海辺の村と、新たなぼったくりの予感
王都から馬車で数日。南の果てにある小さな海辺の村、ソルティス。
愛結は、真っ白な砂浜に寝そべり、波の音を聞きながら深呼吸をした。
「はあ……最高。空気は綺麗だし、海は青いし、何より『締め切り』も『ナイジェルの小言』もない。これぞ私が求めていた完璧なスローライフよ!」
王都での激務(とハーバートとの不毛なバトル)から解放された愛結は、完全に羽を伸ばしていた。
村人たちは素朴で親切であり、彼女が「王都から保養に来た傷心の令嬢」という適当な嘘をつくと、新鮮な魚介類を安値で分けてくれた。
「でも、少し暇ね。スローライフって、何もしないことだと思ってたけど……」
三日も砂浜で寝そべっていると、愛結の「作家特有の飽き性」が早くも顔を出し始めていた。
彼女は起き上がり、村の様子を観察する。
美しい海、豊富な海産物、そして温暖な気候。しかし、村は貧しかった。交通の便が悪く、王都からの観光客も来ないため、村人たちは細々と漁をして暮らすしかないのだ。
「もったいないわね。これだけのロケーション(素材)があるのに、見せ方が絶望的に下手だわ」
愛結の目に、再び「悪徳商人の光」が宿り始めた。
「この村の空き家を買い取って、少し内装を綺麗にすれば……そうね、『王都の喧騒から離れた、選ばれし者だけのシークレット・リゾート』として売り出せるんじゃない?」
愛結の脳内で、恐るべき速度で事業計画が組み上がっていく。
「ただの魚の塩焼きも、『南の海の精霊が祝福した奇跡の海鮮グリル』って名前を変えれば、王都の貴族に金貨十枚で売れるわ。宿泊費は一泊金貨五十枚。もちろん、海を見るための『プライベートビーチ入場料』は別料金よ。完璧な『ぼったくり民宿経営』の完成ね!」
スローライフをするために逃げてきたはずなのに、結局「どうやってこの村の素材で貴族から金を搾り取るか」を考えてしまう。
それが、金崎愛結という作家の、そしてエレノアという悪役令嬢の悲しい性であった。
「ふふふ……思い立ったが吉日よ。さっそく村長に話をつけて、空き家を買い叩いてこようかしら!」
愛結が意気揚々と立ち上がった、その時だった。
背後から、絶対にこの村で聞くはずのない、聞き慣れた冷静な声が響いた。
「先生。やはり、こんなところで油を売っていましたか」
「……へ?」
愛結が恐る恐る振り返ると、そこには砂浜には全く似合わない、ビシッとした執事服を着こなしたナイジェルが立っていた。
その手には、見慣れた分厚い書類の束が握られている。
「な、なんであなたがここにいるのよ!? ここは誰も知らない私の秘密の隠れ家のはずじゃ……!」
「ハーバート店長の『徹底的なコスト管理と情報網』を舐めないでください。あなたの馬車の経費から、滞在先など一瞬で割り出しましたよ」
ナイジェルは眼鏡を光らせ、愛結に書類の束を突きつけた。
「さあ、先生。王都に帰りますよ。ハーバート店長の活躍により、愛結商店はさらに規模を拡大しました。それに伴い、社長であるあなたが決済しなければならない書類が、この十倍ほど溜まっています」
「いやああああ! 私のスローライフが! 私のぼったくり民宿計画がぁぁぁ!」
美しい南の海辺に、悪役令嬢の絶望の叫びが響き渡る。
こうして、愛結の短いバカンスは終わりを告げた。
しかし、彼女がこの村で思いついた「ぼったくり民宿経営」のアイデアは、やがて愛結商店の次なる巨大プロジェクトへと繋がっていくことになるのである。




