海辺の少女の帰郷と、悪徳社長の餞別
社交シーズンが終わった翌朝。王都の南門には、海辺の村へ向かう乗合馬車が停まっていた。
「本当に、あっという間でした」
小さな旅行鞄を抱えたクロエが、名残惜しそうに王都の街並みを見上げる。
「当たり前よ。あんたが休む暇もなく働いたからね」
愛結は腕を組み、いつものように尊大に言い放った。
「カタログ配り、注文受付、令嬢どもの無駄話の聞き役。全部ひっくるめて、なかなか役に立ったわ」
「えへへ。社長に褒められると、嬉しいです!」
「褒めてないわよ。業績評価をしてるだけよ」
愛結はそう言いながら、ナイジェルから受け取った封筒をクロエへ突き出した。
「ほら。今回の報酬よ」
「えっ? でも私、お給料は『王都での貴重な経験』だって……」
「結果を出した人間には払うのが、私の主義なの。無給で働かせるのは、最初にやる気を引き出すための方便よ」
封筒の中には、目を疑うほどの金貨と、海辺の村の民宿へ届ける品物の注文書が入っていた。
「こ、こんなに……!? それに、これは?」
「王都の貴族ども向けの『海辺の特別滞在プラン』よ。あんたの家の民宿を、愛結商店の提携宿にするの。予約の窓口はこっちで持つから、繁忙期には容赦なく客を送り込むわ」
「それ、すごくありがたいですけど……社長、結局うちをまた忙しくするつもりですよね?」
「当然でしょう。客が来れば儲かる。あんたたちも儲かる。私も紹介料をもらえる。誰も損しない完璧な仕組みよ」
「ふぉっふぉっふぉ。大局を見極めた、まことに完璧な計略ですな」
見送りの場にまでついてきたバルガスが、茶筒を抱えたまま頷いた。
「お爺さんは、帰りの馬車代を払ってから口を開きなさい」
愛結に睨まれ、バルガスは咳払いをして視線を逸らす。
「アユ様ああああ! クロエ殿! 海辺に戻られても、鍛錬を怠ってはなりませんぞおおお!!」
ゴードンが南門に響き渡る声で叫ぶ。
「……ん。王都で嫌な男に絡まれたら、手紙を出して。私が処理する」
シャーリーはいつも通り無表情で言った。
「処理って言葉を、もっと穏便な意味で使いなさい!」
クロエは、にぎやかな面々を見回してから、最後にナイジェルの前でぺこりと頭を下げた。
「ナイジェルさんも、本当にお世話になりました。社長のこと、これからもよろしくお願いします」
「はい。……クロエさんも、お元気で」
ナイジェルは、いつもの疲れた顔に穏やかな微笑みを浮かべた。
その直後、彼はさりげなく愛結の背後を確認した。クライス公爵の刺客が潜んでいないか、まだ警戒しているらしい。
「大丈夫よ。お父様はもう帰ったでしょう」
「『次は確実に首を刎ねる』と仰っていましたが」
「……あれは挨拶みたいなものよ」
「貴族の挨拶が物騒すぎませんか?」
クロエは思わず吹き出した。
「やっぱり、お二人は仲がいいですね」
「よくないわよ!」
「先生、それは否定が早すぎます」
愛結が真っ赤になって怒鳴ると、クロエは楽しそうに笑いながら馬車へ乗り込んだ。
「社長! また王都に遊びに来ます! 次はちゃんと、お給料の出るお仕事をくださいね!」
「成果次第よ! 次までに、民宿の帳簿を読めるようにしておきなさい!」
馬車がゆっくりと走り出す。窓から大きく手を振るクロエに、愛結はそっぽを向きながら片手だけを上げた。
姿が見えなくなってから、愛結は小さく呟く。
「……あの子が来ると、うるさいけど悪くなかったわね」
「ええ。先生が、少しだけ楽しそうでした」
「聞こえないふりをしなさい、ナイジェル」
愛結は足早に商会へ向かう。その耳が、朝日に照らされてほんのり赤くなっていることを、ナイジェルは何も言わずに見守っていた。




