ナイジェルのエスコートと、謎のイライラ
「あの……エレノア様。もしよろしければ、そちらの……美しい執事殿とお話しさせていただいてもよろしくて?」
ドレスの注文書にサインを終えた伯爵令嬢が、頬を赤らめながら愛結に尋ねてきた。
「は? ナイジェルと?」
愛結は、営業スマイルを崩さないままピクッと眉を動かした。
「ええ。その、大変洗練された所作と、知的な佇まいに惹かれまして……。よろしければ、次の一曲、エスコートをお願いできないかと……」
令嬢はもじもじとしながら、ナイジェルに熱い視線を送っている。
愛結の頭の中で、ソロバンが弾かれた。
ここでナイジェルを貸し出せば、この令嬢の機嫌をさらに良くし、追加の宝石セットを買わせることができるかもしれない。まさに「完璧な計略」である。
「……ええ、構いませんわ。ナイジェル、彼女のエスコートをして差し上げなさい。これは『営業の一環』よ」
愛結が顎でしゃくると、ナイジェルは困惑したように眉を寄せた。
「先生。私はあくまで先生の執事であり、護衛です。他の方のエスコートなど……」
「いいから行きなさい! 追加注文を取ってくるまで帰ってこなくていいわよ!」
愛結に背中を押され、ナイジェルは渋々といった様子で令嬢の手を取った。
「……光栄です、お嬢様」
ナイジェルが完璧なお辞儀をすると、令嬢は「きゃあっ」と小さな悲鳴を上げて顔を真っ赤にした。
二人がダンスフロアへと向かうのを見送りながら、愛結は手元のグラスをグッと握りしめた。
(そうよ、あれは営業。私の利益のための行動。何も問題はないわ)
頭ではそう理解しているのに、なぜか胸の奥がチリチリと焼け焦げるように痛む。
「あら、ナイジェル様が踊っていらっしゃるわ!」
「私も次にお願いしたいわ!」
「私も!」
ダンスフロアで優雅にステップを踏むナイジェルの姿は、ただでさえ目立つ美貌も相まって、あっという間に他の令嬢たちの注目の的となった。
一曲が終わるたびに、別の令嬢がナイジェルの元へと群がり、彼を奪い合うようにしてダンスを申し込んでいる。
「……」
愛結は無言のまま、手に持っていたグラスをミシミシと音を立てて握りしめた。
「アユ様ああああ!! ナイジェル殿、大人気ですぞおおお!! これで我が商会の売上も倍増間違いなしですな!!」
ゴードンが空気を読まずに大声で笑う。
「ふぉっふぉっふぉ。まさに大局を見極めた完璧な計略。美男美女を囮にして利益をかすめ取る……アユ様の手腕、恐れ入りますぞ」
バルガスが優雅にお茶を啜りながら褒め称える。
「……ん。アユ様、あの群がってる女たち、全員のドレスの裾を踏んづけて転ばせてくる?」
シャーリーだけが、愛結の放つ尋常ではない殺気に気づき、物騒な提案をしてきた。
「……いいわよ、放っておきなさい。あれは営業なんだから」
愛結はギリリと歯を食いしばりながら、無理やり笑顔を作った。
「あいつが何人と踊ろうが、私には関係ないわ。私は、ただ金貨の計算だけしていればいいのよ」
パキッ。
愛結の握力が限界を突破し、ついにグラスにヒビが入った。
「しゃ、社長……? 大丈夫ですか……?」
カタログ配りのノルマを終えて戻ってきたクロエが、怯えたように愛結の顔を覗き込む。
「大丈夫よ! 全然、全っ然、問題ないわ!!」
愛結はバキッとグラスを完全に叩き割り、その破片をテーブルに叩きつけた。
「さあ、次のカモを探すわよ! 今日は王都の貴族どもの財布を、一滴残らず絞り尽くしてやるんだから!!」
愛結の目は血走り、完全に「悪徳社長」のそれではなく「嫉妬に狂う乙女」のそれに近くなっていたが、本人はその感情の正体にまだ気づいていない。
ダンスフロアで苦笑いを浮かべながら令嬢たちの相手をするナイジェルを横目に、愛結の「謎のイライラ」は最高潮に達しようとしていた。




