拡大するビジネスと、崩壊するスローライフ
迷宮リゾートのオープンから数日後。
愛結商店の社長室には、かつてないほどの金貨の山と、それ以上に高く積み上げられた「書類の山」があった。
「……ねえ、ナイジェル。この書類の山は何?」
エレノア(愛結)が、引きつった笑顔で問いかける。
ナイジェル(蛯原)は、無慈悲な顔で書類の束をドン!と叩いた。
「迷宮リゾートの売り上げ報告書、貴族たちへの配当計算書、従業員(龍と虎を含む)の給与明細、そして……国に納める税金の申告書です」
「ぜ、税金!?」
「当たり前でしょう。これだけ派手に稼いで、国が黙っているわけがありません。王城の財務局から『愛結商店を大企業として認定し、最高税率を適用する』という通知が来ました」
愛結は頭を抱えた。
異世界に来てまで、確定申告や税金の計算に追われることになるとは思ってもみなかった。
「さらに、これを見てください」
ナイジェルが差し出したのは、一枚の立派な羊皮紙だった。
そこには『新規事業企画書:死の湖・リゾートスパ開発プロジェクト』と書かれている。
「な、何よこれ! 私、こんなの書いてないわよ!」
「ええ。バルガスさんが書きました」
ナイジェルが部屋の隅を指差すと、そこにはロッキングチェアで優雅に紅茶を啜るバルガスの姿があった。
「ふぉっふぉっふぉ。お嬢様、迷宮リゾートの大成功により、我が商会への出資希望が殺到しておりますぞ! この有り余る資金を使って、次は王都の南にある『死の湖』を高級スパリゾートとして開発しましょうぞ! すでにボルドー伯爵たちには話を通してあります!」
「勝手なことしないでよおおおお!!」
愛結の悲鳴が社長室に響き渡る。
バルガスは「ネット軍師(笑)」から、完全に「イケイケの事業拡大担当役員」へとクラスチェンジしてしまっていた。
有能な実行部隊(ゴードン、シャーリー、マリア、王子、さらには龍と虎)を手に入れたことで、彼の老獪なビジネスプランは次々と現実のものになってしまうのだ。
「……というわけで先生。バルガスさんが勝手に話を進めてしまった以上、社長であるあなたが『死の湖』の視察に行き、詳細な事業計画書と予算案を作成しなければなりません」
「嫌よ! 絶対に行かない! 私はスローライフがしたいの! 毎日昼寝して、美味しいお茶を飲んで、適当に暮らしたいのよ!」
愛結は子供のように床に転がり、ジタバタと暴れた。
しかし、元編集者であるナイジェルの目は、どこまでも冷酷だった。
「諦めてください、先生。あなたが適当に始めた商売が、あなたの首を絞めているんです。まさに『首縊りの迷宮』ですね」
「うまいこと言ってんじゃないわよ!!」
「さあ、泣き言を言っていないで、まずはこの税金の申告書にサインを。その後は『死の湖』の視察準備です。ゴードンたちにはすでに声をかけてあります」
ナイジェルは、愛結の手に無理やり羽ペンを握らせた。
「……前世の締め切りより、タチが悪いじゃない……」
愛結は絶望の涙を流しながら、分厚い書類の山にサインをし始めた。
――異世界に転生し、傾国の悪役令嬢となった金崎愛結。
彼女の目標は「適当に商売をして、締め切りのない世界でのんびり暮らす(スローライフ)」ことだった。
しかし、彼女の類まれなる(悪徳な)商才と、集まってしまった治安の悪い(有能な)従業員たち、そして老獪な役員の暴走により、愛結商店は王都の経済を牛耳る巨大企業へと成長してしまった。
「アユ様! 『死の湖』の視察、私もお供いたしますぞ! 不審な水竜がいれば、直ちに制圧してみせます!」
「ん。水着、買った。経費で落ちる?」
「お二人とも、経費の無駄遣いはダメですよ! アユ様、視察のお弁当は私が作りますね!」
「私も荷物持ちとして同行するぞ! 塩も持っていくか!?」
社長室の外からは、すっかり商会に馴染んだ個性豊かな従業員たちの、楽しげな声が聞こえてくる。
「……はあ。もう、どうにでもなれ」
愛結は深くため息をつき、そして――どこか吹っ切れたような、悪徳商人特有のニヤリとした笑みを浮かべた。
「いいわよ。どうせやるなら、王都の経済を完全に掌握してやるわ。ナイジェル! 『死の湖』の周辺の土地、今のうちに全部買い占めなさい!」
「……結局、あなたも楽しんでるじゃないですか」
かくして、愛結のスローライフの夢は完全に崩壊した。
しかし、彼女の「異世界での新たなビジネス(という名のドタバタ)」は、まだ始まったばかりである。
龍と虎を従え、王都の経済を揺るがす「傾国の悪役令嬢」の次なるターゲットは、果たしてどこになるのか。
それは、愛結の気まぐれと、ナイジェルの胃痛だけが知っている。




