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龍と虎の首縊りの迷宮  作者: 秦江湖


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2/7

スローライフの第一歩は、ぼったくりポーション屋から

「なんで!? なんで先生まで転生してるんですか!? しかもよりによって、一番ヤバい悪役令嬢のエレノアに!」


 クライス公爵家の豪華な一室で、執事のナイジェル――もとい、担当編集の蛯原文吾は頭を抱えていた。


 先ほどまでの冷静沈着な執事の面影はどこへやら、その姿は完全に「締め切り破りの常習犯を追い詰める哀れな編集者」そのものである。


「こっちが聞きたいわよ!なんであんたが私の執事になってるのよ!せっかく締め切りのない自由な世界に来たと思ったのに、これじゃあ前世と変わらないじゃない!」


「前世と変わらないのは僕の胃袋の負担だけです!いいですか先生、ここは先生が書いた『龍と虎の首縊りの迷宮』の世界なんですよ!?エレノアは最終的に世界中から命を狙われて、大戦争を引き起こす超絶ハードモードなキャラクターじゃないですか!」


「あー、そういえばそんな設定にした気もするわね」


「他人事みたいに言わないでください!」


 蛯原の悲鳴に近いツッコミを、愛結エレノアは小指で耳をほじりながら聞き流した。


 彼女にとって、自分が書いた設定など過去の遺物にすぎない。大事なのは「今」である。


「まあまあ、落ち着きなさいよ文吾。いや、今はナイジェルって呼んだ方がいいわね」


「……ええ、まあ。一応、僕はクライス公爵家に代々仕える家系の出身で、幼い頃からエレノアお嬢様――つまり先生の専属執事として教育を受けてきた、という設定のようです」


「ふーん。便利でいいじゃない。じゃあナイジェル、さっそく私のスローライフ計画に協力しなさい」


「スローライフ?」


 ナイジェル(蛯原)が訝しげに眉をひそめると、エレノア(愛結)は悪びれる様子もなく胸を張った。


「そうよ。せっかく異世界に来たんだから、のんびり気ままに生きたいじゃない。だから私、商売を始めることにしたわ」


「……商売、ですか?」


「ええ。とりあえず、手始めに『ぼったくりポーション屋』をやるわ」


「スローライフの概念が根底から間違ってませんか!?」


 ナイジェルのツッコミが部屋に響き渡る。


「なんで初手から犯罪スレスレの商売を始めるんですか!そもそも、公爵家の令嬢がポーション屋なんてやる必要ないでしょう!実家が超お金持ちなんですから!」


「甘いわねナイジェル。親の金で遊んで暮らすのは『ニート』であって『スローライフ』じゃないのよ。自分で適当に稼いで、適当に暮らす。これが真のスローライフよ。それに、私、すぐ飽きるから。ポーション屋に飽きたら、次は怪しい壺でも売るわ」


「どんどん詐欺師に近づいてるじゃないですか!」


 頭を抱えるナイジェルをよそに、エレノアは鼻歌交じりで部屋の机に向かった。


 そして、羽ペンを手に取ると、スラスラと何やら羊皮紙に書き付け始めた。


「ほら、ナイジェル。これが第一弾の商品の企画書よ」


「……企画書?」


 ナイジェルは恐る恐る羊皮紙を受け取った。

 そこには、達筆な文字でこう書かれていた。


『ただの水(着色料入り) 〜これを飲めば勇者になれる気がするポーション〜 価格:金貨十枚』


「……先生」

「なに?」


「これ、ただの詐欺ですよね?」


「失礼ね!『気がする』ってちゃんと書いてあるじゃない。嘘は言ってないわよ」


「そういう問題じゃありません!だいたい、金貨十枚って平民の月収の半年分ですよ!こんなもの、誰が買うんですか!」


 ナイジェルが吠えると、エレノアはふっと不敵な笑みを浮かべた。


 それは、彼女が現実世界で「絶対に売れる」と確信したプロットを提出する時と同じ、自信に満ちた表情だった。


「ナイジェル。あなたは分かってないわね。人間っていうのはね、本当に価値があるものにお金を払うわけじゃないの。『価値があると思い込まされたもの』にお金を払うのよ」


「……はあ」


「いい? このポーションはただの水よ。でも、『傾国の美貌を持つ公爵令嬢が、自らの手で調合した(という設定の)神秘の秘薬』として売ればどうなるかしら?」


「……まさか」


 ナイジェルは背筋に悪寒が走るのを感じた。


 この世界におけるエレノアの美貌は、まさに「傾国」レベルである。彼女の熱狂的な信者や、公爵家に取り入ろうとする貴族たちは星の数ほどいる。


 彼らなら、エレノアが「これは万病に効くポーションです」と言ってただの泥水を売っても、喜んで大金を払うだろう。


「ほら、分かってきたじゃない。というわけでナイジェル、さっそく公爵家の資金を少し拝借して、王都の一等地に店舗を構えなさい。内装は無駄に豪華にしてね」


「……本気ですか」


「本気よ。さあ、忙しくなるわよ!私の華麗なるスローライフの幕開けよ!」


 高笑いするエレノアを前に、ナイジェルは深く、深くため息をついた。


 締め切りからは解放されたかもしれない。しかし、この傍若無人な作家に振り回される日々は、異世界でも終わることはなさそうだった。



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