交渉決裂と武力行使
「詭弁を弄するな、小娘!」
特使の怒号が応接室に響き渡った。
彼は腰に提げた長剣の柄に手をかけ、愛結を威圧するように一歩前に出た。
「我がヴァルハラ帝国の第一皇子を、見世物小屋の道化に仕立て上げるとは、万死に値する侮辱! 今すぐ皇子を引き渡し、貴様も帝国へ連行する!」
「お断りよ」
愛結は紅茶のカップをソーサーに置き、冷酷な笑みを浮かべた。
「ユリアン皇子は今、うちの専属タレントよ。彼自身もこの仕事を楽しんでいるわ。無理やり連れ帰ろうとするなら、それは立派な『営業妨害』よ」
「営業妨害だと? ふざけるな!」
特使はついに剣を抜き放ち、その鋭い切っ先を愛結の喉元に突きつけた。
「貴様のような悪徳商人の言葉など聞く耳持たん! 力で従わせるまでだ!」
剣先が愛結の肌に触れる寸前。
愛結の背後に控えていたナイジェルが、目にも留まらぬ速さで動いた。
ガキンッ!
鈍い金属音が応接室に響く。
ナイジェルは、懐から取り出した特殊な魔導短剣で、特使の凶刃を完璧に受け止めていた。
「……交渉の席で刃物を抜くとは。ヴァルハラ帝国の使者は、随分と野蛮な作法をお持ちのようですね」
ナイジェルの声は氷のように冷たく、その瞳には明確な殺意が宿っていた。
「なっ……!? 貴様、ただの執事ではないな!」
「ええ。私は先生の専属執事であり……彼女に仇なす者を排除する『盾』でもあります」
ナイジェルは短剣に魔力を込め、特使の剣を弾き飛ばした。
その圧倒的な膂力と技術に、歴戦の武将である特使も思わず後ずさる。
「……ナイジェル」
「ご安心を、先生。あなたの髪一本、傷つけさせはしません」
ナイジェルは愛結を背中で庇うように立ち塞がり、特使と対峙した。
その頼もしい背中を見つめながら、愛結はまたしても胸の奥がトクンと鳴るのを感じていた。
(ちょっと……なんでこんな時にカッコつけてるのよ、このバカ執事……)
普段は文句ばかり言っている社畜が、いざという時には命懸けで自分を守ってくれる。
その事実が、愛結の心を激しく揺さぶる。
「……いい度胸だ。ならば、我が帝国の武力をもって、貴様らごとこの商会を叩き潰してくれる!」
特使が怒りに任せて叫んだその時、応接室の扉がバンッと勢いよく開け放たれた。
「待つのだ、特使!!」
そこに立っていたのは、純白の衣装に身を包み、薔薇の花びらを撒き散らしながら現れたユリアン皇子だった。
「ユリアン殿下! ご無事でしたか! 今すぐお助けいたします!」
「助ける必要などない! 私は、自らの意志でここにいるのだ!」
ユリアンは特使の前に立ち塞がり、ビシッと指を突きつけた。
「私は今、王都の乙女たちに愛と夢を届ける『トップアイドル』としての使命に燃えている! 本国へ帰るつもりなど毛頭ない!」
「なっ……!? 殿下、何を血迷っておられるのですか! そのような恥知らずな真似は――」
「恥知らずだと? 愛を届けることの何が恥だ! 私はここに残る! エレノアと共に、この世界を愛で満たすのだ!」
ユリアンの斜め上の宣言に、特使は絶句し、愛結はニヤリと悪魔の笑みを浮かべた。
交渉の主導権は、完全に愛結商店の手に落ちたのである。




