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龍と虎の首縊りの迷宮  作者: 秦江湖


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貴族のプライドは金貨五十枚

「お嬢様! 入り口に馬車が止まりました!降りてきたのは高そうな服を着た豚野郎です!買わないようなら叩き斬りますか!」


「だから斬るなと言ってるでしょうが……! ゴードン、絶対に剣を抜かないでくださいよ!」


 ゴードンの物騒な報告に、ナイジェルが血相を変えて入り口へと走る。


 愛結商店が「ただの壺」を売り始めてから三日。バルガスが王都の貴族ネットワークに流した『東方の秘境から発掘された伝説の魔具(ただの壺)』の噂は、見事にターゲットを釣り上げたようだった。


 カラン、とドアベルが鳴り、恰幅の良い中年貴族が店内に足を踏み入れた。


 ギラギラと光る成金趣味の装飾品に、傲慢さを絵に描いたような態度。


「……ナイジェル。あのおっさん、見覚えある?」


 カウンターの奥から、エレノアが小声で尋ねる。


 ナイジェルは素早く記憶の引き出し――『龍と虎の首縊りの迷宮』の設定資料集――を検索し、同じく小声で答えた。


「ええ。あれはボルドー伯爵ですね。原作では、エレノアお嬢様の取り巻きの一人として散々利用された挙句、最終的に全財産を巻き上げられて破滅する三下貴族です。特徴は『見栄っ張りで、希少価値という言葉に異常に弱い』こと」


「なるほどね。完璧なカモじゃない」


 エレノアはニヤリと笑うと、瞬時に「謎の美少女オーナー・アユ」の営業スマイルを顔に貼り付け、ボルドー伯爵の前に進み出た。


「いらっしゃいませ、ボルドー伯爵様。当店のような小さな店に、あなた様のような高貴なお方が足を運ばれるとは、光栄の至りに存じますわ」


「ふん。お前がこの店のオーナーか。随分と若い小娘ではないか」


 ボルドー伯爵は鼻を鳴らしながら、店内を値踏みするように見回した。


 彼の視線の先には、店のど真ん中に恭しく鎮座する「ただの壺(市場で銅貨一枚)」がある。


「聞いたぞ。なんでも、東方の秘境から発掘された『伝説の魔具』とやらを扱っているそうだな。このボルドー伯爵家のコレクションに加えるに相応しい品かどうか、私が直々に鑑定してやろうと思ってな」


「まあ、それは素晴らしい!ですが伯爵様、あちらの品は……少々、お値段が張りますのよ?」


「馬鹿にするな! この私に買えぬものなどないわ!」


 エレノアの挑発的な言葉に、見栄っ張りの伯爵はまんまと食いついた。


 壺の前に歩み寄り、腕を組んでまじまじと見つめる。


「ふむ……。一見すると、何の変哲もないただの壺に見えるが……」


「お目が高い。それこそが、この魔具の恐ろしいところなのです」


 エレノアが芝居がかった口調で囁く。


「この壺は、持ち主の『器』を試す魔具。凡人が見ればただの壺にしか見えませんが、真に高貴な血筋と、王都を揺るがすほどの財力を持つ者が所有した時のみ、その真価――『幸運』を呼び寄せるのです」


「な、なんと……! 真に高貴な者にしか、その価値は分からんと申すか!」


「ええ。ですから、伯爵様のように素晴らしい審美眼をお持ちの方にこそ、お譲りしたいと考えておりました。……お値段は、金貨五十枚となりますが」


 金貨五十枚。その途方もない金額に、さすがのボルドー伯爵も一瞬たじろいだ。


 しかし、ここで「高すぎる」と言えば、自分の『器』が凡人並みだと認めることになる。見栄っ張りの彼にとって、それだけは絶対に避けたい事態だった。


「……ふん!た、たかが金貨五十枚! このボルドー伯爵にとっては、はした金にすぎんわ!よかろう、その壺、私が買い取ってやろう!」


「毎度あり!シャーリー、商品を木箱にお包みして!」


「……ん」


 無表情のシャーリーが、銅貨一枚の壺を、無駄に豪華なシルクの布で包み、木箱に納める。


 ボルドー伯爵は震える手で金貨五十枚を支払い、木箱を抱えて足早に店を後にした。ゴードンが「また来いよ豚野郎!」と見送る声が響く。


「……先生」


「なに? ナイジェル」


「完全に詐欺です。しかも、相手のプライドを逆手に取る一番タチの悪いタイプの」


「失礼ね。私は『希少価値』を売ったのよ。ほら、バルガス爺さん。売り上げの記帳お願いね」


 ロッキングチェアで優雅に紅茶を飲んでいたバルガスが、ふぉっふぉっと笑う。


「いやはや、見事な手腕ですな。ボルドー伯爵は王都でも随一のスピーカー(おしゃべり)。彼が『金貨五十枚の伝説の魔具を手に入れた』と自慢して回れば、他の貴族たちも負けじと買い求めに来るでしょうな」


「ええ。これでしばらくは、適当に壺を売るだけで暮らせるわね。ああ、素晴らしいスローライフ!」


「だから先生のスローライフは概念がおかしいんですよ!」


 ナイジェルのツッコミが虚しく響く中、愛結商店の「金貨五十枚の壺」は、王都の貴族たちの間でステータスシンボルとして爆発的な流行を見せることになるのだった。



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