スローライフの第一歩は、ぼったくりポーション屋から
「なんで!? なんで先生まで転生してるんですか!? しかもよりによって、一番ヤバい悪役令嬢のエレノアに!」
クライス公爵家の豪華な一室で、執事のナイジェル――もとい、担当編集の蛯原文吾は頭を抱えていた。
先ほどまでの冷静沈着な執事の面影はどこへやら、その姿は完全に「締め切り破りの常習犯を追い詰める哀れな編集者」そのものである。
「こっちが聞きたいわよ!なんであんたが私の執事になってるのよ!せっかく締め切りのない自由な世界に来たと思ったのに、これじゃあ前世と変わらないじゃない!」
「前世と変わらないのは僕の胃袋の負担だけです!いいですか先生、ここは先生が書いた『龍と虎の首縊りの迷宮』の世界なんですよ!?エレノアは最終的に世界中から命を狙われて、大戦争を引き起こす超絶ハードモードなキャラクターじゃないですか!」
「あー、そういえばそんな設定にした気もするわね」
「他人事みたいに言わないでください!」
蛯原の悲鳴に近いツッコミを、愛結は小指で耳をほじりながら聞き流した。
彼女にとって、自分が書いた設定など過去の遺物にすぎない。大事なのは「今」である。
「まあまあ、落ち着きなさいよ文吾。いや、今はナイジェルって呼んだ方がいいわね」
「……ええ、まあ。一応、僕はクライス公爵家に代々仕える家系の出身で、幼い頃からエレノアお嬢様――つまり先生の専属執事として教育を受けてきた、という設定のようです」
「ふーん。便利でいいじゃない。じゃあナイジェル、さっそく私のスローライフ計画に協力しなさい」
「スローライフ?」
ナイジェル(蛯原)が訝しげに眉をひそめると、エレノア(愛結)は悪びれる様子もなく胸を張った。
「そうよ。せっかく異世界に来たんだから、のんびり気ままに生きたいじゃない。だから私、商売を始めることにしたわ」
「……商売、ですか?」
「ええ。とりあえず、手始めに『ぼったくりポーション屋』をやるわ」
「スローライフの概念が根底から間違ってませんか!?」
ナイジェルのツッコミが部屋に響き渡る。
「なんで初手から犯罪スレスレの商売を始めるんですか!そもそも、公爵家の令嬢がポーション屋なんてやる必要ないでしょう!実家が超お金持ちなんですから!」
「甘いわねナイジェル。親の金で遊んで暮らすのは『ニート』であって『スローライフ』じゃないのよ。自分で適当に稼いで、適当に暮らす。これが真のスローライフよ。それに、私、すぐ飽きるから。ポーション屋に飽きたら、次は怪しい壺でも売るわ」
「どんどん詐欺師に近づいてるじゃないですか!」
頭を抱えるナイジェルをよそに、エレノアは鼻歌交じりで部屋の机に向かった。
そして、羽ペンを手に取ると、スラスラと何やら羊皮紙に書き付け始めた。
「ほら、ナイジェル。これが第一弾の商品の企画書よ」
「……企画書?」
ナイジェルは恐る恐る羊皮紙を受け取った。
そこには、達筆な文字でこう書かれていた。
『ただの水(着色料入り) 〜これを飲めば勇者になれる気がするポーション〜 価格:金貨十枚』
「……先生」
「なに?」
「これ、ただの詐欺ですよね?」
「失礼ね!『気がする』ってちゃんと書いてあるじゃない。嘘は言ってないわよ」
「そういう問題じゃありません!だいたい、金貨十枚って平民の月収の半年分ですよ!こんなもの、誰が買うんですか!」
ナイジェルが吠えると、エレノアはふっと不敵な笑みを浮かべた。
それは、彼女が現実世界で「絶対に売れる」と確信したプロットを提出する時と同じ、自信に満ちた表情だった。
「ナイジェル。あなたは分かってないわね。人間っていうのはね、本当に価値があるものにお金を払うわけじゃないの。『価値があると思い込まされたもの』にお金を払うのよ」
「……はあ」
「いい? このポーションはただの水よ。でも、『傾国の美貌を持つ公爵令嬢が、自らの手で調合した(という設定の)神秘の秘薬』として売ればどうなるかしら?」
「……まさか」
ナイジェルは背筋に悪寒が走るのを感じた。
この世界におけるエレノアの美貌は、まさに「傾国」レベルである。彼女の熱狂的な信者や、公爵家に取り入ろうとする貴族たちは星の数ほどいる。
彼らなら、エレノアが「これは万病に効くポーションです」と言ってただの泥水を売っても、喜んで大金を払うだろう。
「ほら、分かってきたじゃない。というわけでナイジェル、さっそく公爵家の資金を少し拝借して、王都の一等地に店舗を構えなさい。内装は無駄に豪華にしてね」
「……本気ですか」
「本気よ。さあ、忙しくなるわよ!私の華麗なるスローライフの幕開けよ!」
高笑いするエレノアを前に、ナイジェルは深く、深くため息をついた。
締め切りからは解放されたかもしれない。しかし、この傍若無人な作家に振り回される日々は、異世界でも終わることはなさそうだった。




