迫り来る締め切りと、適当な迷宮ビジネス
「……書けない。何も、書けないわ……」
深夜の愛結商店・社長室。
エレノア(愛結)は、白紙の羊皮紙を前にして、虚ろな目で宙を見つめていた。
その右手には羽ペンが握られているが、インクはすっかり乾ききっている。
「先生。現実逃避しても無駄ですよ。明日の朝までに『来期の新規事業企画書』を提出してもらわないと、貴族たちからの出資(サブスク代)の言い訳が立ちませんからね」
背後から、ナイジェル(蛯原)の冷酷な声が響く。
前世(作家時代)、幾度となく愛結を追い詰めてきた「担当編集の催促の声」と全く同じトーンだった。
「わ、分かってるわよ! でも、漬物ビジネスが当たりすぎて、これ以上の新規事業なんて思いつかないのよ! 私、スローライフがしたくて転生したのよ!? なんで前世より締め切りに追われてるのよ!」
「自業自得です。あなたが適当に風呂敷を広げすぎたからです。さあ、泣き言を言ってないで手を動かしてください」
ナイジェルは容赦なく新しいインク壺をドンと置いた。
愛結は頭を抱え、デスクに突っ伏した。
――締め切り。
それは、作家・金崎愛結にとって最も恐ろしい魔物の名前である。
転生先の世界にまでこの魔物がついてくるとは、思ってもみなかった。
「……あー、もう! 適当でいいわよね! どうせあの貴族たち、私が適当にそれっぽいことを書けば『おお、素晴らしい!』って騙されるんだから!」
「まあ、否定はしませんが。で、どんな事業にするんですか?」
愛結はヤケクソ気味に羽ペンを走らせ始めた。
何か、インパクトがあって、金がかかりそうで、それでいて自分が何もしなくていいビジネス……。
「……そうだ。この世界には、まだ誰も手をつけていない巨大な未開拓市場ブルーオーシャンがあるじゃない」
「未開拓市場?」
「ええ。原作の設定で、私が『なんとなくかっこいいから』って理由だけで適当に名前をつけた、あの場所よ」
愛結は羊皮紙に、デカデカと文字を書き殴った。
『新規事業企画:【龍と虎の首縊りの迷宮】リゾート開発プロジェクト』
「……は?」
ナイジェルが絶句する。
「『龍と虎の首縊りの迷宮』。王都の北にある、絶対に生きては帰れないと言われる最凶のダンジョンよ。あそこを、冒険者向けのテーマパークとして開発するのよ!」
「馬鹿言わないでください! あそこは原作でも、ラスボス級の魔物がうようよしてる危険地帯ですよ! 『首縊り』なんて物騒な名前がついてるくらいですからね!」
「名前の由来なんて、私が前世で『締め切り首が縊れる思いだ』って思いながら書いたからよ。深い意味なんてないわ」
「最低なネーミング理由ですね!」
愛結はニヤリと笑い、さらに企画書を書き進める。
「いい? 迷宮の入り口に料金所を作って、冒険者から『入場料』を取るの。中で死にそうになったら、うちのゴードンやシャーリーを『お助けお助けオプション(金貨百枚)』で派遣する。さらに、迷宮内でしか買えない限定ポーションを高値で売りつける! これぞ、命知らずの冒険者をターゲットにした究極のエンタメビジネスよ!」
「……先生。あなた、本当に性格悪いですね」
ナイジェルは呆れ果てたが、同時に「これなら貴族たちも『未知の資源開拓』という名目で出資するかもしれない」と、元編集者(現・執事)としての冷静な計算も働いてしまった。
「よし、書けた! これを明日の朝、バルガス爺さんに渡して貴族たちにプレゼンさせなさい! 私は寝る!」
「あ、ちょっと先生! 予算の概算が全く書かれてませんよ!?」
愛結は羽ペンを放り投げ、ネグリジェ姿のままベッドへとダイブした。
五秒後には、安らかな寝息が聞こえてくる。
「……はあ。結局、尻拭い(予算の計算)は僕ですか」
ナイジェルは愛結の寝顔を恨めしそうに睨みつけ、ため息をつきながら企画書の続きを書き始めた。
まさか、この「締め切り逃れのために適当にでっち上げた企画書」が、後に国中を巻き込む大騒動――そして、原作の根幹に関わる『龍』と『虎』の真実へと繋がっていくことになるとは、この時の二人は知る由もなかった。




