新任教師ナイジェルの受難と安息
王立学園・第一教室。
王国の未来を担う貴族の子息・令嬢たちが集うその神聖な場所で、ナイジェルは教壇に立ち、黒板にチョークで文字を書いていた。
「……というわけで、この時代の経済政策において最も重要だったのは――」
「はいはーい! 先生、質問!」
最前列のど真ん中。本来ならもっとも真面目な生徒が座るはずの席で、愛結が足を机に乗せながら堂々と手を挙げた。
「その経済政策、甘すぎない? 私なら関税を倍にして、隣国の商会を物理的に叩き潰して市場を独占するわね。それが『愛結商店』の基本理念よ!」
「エレノアお嬢様。今は歴史の授業です。貴女の悪徳ビジネスの自慢話をする時間ではありません」
ナイジェルが青筋を立てながら注意するが、愛結はどこ吹く風だ。
周りの貴族生徒たちは、愛結の傍若無人な態度にヒソヒソと非難の声を上げているが、彼女は全く気にしていない。
「いい? 歴史なんて勝者が作るものよ。つまり、今の王都の経済を支配している私が歴史そのものってわけ。ねえ、みんなもそう思うでしょ?」
「……誰か、あの女を黙らせろ」
「あんなのが公爵令嬢だなんて、我が国の恥だわ……」
生徒たちの不満が爆発寸前になる中、ナイジェルは必死に授業を進行し、なんとか終了の鐘を鳴らすことに成功した。
「本日の授業はここまで。……エレノアお嬢様、放課後に職員室へ来なさい」
「はーい。じゃあね、世間知らずのヒヨッコども!」
愛結が教室を出て行くのを見届けた後、ナイジェルはフラフラとした足取りで職員室へと向かった。
ガチャリ、と重い木の扉を開け、自分のデスクに倒れ込む。
周囲には他の教師たちもいるが、皆、新任の彼に同情的な視線を向けていた。
「お疲れ様です、ナイジェル先生。あの『問題児』の担当、大変ですね……」
「……ええ。寿命が縮む思いですよ」
ナイジェルは同僚の教師に苦笑いで返しつつ、引き出しから愛用のコーヒー豆を取り出した。
魔法のケトルで湯を沸かし、丁寧にドリップする。芳醇な香りが職員室に広がり、彼のすり減った神経を優しく撫でていく。
「はあ……。ようやく、一息つける……」
一口飲み、目を閉じる。
海辺での「はだけたシャツでの接客」や、壺を売り歩く日々に比べれば、教師という仕事は(愛結のフォローを除けば)驚くほど平和だった。
冷暖房完備、定時退勤、そして何より「まともな社会人」としての尊厳がある。
「素晴らしい……。ここは天国か? 私はついに、あの理不尽な労働から解放されたのだ……」
ナイジェルは、窓から差し込む午後の日差しを浴びながら、至福のくつろぎタイムを満喫していた。
このまま、平和な教師生活が続く。そう信じて疑わなかった。
――ドゴォォォォンッ!!
次の瞬間、職員室の重厚なオーク材のドアが、物理的に蹴り破られた。
「ナイジェル!! くつろいでる場合じゃないわよ!!」
粉々になったドアの向こうから、プラチナブロンドの悪魔が、仁王立ちで姿を現した。




