クロエの直球質問と大爆発
舞踏会の翌日。愛結商店の社長室。
昨夜の「恋仲宣言」の噂は、一夜にして王都中に知れ渡っていた。
「……はぁ」
愛結は、社長デスクに突っ伏して深い深いため息をついた。
「どうしたんですか、社長? 新作ドレス、すごい勢いで売れたんですよね!」
無給のアルバイトとして今日も元気に働きに来たクロエが、不思議そうに首を傾げる。
「売れたわよ。売れたけど……」
愛結は顔を上げ、社長室の隅で書類整理をしているナイジェルをチラリと見た。
黒髪に銀縁メガネの彼は、いつも通り目の下にクマを作りながら黙々と仕事をしている。昨夜の爆弾発言について、彼は一言も触れてこない。それが逆に、愛結の心をざわつかせていた。
(なんであいつ、何も聞いてこないのよ! 普通、「あれはどういう意味ですか」とか聞くでしょ! ……まぁ、私が「営業妨害を防ぐため」って言ったから、完全に仕事の一環だと思ってるんでしょうけど……)
愛結はギリッと奥歯を噛み締めた。
自分が言い出したこととはいえ、ナイジェルに「ただの口実」とあっさり割り切られていることに、なぜか無性に腹が立つ。
「……ん。アユ様、不機嫌。誰か暗殺する?」
シャーリーが音もなく現れ、物騒な提案をする。
「しないわよ! 私はただ、自分の発言の余波の大きさに頭を抱えてるだけよ!」
「ふぉっふぉっふぉ。しかしアユ様、あの宣言のおかげで、ユリアン皇子からの縁談は見事に立ち消えになりましたぞ。まさに大局を見極めた完璧な計略!」
バルガスがお茶を啜りながら褒め称えるが、愛結の機嫌は直らない。
「ねえ、社長」
クロエが、愛結のデスクの前にトコトコと歩み寄ってきた。
そして、純朴な海辺の少女は、悪気など一切ない、まっすぐな瞳でこう尋ねた。
「社長って、もしかしてナイジェルさんのこと、好きなんですか?」
「ブフォッ!?」
愛結は飲んでいた紅茶を盛大に吹き出した。
「な、ななな、何を言ってるのよあんた!?」
「だって、昨日の夜、ナイジェルさんが他の女の人たちと踊ってる時、社長、すっごく怖い顔してグラス握り潰してましたよ? あれって、ヤキモチじゃないんですか?」
クロエのド直球な指摘に、社長室の空気がピタリと止まった。
バルガスがお茶を吹くのを堪え、シャーリーが珍しく目を丸くし、そして――ナイジェルが、書類をめくる手をピタリと止めた。
「ち、違うわよ!! あれは優秀な社員が他の会社に引き抜かれないか心配してただけで……そう! 社長としての防衛本能よ! 恋愛感情とか、そんな甘っちょろいものじゃないわ!」
愛結は顔を真っ赤にして、バンバンと机を叩いた。
「でも、恋仲だって宣言してましたし……」
「あれは営業妨害を防ぐための方便よ! それ以上でもそれ以下でもないわ! だいたい、私がこんな目の下にクマを作った胃弱の社畜執事なんか、好きになるわけないじゃない!」
愛結が早口で捲し立てたその時。
「……そうですか」
静かな声が、社長室に響いた。
ナイジェルが、銀縁メガネを指で押し上げながら、ゆっくりと立ち上がった。
「私がただの『胃弱の社畜執事』であることは事実です。……ですが、先生。たとえ方便であっても、主家の令嬢が執事と恋仲であると公言するのは、あまりにもリスクが高すぎます」
「リ、リスクって……」
「ええ。もし、この噂が……『あの厳格なクライス公爵(お父様)』の耳に入ったら、どうなるか。先生は想像もしていないのでしょうね」
その言葉を聞いた瞬間、愛結の顔からサァッと血の気が引いた。
「……あ」
愛結は、完全に忘れていた。
自分の父親であるクライス公爵が、貴族のメンツと規律を何よりも重んじる、超がつくほどの厳格な人物であることを。
「……先生。私は今、かつてないほどの恐怖で胃が痙攣しています。もし公爵様が乗り込んでこられたら、私は『主家の娘を誑かした不届き者』として、問答無用で斬り殺されるでしょう」
ナイジェルは、かつてないほど震える手で、新しい胃薬の瓶を開けた。
「や、やばい……」
愛結は、自分の放った「恋仲宣言」が、とんでもない破滅へのカウントダウンであることに、ようやく気づいたのだった。




