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龍と虎の首縊りの迷宮の悪役令嬢  作者: 秦江湖


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暗殺者の流儀と、残業代の魔法

 深夜の愛結商店。

 日中の喧騒が嘘のように静まり返った店内で、シャーリーは暗闇に溶け込むように立っていた。


 彼女は元・暗殺者である。

 幼い頃から裏社会の組織に拾われ、感情を殺し、ただ命を奪うための道具として育てられた。

 クライス公爵家の令嬢・エレノアを暗殺するという任務を帯びて、メイドとして潜入したのが数ヶ月前。

 しかし、彼女の任務は、標的であるエレノア――いや、金崎愛結という異世界からの転生者によって、完膚なきまでに叩き潰されたのだった。


『あなた、ナイフの扱いが上手いなら、ポーションの瓶詰めとラベル貼りを手伝いなさい。時給は弾むわよ』


 あの日のエレノアの言葉を思い出し、シャーリーは無表情のまま小さく息を吐いた。

 暗殺者としての誇りは、銀貨という名の圧倒的な物理的対価の前に敗れ去ったのだ。


 ――ガタッ。


 裏口の方で、微かな物音がした。

 シャーリーの目が、瞬時に暗殺者のそれに変わる。音もなく短剣を抜き、気配を殺して裏口へと向かう。

 鍵が外され、扉が静かに開く。月明かりに照らされて現れたのは、黒装束に身を包んだ三人の男たちだった。


「……遅かったな、シャーリー」


 先頭の男が、低い声で言った。

 シャーリーは短剣を構えたまま、男たちを冷たく見据える。


「……組織の人間。何の用」

「とぼけるな。標的であるエレノア・クライスを始末せず、こんな怪しい店でメイドごっこをしているとは。組織への裏切りと見なし、お前を粛清しに来た」


 男たちが一斉に武器を構える。

 組織の掟は絶対だ。裏切り者には死あるのみ。シャーリー自身、かつては裏切った同胞をその手で葬ってきた。

 今度は自分がその番になっただけだ。


「……ん。仕方ない」


 シャーリーは姿勢を低くし、戦闘態勢に入った。

 三対一。しかも相手は組織の精鋭。勝てる保証はない。だが、なぜか今の彼女には、死への恐怖よりも別の感情が渦巻いていた。

 ――明日、壺の納品が五十個あるのに。私が死んだら、誰がラベルを貼るの?

 そんな、暗殺者らしからぬ考えが脳裏をよぎった瞬間だった。


「ちょっと! 夜中にうるさいわね! 明日は朝から商工会議所のジジイどもと打ち合わせなんだから、寝かせなさいよ!」


 バタン! と乱暴に扉が開き、シルクのネグリジェ姿のエレノア(愛結)が姿を現した。

 手には、なぜか金貨五十枚の「ただの壺」が握られている。


「……標的! ちょうどいい、ここでまとめて始末してやる!」


 男の一人が、エレノアに向かって飛びかかった。

 シャーリーが「危ない」と声を上げるより早く――。


「うるさいって言ってるでしょ!!」


 ガツォォォォン!!


 エレノアがフルスイングで振り抜いた「ただの壺」が、男の顔面にクリーンヒットした。

 男は白目を剥いて吹き飛び、壁に激突して気を失う。

 壺は木っ端微塵に砕け散った。


「なっ……!?」

「き、貴様、ただの令嬢ではないのか!?」


 残る二人の男が驚愕の声を上げる。

 エレノアは砕けた壺の破片をポイと捨て、不機嫌そうに男たちを睨みつけた。


「あんたたち、シャーリーの昔の同僚? 悪いけど、彼女は今うちの店の正社員フルタイムなの。勝手に引き抜こうとしないでくれる?」

「ふざけるな! 裏切り者は死――」

「シャーリー」


 エレノアが、無表情のシャーリーを振り返った。


「こいつら追い払ったら、特別ボーナスとして銀貨十枚出すわ。あと、明日の朝食はマリア特製のパンケーキにしてあげる」

「……!」


 シャーリーの目が、カッと見開かれた。

 銀貨十枚。それは、組織で命がけの暗殺をこなしても得られるかどうかという大金だ。

 そして何より、マリアのパンケーキ。


「……ん。仕事、する」


 シャーリーの姿が、ブレた。

 次の瞬間、残る二人の男の背後に回り込み、その首筋に冷たい刃を突きつけていた。


「ヒッ……!」

「動かないで。動いたら、ボーナスが減る」


 シャーリーの圧倒的な速度に、男たちは完全に戦意を喪失し、武器を床に落とした。

 暗殺者としての技術が、完全に「ボーナスを稼ぐためのスキル」として昇華された瞬間だった。


「はい、お疲れ様。ナイジェル! こいつら縛って、明日の朝、王都の警備隊に突き出しておいて!」

「……先生、僕も寝てたんですけど。深夜手当は出ますよね?」


 パジャマ姿で目をこすりながら現れたナイジェル(蛯原)が、ため息をつきながら縄を用意し始める。


「……アユ様」


 シャーリーが、短剣をしまってエレノアの前に歩み寄った。


「ん? 何よ」

「……パンケーキ、メープルシロップ多めで」

「はいはい。マリアに言っておくわ」


 エレノアはあくびをしながら、自分の寝室へと戻っていった。

 シャーリーは、縛り上げられたかつての同胞たちを見下ろし、無表情のまま小さく呟いた。


「……組織より、こっちの方がホワイト」


 かくして、組織からの刺客は物理(壺)と圧倒的な資本主義の前に敗れ去り、シャーリーは今日も平和に(?)ラベル貼りの業務に勤しむのであった。



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