すれ違う想いと深夜の残業
ユリアン皇子のアイドルビジネスが軌道に乗り、愛結商店には莫大な利益が転がり込み続けていた。
しかし、その代償として、愛結とナイジェルの業務量は爆発的に増加していた。
「……先生。本日の売上報告書と、明日の『プレミアムお茶会』の進行表です。それから、皇子殿下の衣装代の請求書が三件……」
「ちょっと待って、衣装代高すぎない!? あのポンコツ、また勝手に純金の刺繍なんて入れさせたのね! 給料から天引きよ!」
深夜の愛結商店・社長室。
デスクには書類の山が築かれ、愛結は万年筆を片手に目を血走らせていた。
ナイジェルもまた、いつものように目の下に深いクマを作りながら、黙々と書類を処理している。
「ナイジェル、コーヒーのおかわり。あと、この契約書の三条二項、文言が甘いわ。もっと相手を逃げられないように修正して」
「畏まりました。……ですが先生、少し休憩された方がよろしいのでは? ここ数日、まともに睡眠をとっていませんよ」
ナイジェルは淹れたてのコーヒーを差し出しながら、静かに忠告した。
「休んでる暇なんてないわよ! あのポンコツ皇子の本国からいつクレームが来るかわからないんだから、今のうちに稼げるだけ稼いでおかないと!」
愛結はコーヒーを一気に飲み干し、再び書類に向かおうとした。
しかし、過労と寝不足の限界が来ていたのか、彼女の身体がふらりと傾いた。
「っ……!」
「先生!」
床に倒れ込む寸前、ナイジェルが素早く手を伸ばし、愛結の身体を抱き止めた。
再び、ナイジェルの胸にすっぽりと収まる形になる。
「……無茶をしすぎです、エレノア」
ナイジェルの声は、いつもの「疲れた執事」のものではなく、どこか低く、甘い響きを帯びていた。
愛結は、彼の腕の中でビクッと肩を震わせた。
(まただわ……。また、心臓がおかしくなってる……)
ナイジェルの体温と、力強い鼓動が伝わってくる。
普段はただの社畜としてこき使っているはずなのに、なぜか今、彼の腕の中にいることがひどく安心できて、同時に落ち着かなかった。
「……離しなさいよ。ただの立ち眩みよ」
愛結は強がって身をよじったが、ナイジェルは腕の力を緩めなかった。
「離しません。あなたがちゃんと休むと約束するまでは」
「な、生意気ね……! 誰に向かって命令してるのよ!」
「あなたの専属執事であり、あなたの『恋人』ですよ。……偽装、ではありますが」
ナイジェルは、愛結の耳元でわざとらしく囁いた。
その声に含まれた微かな熱に、愛結の顔が一気に赤く染まる。
「っ……! あれは、あのポンコツを誤魔化すための嘘でしょ! 調子に乗らないで!」
「ええ、わかっています。ですが……私は、あの嘘が現実になっても構わないと、そう思っているのですよ」
ナイジェルの言葉に、愛結は息を呑んだ。
彼の瞳は真剣そのもので、普段の冷静な仮面の下に隠された、重く深い感情が垣間見えた。
(な、何よこいつ……! 本気なの!? いや、でも……)
愛結の頭の中で、様々な感情が渦巻く。
悪徳社長としての理性と、一人の少女としての感情が激しくぶつかり合っていた。
「……バカなこと言ってないで、仕事に戻りなさい。減給するわよ」
「畏まりました、先生」
愛結が必死に平静を装って突き放すと、ナイジェルは優しく微笑んで彼女を解放した。
深夜の社長室に、再びペンが紙を走る音だけが響き始める。
しかし、二人の間の空気は、確実にお見合い騒動の前とは違う、微糖の甘さを帯びていた。




