砂漠の夜と無自覚な独占欲
王宮での交渉が決裂した日の夜。
王都の安宿の一室で、愛結はベッドの上をゴロゴロと転げ回っていた。
「あーっ! もう! 私としたことが、なんて非合理的な判断をしてしまったのよ!」
愛結は、枕に顔を押し付けてバタバタと足を動かした。
ナイジェル一人を売れば、アルキミアの莫大な富が手に入ったのだ。悪徳社長を自称する彼女にとって、あれは絶対に受けるべき取引だった。
「なんであんな即答で断っちゃったのよ……。私のバカ! ポンコツ! 利益率一〇〇〇パーセントの商談を蹴るなんて、前世の私が見たら泣いて怒るわよ!」
愛結は起き上がり、頭を抱えた。
ジャスミン女王がナイジェルに触れた瞬間、胸の奥で何かが「カチン」と音を立てたのだ。
それは、自分の持ち物を他人に横取りされそうになった時の、子供のような独占欲。
(……いや、違うわ。あれは優秀な社員を引き抜かれそうになった社長としての、正当な怒りよ。そう、人材流出を防ぐための防衛本能! 恋愛感情とか、そういう甘っちょろいものじゃないわ!)
愛結は必死に自分に言い聞かせるが、心臓の奥が妙にチリチリと痛むのは誤魔化せなかった。
コンコン。
控えめなノックの音が響き、ドアが開いた。
「先生。夜分遅くに申し訳ありません。明日の作戦について、少しご相談が……」
ナイジェルが書類の束を手に入ってきた。
その顔を見た瞬間、愛結の心臓が「ドキン」と大きく跳ねる。
「な、なによ! 今、私は猛烈に反省会をしている最中なの! 用件なら手短にしなさい!」
愛結は、無意識に顔を背けて早口で捲し立てた。
「……反省会、ですか?」
ナイジェルは小首を傾げ、愛結のベッドの傍らに歩み寄った。
「そうよ! あんたを売らなかったことよ! 今からでも遅くないから、あんたをリボンでラッピングして女王のところに送り届けてやろうかと考え直していたところよ!」
愛結が強がって言い放つと、ナイジェルは小さく息を吐いた。
「それは困りますね。私は、先生以外の元で働く気はありませんから」
「……は?」
愛結が思わず振り返ると、ナイジェルは、普段の苦労人の顔からは想像もつかないほど、穏やかで……どこか嬉しそうな微笑みを浮かべていた。
「昼間、先生が『こいつは私のものだ』と仰ってくださった時……正直、少し嬉しかったんです」
「なっ……!」
愛結の顔が、ボンッと音を立てて赤くなる。
「もちろん、私が胃弱の不良債権だから売らなかった、という理由は納得がいきませんが。それでも、先生が私を手放さなかったという事実は変わりません」
ナイジェルは、愛結の目を見つめて静かに言った。
「私は、先生の『所有物』として、これからも最後までお供する所存です。……ですから、どうか私を売らないでくださいね」
それは、忠誠の誓いというにはあまりにも甘く、告白というにはあまりにも控えめな言葉だった。
「ば、バカじゃないの!? 誰があんたなんか売るもんですか! あんたは死ぬまで私の元で、薄給で馬車馬のように働かせてやるんだからね!」
愛結は真っ赤な顔を隠すように、バンッと枕をナイジェルの顔に押し付けた。
「……はい。望むところです、先生」
枕越しに聞こえるナイジェルの声は、やはりどこか楽しげだった。
(ああもう、調子狂うわね……!)
愛結は、ドクドクと鳴り止まない心臓を押さえながら、砂漠の夜の暑さのせいにすることにした。
明日こそは、アルキミアの富を絶対に奪い取ってやる。
そう決意しながら、愛結はナイジェルを部屋から追い出したのだった。




