小市民の抵抗と、暴力的な買収
「いらっしゃいませ。……冷やかしなら帰っていただきたい。魔石の照明代の無駄ですので」
薄暗い雑貨店に足を踏み入れた愛結とナイジェルを、店主のハーバート・クロスは鋭い目つきで睨みつけた。
四十代の苦労が刻まれた顔には、「無駄」を極端に嫌う小市民的な神経質さが滲み出ている。
「あら、つれないわね。私は客よ。この店の……そうね、棚にある古びたポーションを全部もらうわ」
「……本気ですか? それは三年前に仕入れた売れ残りで、効果は保証できませんが」
「構わないわ。どうせ中身を捨てて、うちの特製ポーション(ただの色水)を詰めるための容器にするから」
愛結が金貨を一枚、カウンターにポンと置く。
ハーバートの目の色が、一瞬だけ変わった。しかし、彼はすぐに金貨を押し返した。
「お断りします。私は商人としての矜持を持っています。そのような詐欺まがいの商売に加担するつもりはありません」
「へえ、立派な矜持ね。でも、その矜持のせいでこの店は明日にも潰れそうだけど?」
「……っ!」
図星を突かれ、ハーバートは唇を噛み締めた。
彼はかつて、王都でも有数の大手商会で番頭を務めるほどの実力者だった。しかし、上司の不正の責任を理不尽に押し付けられ、商会を追放されたのだ。
その後、なけなしの資金でこの小さな店を開いたが、大手の圧力と立地の悪さで客は寄り付かず、彼が得意とする「徹底したコスト管理」だけで、なんとか首の皮一枚繋がっている状態だった。
「あなた、優秀な商人なんでしょ? 帳簿を見ればわかるわ。一厘の無駄もない、完璧な計算。でも、計算だけじゃ金は稼げないのよ」
愛結はカウンターに身を乗り出し、悪魔のように囁いた。
「私のもとで働きなさい。あなたを『愛結商店』の総店長として迎えてあげる」
「……愛結商店だと? あの、最近王都の市場を荒らし回っているという、悪徳商会か!」
「人聞きの悪い。私たちはただ、顧客のニーズ(思い込み)に完璧に応えているだけよ」
愛結は、ポン、ポン、ポンと、金貨の入った袋を次々とカウンターに積み上げていく。
「契約金は金貨百枚。月給は金貨十枚。もちろん、売り上げに応じた歩合もつけるわ」
「なっ……!?」
ハーバートは息を呑んだ。
それは、大手商会の番頭時代でも見たことのないような破格の条件だった。彼の小市民的な計算脳が、一瞬でショートしそうになる。
「断るなら、この金で向かいの空き店舗を買い取って、あなたの店を完全に潰すわよ。どうする?」
飴(莫大な報酬)と鞭(暴力的な買収)。
愛結のやり方は、商人というよりも完全にマフィアのそれだった。
ナイジェルが後ろで「先生、脅迫は犯罪ですよ」と小声でツッコミを入れるが、愛結は無視する。
「……なぜ、私なのですか」
ハーバートは、震える声で尋ねた。
「私の商会には、武闘派の馬鹿と、暗殺者と、聖女と、勝手に仕事を増やす老害しかいないの。真面目に帳簿をつけて、経費を管理して、店舗を回してくれる『都合のいい常識人』が喉から手が出るほど欲しいのよ」
「……つまり、私に全ての雑務と管理を押し付けて、自分は楽をしたいと?」
「ご名答!」
愛結は悪びれもせず、満面の笑みで親指を立てた。
ハーバートは深く、深くため息をついた。
彼には、この誘いを断るという選択肢は最初からなかった。店を守るため、そして何より、目の前に積まれた金貨の魅力(魔力)には抗えなかったのだ。
「……わかりました。契約しましょう。ただし、私は私のやり方でやらせていただきます。一厘の無駄も許しませんよ」
「ええ、好きになさい。売り上げさえ出してくれれば、文句は言わないわ」
こうして、愛結商店に新たな犠牲者(有能な店長)が加わった。
愛結は「これでスローライフが送れる!」と歓喜したが、彼女はまだ気づいていなかった。
ハーバートの「一厘の無駄も許さない」という小市民的なコスト管理が、愛結の適当な経営方針と真っ向から衝突し、彼女の胃を激しく痛めつけることになるということに。




