第三章 親鳥は歌い、雛たちは騒ぎ出す(一)
神宮寺は午前の授業が終ると、ウルリミン寮に戻って昼食を食べる前に医務室に寄った。
医務室で蒼井さんが静かに寝息を立てて眠っていたので、安心した。
午後の授業には出られないかもしれないが、無事ならいい。
神宮寺は医務室から出ようとすると、パイプを咥え、椅子に腰掛ける水天宮先生と目が合った。パイプから水蒸気のような煙のような物が立ち昇っていた。
タバコの臭いがしないので、パイプ型の電子タバコの一種か、あるいは別の何かの液体を気化させて吸引しているのだろう。水天宮先生は目を細めて忠告した。
「二十二番が気になるのか、十五番君。だったら、あまり深入りしないほうがいいよ。二十二番はきっとダメだよ」
「どこか体が悪いんですか」
「ラプサッドを飲んだ時点で、医学的には健康な人間は一人もいない。二十二番には、肉体的、メンタル的、魔術的な素質はない。もっとも、肉体、メンタル、魔術的素質、どれも、ここでは意味がないものだけどね。二十二番の決定的な欠点は、ダレイネザルに愛されていない状況だよ。辺境魔法学校では、ダレイネザルに愛されない事態が一番の悲劇だ」
ダレイネザルは辺境魔法学校で信奉する神様のような物だ、魔術に一番重要なのは、才能でも努力でもなく、神様の愛というなら、人間には何もできないのだろうか。
神宮寺はここに来て、根本的な疑問を聞いた。
「ダレイネザルって漠然と新しく魔法と一緒にやってきた神様のような存在だと思っていましたが、いったいなんですか」
「無理に訳すれば、ダレイネの意味は王冠を与えるもの。ザルの意味は不死なる存在の統治者、と私は解釈している。不死者に王冠を授与し統治する者、といったところかな。詳しく知りたければ、剣持にでも聞いてほしいわ。それより、昼食はちゃんと摂っておいてほしいところだね。十五番が倒れたら、十六番が一人で対処しなければならなくなる。私の兵隊は、貸さないよ」
神宮寺は一礼して昼食を摂りに戻った。朝食の時を思い出し、座れない事態も想定した。
でも、座れない事態にはならなかった。授業を聞くだけで食欲がなくなる人間が何人か存在した証だ。
食堂から出るときに、嘉納と小清水さんが入ってきた。二人は神宮寺に挨拶したが、生憎と三人が一緒に座れる席が残ってなかったので、挨拶を返して自室に戻った。
なんだか、ばたばたした授業だったせいか、少し眠くなった。神宮寺は携帯のアラームを目覚まし代わりにセットして、三十分だけ眠った。
休んだと思ったら、三十分がすぐに経っていたので、教室に向かった。
午後は何人が倒れるかわからないが、ストレッチャーに乗せて搬送させる作業を、小清水さん一人にやらせるわけにはいかない。
午後の授業には、午前中に倒れたまま、復帰できない者が四名ほどいた。復帰できない四名の中には、蒼井さんも入っていた。
授業は午前と全く同じ。先生が異界に言葉で話し続け、液晶画面に時折、絵や図が映し出される。理解不能だ。
失神者は午後は二人だけで、吉村という太めの男性が一人目、次が小清水さんだった。
小清水さんは軽かったので、どうにか一人でストレッチャーに乗せられたが、先に吉村が倒れていたら、大変だっただろう。
終業のベルが終わり、授業は終了になった。
授業が終ったので、剣持のところに報告に行って、緑衣も回収用ボックスに入れた。
魔法先生は授業が終わってどこかに行ったらしく、職員室には剣持しかいなかった。
日直は教室の清掃もするのかと思ったが、最後の清掃は専門の人がやるので今日はもう帰っていいといわれ、封筒を渡された。中にはバイト料の二万円が入っていた。
バイト料をいきなり渡されたので、ちょっと驚きだ。
「日直のバイトって、日払いなんですね」
剣持がどこか冷めた口調で教えた。
「あのな、日直者といっても、生徒だぞ。明日には死ぬかもしれない人間の給与を、週末や月末に纏めて払うほど学校は、お粗末なところではないぞ。帰りに医務室に寄って、小清水が起きているのを確認して、起きていたら、今日のバイト料を受け取るように、ここに寄るように伝えてくれ」
医務室に行くと水天宮先生の姿はなく、看護婦が二人、不自然な笑顔を浮かべて、部屋の隅にロボットのように立っていた。小清水さんが一人、ベッドに横たわっていた。
神宮寺は看護婦からメモ紙を貰うと、起きたら剣持のところに行くようにとメッセージを残し、小清水さんが起きたら渡してくれるように看護婦に頼んで、医務室を後にした。