第四章 飛べない雛は岸壁に打ちつけられ死ぬ(二)
神宮寺は背後から近付いてくる、魔法を帯びた気配に気が付いた。振り向くと、剣持が立っていた。
「剣持先生もお散歩ですか。今日は陽がいいですからね」
剣持は、少し不機嫌に返してきた。
「散歩なんて柄じゃない。今日は俺が見回り当番なんだ。生徒全員の魔法習得状況を見て回ったり、覚えたての魔法で施設を壊していないか、巡回している。教えるほうは教えるほうで、苦労があるんだ。それにしても、俺が後ろから近付いて来るのがよくわかったな」
「一つだけ、『異界の気配』を覚えたんです。そのおかげです」
剣持は何気なく神宮寺の持っている魔道書を見て、感想を述べた。
「『異界の気配』の他には『ダレイネザルの言語』を選んだのか? また、渋いのを選んだな。そいつは、『異界の気配』とは別物だから、大変だな」
〝『異界の気配』とは別物〟だって。神宮寺は剣持の言葉を聞いて間違いに気が付いた。
魔道書は生物だと、月形さんは言っていた。だったら、魔道書毎にも性格があるのではないか。
『異界の気配』は子犬を可愛がるように下手に出るのが正解だったが、もし『ダレイネザルの言語』が猛獣のような奴だとしたら、赤ちゃん言葉や捧げ物は、却って付け上がらせるだけではないのか。
「剣持先生。ひょっとして、こいつは、性格が悪い奴で、ガツンとやらなきゃわからない魔道書なんですか」
「魔道書に性格があるって、誰かに聞いたのか?」
剣持の顔が少し厳しくなった。剣持の言葉は、魔道書に性格がある事実を認めている。だとしたら、性格反対の推理も合っているのかもしれない。
月形さんから教えてもらった事実を素直に言っていいのだろうか。剣持の表情からすれば、月形さんにとっては、プラスにならないかもしれない。
(だったら、水天宮先生と剣持のせいにしてやり過ごそう)
「水天宮先生が何げなく、気難しいのを借りたな、と、たまたま呟いたのを聞いたから、あれ、本に気難しいとか、あるのかなーって、心の中で引っかかっていたんです。そこで今、剣持先生の『異界の気配』とは別物発言を聞いて、気が付いたんです」
剣持は「そうか」と授業の時と同じように、あっさり言って場を立ち去った。
剣持が水天宮先生の呟きを咎められるとは思えない。それにと水天宮先生が「難しいのを借りたな」と呟いたのは、事実だ。
(俺は水天宮先生の呟き「難しいのを借りたな」を「気難しいのを借りたな」と聞き違えただけ、としておけば、問題ないだろう)
神宮寺はさっそく魔道書を持ち帰り、一ページ、一ページを睨みつけるように見て「教えろ」「教えろ」と念じた。
夕食も摂らず、風呂にも入らず、ひたすら檻に入った猛獣を従わせるべく、頑張った。
魔道書に意思があるのなら『ダレイネザルの言語』は甚だ頑固だったというべき相手だった。『異界の気配』の時と違い、一向に語り掛けてこなかった。
深夜の一時を回り、日が変わったところで、やっと魔道書のほうが折れた。魔道書から、魔法先生が話していた言語が、歌のように聞こえてきた。
神宮寺は忘れないように、すぐに暗唱を繰り返して覚えた。
覚えたところで、空腹を感じた。食事の前に神宮寺は洗面所で手を洗って、手を清めた。
手こずらされた魔道書だが、魔法を教えてくれた書物に変わりがないので『異界の気配』の魔道書と一緒に綺麗なバスタオルで包んで、机の上に感謝の念を送って置いた。
食堂は閉まっているので、買い置きのカップ麺を持って、談話室に移動した。
談話室の給茶機には、確か、お湯だけ出る機能もあった。
深夜の談話室で一人カップ面を啜りながら充実感に浸った。形はどうあれ、魔法を二つ身に着けた。魔道師の世界に足を踏み入れたと思った。
日曜に日が変わったばかりの深夜は、静かだった。いつもなら、人の気配がするのが普通だ。魔法を使えない者は苦労し、使えるようになった者は使いすぎて寝たのだろうか。




