残された小市民と、治安の悪い職場
南の海辺の村で、愛結がパラソルの下、トロピカルジュース片手に「最高のスローライフだわ」と微笑んでいた頃。
王都の愛結商店・総店長室では、ハーバート・クロスが胃薬を水で流し込んでいた。
「ハーバート店長! 第一層の『安全な落とし穴』ですが、ゴードンが張り切りすぎて底に本物のスパイクを設置してしまいました! 参加者の貴族が落ちたら死にます!」
「今すぐ埋め戻しなさい! 『安全保証付き』だと言ったでしょうが!」
ナイジェルの報告に、ハーバートは頭を抱えて叫んだ。
社長である愛結が「大サバイバルツアー」という莫大な予算の企画を丸投げして逃亡してから数日。ハーバートは、愛結商店の「治安の悪さ」をその身で痛感していた。
「店長、シャーリーさんが『参加者を背後から脅かす役』に不満を持っています。『殺していいならやるが、寸止めは私の美学に反する』とストライキを起こしかけています!」
「彼女には特別ボーナスとして、新しい暗殺用ナイフ(※経費削減のため中古品)を支給すると伝えなさい! あと、マリアさんが『嘘をついてお金を取るのは心が痛みます』と泣き出しているので、誰かフォローを!」
「バルガスさんが『マリア君の涙を売りにした懺悔オプション』を勝手に売り出そうとしています!」
「あの老害を止めろおおお!」
ハーバートの怒声が、総店長室に響き渡る。
彼は優秀な商人であり、完璧なコスト管理の達人だ。しかし、彼がこれまで相手にしてきたのは「常識的な人間」だけだった。
脳筋、暗殺者、老害、そして魔獣。愛結商店の従業員たちは、小市民の常識が一切通用しない規格外の存在ばかりなのだ。
「……ハァ、ハァ……社長は、あの悪魔のような社長は、いつもこの連中をどうやって手懐けていたのですか……」
「先生(社長)は、彼ら以上に理不尽で、彼ら以上に暴力的だからです」
淡々と書類を処理しながら、ナイジェルが眼鏡を押し上げる。
「ハーバートさん。あなたは真面目すぎます。この商会で生き残るには、常識を捨て、倫理観を捨て、利益のためなら手段を選ばない『悪徳の精神』が必要なのです」
「悪徳の精神……」
ハーバートは、愛結が言い放った言葉を思い出した。
『経費は削るもんじゃない、何倍にもして毟り取るための撒き餌なのよ!』
「……わかりました。私が甘かったようです。小市民の殻を破り、社長の『悪徳の論理』を完璧にトレースしてみせましょう」
ハーバートの目の色が、再び変わった。
常識人だった彼が、ついに愛結商店の「闇」に完全に適応しようとしていた。
「ナイジェルさん。ゴードンのスパイクはそのままにしなさい。ただし、落ちる寸前でシャーリーに助けさせ、『危機一髪オプション(追加料金・金貨五十枚)』として請求します。バルガスの懺悔オプションも許可します。ただし、売り上げの八割は商会に入れます」
「……素晴らしい判断です、店長。先生もきっとお喜びになりますよ」
こうして、ハーバートは「完璧なコスト管理」と「愛結直伝の悪徳商法」を融合させた、最強にして最悪のハイブリッド店長へと覚醒した。
王都に残された貴族たちにとって、真の恐怖が始まるのはこれからであった。




