女王の要求と売却不可の所有物
「……陛下? 今、なんと仰いましたか?」
愛結は、営業用の笑みを顔に貼り付けたまま、ピクッと眉を引きつらせた。
「言葉通りの意味だ、エレノア嬢」
ジャスミン女王は玉座から立ち上がり、滑らかな足取りで階段を下りてきた。
彼女は愛結の横を通り過ぎ、ナイジェルの目の前で立ち止まる。
「美しい……。砂漠の民にはない、透き通るような肌に漆黒の髪に、理知的な蒼色の瞳。そして、主を陰から支えるその有能な佇まい。まさに私の後宮に相応しい」
ジャスミンは、ナイジェルの顎にスッと指を添え、その顔を覗き込んだ。
「せ、先生……。これは、どういう状況でしょうか……」
ナイジェルが、冷や汗を流しながら小声で助けを求める。
常識人である彼は、突然の女王からのセクハラ(?)に完全にフリーズしていた。
「エレノア嬢。先ほどの九対一の不平等条約、呑んでやってもいい。ただし、条件がある」
ジャスミンはナイジェルから手を離し、愛結を振り返った。
「その銀髪の執事を、私に売りなさい。金ならいくらでも出そう。我が国の国庫を開放してもいい」
謁見の間が、再び静まり返った。
国の特産品の専売権と、一人の執事。商人として、いや、人間として考えれば、迷うまでもない破格の条件である。
「アユ様! これは千載一遇の好機ですぞおおお!!」
空気を読まないゴードンが、無駄にでかい声で叫んだ。
「ナイジェル殿一人で、莫大な富が手に入るのです! まさに大金星ですぞおおお!!」
「ふぉっふぉっふぉ。大局を見極めれば、ここで彼を差し出すのが完璧な計略というものですな」
バルガスが、お茶を啜るような仕草をしながら頷く。
「……ん。ナイジェルの荷物は、私がまとめておく」
シャーリーに至っては、すでにナイジェルの帰りの馬車の座席をキャンセルする算段を始めていた。
「お前ら、ちょっと黙りなさい!」
愛結が怒鳴りつけると、三人はピタッと静かになった。
愛結は、ゆっくりとジャスミンに向き直った。
彼女の頭の中で、猛烈な勢いでソロバンが弾かれている。ナイジェル一人を売れば、アルキミアの莫大な富が手に入る。商売としては、これ以上ないほど美味しい話だ。
しかし――。
「……お断りよ」
愛結の口から出たのは、氷のように冷たい声だった。
「は?」
ジャスミンが、予想外の返答に目を丸くする。
「売らないわよ。いくら積まれても、絶対に」
愛結は、ナイジェルの前にスッと立ち塞がり、女王を真っ向から睨みつけた。
「こいつは、私のもの(所有物)よ。私が拾って、私が教育して、私がこき使っている、私の専属執事なの。どこの馬の骨ともわからない砂漠の女王なんかに、指一本触れさせるもんですか!」
その言葉に、ナイジェルがハッと息を呑む。
「先生……」
「それにね、こいつは胃が弱いのよ! 砂漠の香辛料だらけの料理なんて食べたら、三日で胃に穴が開いて死ぬわ! そんな不良債権を売りつけるような真似、悪徳商人のプライドが許さないのよ!」
「そこはもう少し、マシな理由をつけてほしかったですね……」
感動しかけたナイジェルが、すかさずツッコミを入れる。
「……ふふっ、あはははは!」
ジャスミンが、突然おかしそうに笑い出した。
「面白い。本当に面白い女だ、エレノア・クライス。いいだろう、今日のところは引き下がってやる。だが、交渉は決裂だ。お前たちは、何も得られずにこの国を去ることになる」
「上等よ。アルキミアの富は、別の方法で根こそぎ奪い取ってやるわ。……行くわよ、ナイジェル! あんたたちも、さっさと歩きなさい!」
「アユ様ああああ! お待ちくだされええええ!!」
愛結は、ナイジェルの腕をガシッと掴むと、ずんずんと謁見の間を後にした。
その背中を、ジャスミンは興味深そうに見送っていた。
「……手強いな。だが、あれほどの執事、ますます手に入れたくなったぞ」
砂漠の女王の瞳に、獲物を狙う肉食獣のような光が宿っていた。




