プラシーボ効果は世界を救う
愛結商店がオープンして数日が経過した。
あの「ただの水(着色料入り)」を金貨十枚で勇者ルークに売りつけて以来、客は一人も来ていない。当然である。こんな怪しい店にふらりと立ち寄る物好きなど、そうそういるはずがない。
「暇ねぇ……」
カウンターの奥で、エレノア(愛結)は優雅にあくびをした。
店の奥では、シャーリーが相変わらず無表情で空き瓶を磨き、ゴードンは入り口で通行人を睨みつけている(客引きのつもりらしい)。
そして、部屋の隅のロッキングチェアでは、バルガスが優雅に紅茶を傾けていた。
六十代。白髪ではあるが背筋はピンと伸び、仕立ての良いスーツを着こなすその姿は、一見するとどこかの貴族の当主のようにも見える。しかし、その本質はただのサボり魔である。
「お嬢様、少々お茶の温度が下がってまいりましたな。ナイジェル殿、お手数ですが淹れ直していただけますかな? 茶葉は東方産の最高級品で」
「……僕はあなたの使用人じゃないんですがね」
ナイジェル(蛯原)がこめかみを押さえながら抗議するが、バルガスは丁寧な口調のまま、薄く笑みを浮かべた。
「おや、これは失礼。しかし、わしのような老いぼれに肉体労働をさせるのは、いささか酷というものでしょう。わしは『知識』を提供するのが仕事。お茶を淹れるのは『実務』の担当であるあなたの仕事かと存じますが?」
「その『知識』とやらを活かす場面が、まだ一度も来てないでしょうが!」
慇懃無礼にサボる理由を並べ立てるバルガスに、ナイジェルが噛み付く。
この世界には魔物は存在するが、エルフやドワーフといった「亜人」は存在しない。人間同士のドロドロとした権力闘争や経済戦争こそが、この王都の日常である。
元・商工会議所役員であるバルガスの知識が役立つ日は、いずれ必ず来る……はずなのだが、今のところ彼はただの高級茶葉泥棒だった。
「まあまあ、いいじゃないナイジェル。暇なんだし」
「先生が適当すぎるからです!だいたい、あんな詐欺まがいのポーション、二度と売れるわけ……」
バンッ!!
ナイジェルの言葉を遮るように、店の扉が勢いよく開かれた。
そこに立っていたのは、ボロボロの装備に身を包んだ、見覚えのある金髪の少年――勇者ルークだった。
その後ろには、魔法使いと僧侶の仲間もいる。
「……あ、やっぱり詐欺だって気づいて返金に来ましたね。ほら先生、僕が謝りますから、先生も一緒に頭を下げて……」
「アユさん!!」
ナイジェルが土下座の準備に入ろうとした瞬間、ルークがカウンターに駆け寄り、感極まった声で叫んだ。
「ありがとうございました!あのポーション、本物でした!!」
「……はい?」
ナイジェルが間の抜けた声を出す。
エレノアは涼しい顔で「あら、そう?」と微笑んだ。
「俺、あのポーションを飲んでから、不思議と力が湧いてきて……!今まで逃げ回っていたオークの群れを、たった一人で全滅させられたんです! それどころか、森の奥にいた巨大なグリズリーまで一撃で倒せちゃって!」
「えっ、グリズリーって、Cランク冒険者でも手こずる魔物ですよね!?」
ナイジェルが驚愕する。
人間を脅かす「魔物」の存在は絶対的な脅威である。駆け出しのルークがグリズリーを倒すなど、本来ならあり得ないことだった。
「ルークったら、あの赤い水を飲んだ途端に『俺は勇者だァァァ!』って叫びながら突撃していって……。私たち、魔法で援護する暇もなかったんです」
「なんか、目が血走っててちょっと怖かったです……」
仲間たちがドン引きしながら証言する。
それを聞いたエレノアは、ふふっと笑ってルークの肩を叩いた。
「言ったでしょう?人間、思い込みが一番大事なのよ。あなたは金貨十枚というリスクを背負って、勇者になる『覚悟』を決めた。あのポーションは、あなたの本来の力を引き出しただけよ」
「アユさん……!俺、一生ついていきます!今日は、グリズリーの討伐報酬で、あのポーションをもう三本買いに来ました!」
「毎度あり!シャーリー、商品をお渡しして」
「……ん」
ルークは金貨三十枚をカウンターに置き、シャーリーから色水を受け取ってホクホク顔で帰っていった。
「……先生」
「なに?」
「プラシーボ効果って、あそこまで物理的なパワーを引き出せるものなんですか?」
「さあ? でもまあ、結果オーライじゃない。これでまたしばらく遊んで暮らせるわね」
エレノアが金貨を数えながら笑う。
ロッキングチェアのバルガスが、ティーカップを置きながらふぉっふぉっと笑った。
「いやはや、見事な商売手腕ですな。ただの水を『覚悟』という付加価値をつけて売り捌くとは。これなら、わしが裏で手を回すまでもなく、この店は繁盛するでしょうな」
「だからあなたはサボる理由を探すのをやめてください!」
ナイジェルのツッコミが虚しく響く中、愛結商店の「ぼったくりポーション」の噂は、ルークたちを通じて王都の冒険者たちの間に瞬く間に広まっていくことになるのだった。




