不整脈? 予期せぬ胸の鼓動
「どちらがエレノアにふさわしいか、勝負だと言ったのだ! 逃げるつもりか、執事!」
ユリアン皇子は、キラキラとしたオーラを放ちながらナイジェルに詰め寄った。
ナイジェルは冷静にメガネの位置を直し、淡々と答える。
「逃げるも何も、私はただの執事です。皇子殿下と勝負など、身分が違いすぎます」
「身分など関係ない! 愛の前では、全ての男は平等だ! それとも何か? 君はエレノアへの愛を証明する覚悟もないのか!」
ユリアンの暑苦しい挑発に、ナイジェルは小さくため息をついた。
このままでは拉致があかない。愛結の方をチラリと見ると、彼女は「さっさとこいつを追い払いなさいよ!」という無言のプレッシャーをかけてきている。
「……わかりました。そこまで仰るなら、お相手しましょう」
ナイジェルが静かに告げた瞬間、ユリアンはニヤリと笑い、突然愛結の肩に手を伸ばした。
「よし! ならば手始めに、私がエレノアに愛の口づけを――」
パシッ。
鋭い音が響いた。
ユリアンの手が愛結に触れる直前、ナイジェルがその腕を力強く掴んで止めていた。
普段の「過労死寸前の社畜」の気配は完全に消え去り、そこには冷徹で鋭い、本物の騎士のような眼差しがあった。
「……気安く触れないでいただこうか」
低く、地を這うようなナイジェルの声。
それは、先ほどの棒読みの三文芝居とは全く違う、本物の怒りと威圧感がこもっていた。
「彼女は、私のものです。皇子殿下といえど、これ以上の無礼は容赦しませんよ」
ナイジェルはユリアンの腕を払いのけると、愛結の肩を抱き寄せ、自分の胸に引き寄せた。
突然の密着。ナイジェルの胸から伝わる力強い鼓動と、ほのかに香るコーヒーとインクの匂い。
愛結は、思わず息を呑んだ。
(な、何よこれ……。ナイジェルのやつ、演技上手すぎじゃない……?)
愛結の顔が、カッと熱くなる。
心臓がトクトクと早鐘を打ち、普段の悪徳社長としての冷静さが吹き飛んでいく。
(ち、違うわ! これはただの不整脈よ! 最近、睡眠削って決算書の確認してたから、心臓に負担がかかってるだけよ!)
愛結は必死に自分に言い聞かせるが、ナイジェルに抱き寄せられた肩から、熱が全身に広がっていくのを止められなかった。
「おお……! 素晴らしい覇気だ! やはり君は、ただの執事ではないな!」
一方のユリアンは、ナイジェルの殺気すら感じさせる牽制を受けても、全く怯むことなく目を輝かせていた。
「いいだろう! その愛の深さ、私が真っ向から打ち砕いてみせよう! 明日、王都の中央広場で決闘だ!」
ユリアンは高らかに宣言し、薔薇の花びらを撒き散らしながら嵐のように去っていった。
「……行きましたね」
VIPルームに静寂が戻り、ナイジェルは愛結の肩から手を離した。
いつもの「疲れた執事」の顔に戻り、メガネを拭いている。
「あの、エレノア? 顔が赤いようですが、お熱でもありますか?」
「な、何でもないわよ! ただの不整脈よ! それより、明日の決闘、絶対に負けたら承知しないからね!」
愛結は真っ赤な顔を隠すようにそっぽを向き、足早に部屋を後にした。
ナイジェルはその後ろ姿を見送りながら、誰にも聞こえない声で小さく呟いた。
「……不整脈、ですか。本当に鈍い人だ」
彼の口元には、普段は見せない、優しくも独占欲に満ちた微かな笑みが浮かんでいた。




