれない。
投入されれば終わりだ。神宮寺は保身を優先させ、抗議できない自身が情けなかった。
魔法先生が神宮寺を顧みることなく、命じた。
「日直さん、五番を呼んできてください」
学籍番号五番、嘉納の番が来た。神宮寺は嘉納を呼びに、クラスに行った。
クラスでは不安を隠さない生徒たちの気配が漂っていた。
無理もない。マジチェフェルに出て、誰も戻ってきていないのだ。
神宮寺はここで、血の付着した緑衣を交換してくればよかったと思ったが、もう遅い。
他の生徒が、実習室でただならぬ事態が起きているのを想像するのは、難しくない。
神宮寺が嘉納の名を呼ぶと、嘉納は長めの竹刀袋を提げて、神宮寺に従いてきた。
マジチェフェルの内容について話すか、迷った。結局、神宮寺は魔法先生に小さな反逆をする決意をした。エレベーター・ホールで試験の内容について嘉納に話そうとした。
「聞いてくれ、嘉納――」
嘉納が手で神宮寺の言葉を制し、真剣な表情で注意した。
「お前は日直として、魔法先生の側で、マジチェフェルとやらの中身を見ているんやろう。剣持は、内容は言えない言うとったんやぞ。いいんか、内容をわいにバラして? あとで魔法先生に罰を受けさせられるかもしれんぞ」
(そうだ。剣持は最初に「詳しくは言えない」と断っていた)
嘉納に神宮寺が見てきた光景を話せば、マジチェフェルで不正を働いたと見なされるかもしれない。だが、何も知らない二番は大怪我して、三番と四番は死んでいる。黙って嘉納を送り出していいのか?
神宮寺の答は出ていた。
「いいから、聞いてくれ。マジチェフェルはガラスの円柱状空間の中に入れられて、ファフブールと呼ばれる、見えない怪物と戦わされるみたいなんだ。他の受験生が、見えない刃で切られたり、見えない小さな凶器で傷を負わされる光景を見た。ボーッとしていたら、殺される。防御に使える魔法は、円柱状の空間に入る前に掛けておけ。中に入ってから唱えていたら、間に合わないかもしれない。嘉納には死んでほしくないんだ」
神宮寺のやった行為は、試験問題の漏洩に等しいかもしれない。
ただ、予め内容を知らされているのならともかく、いきなり怪物に襲わせるなんて、公平じゃない。これでは、まるで殺人試験だ。
エレベーターがやってきて、《接近遭遇の間》の扉の前にやって来た。
嘉納は扉を開ける前に、小声で礼とも忠告ともとれる言葉を話した。
「ありがとうな、神宮寺。でもな、そないな優しいやつは、ここでは利用されるで」
「利用というなら、俺が嘉納を利用しているとも言えるよ。嘉納が成功してくれれば、俺の突破口が見えるかもしれない。辺境魔法学校に馴れ合いはない。でも、きっと生徒同士で共同戦線を張るのは、ありなんだよ」




