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龍と虎の首縊りの迷宮  作者: 秦江湖


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王子様はブラック企業で輝く

 聖女マリアが愛結商店のアルバイトとして働き始めてから、数日が経過した。


 エレノア(愛結)の目論見通り、マリアの「聖女スマイル」の破壊力は凄まじかった。彼女が「いらっしゃいませ!」と微笑むだけで、怪しい壺も謎の色水も飛ぶように売れていく。


 純真無垢な聖女が詐欺の片棒を担がされている構図に、ナイジェル(蛯原)の胃痛は加速する一方だった。


「……先生。マリアさんをこのまま働かせていて、本当に大丈夫なんですか?」


「何がよ。時給はちゃんと払ってるし、まかないも出してるわよ。完全なホワイト企業じゃない」


「労働条件の話じゃありません!原作のストーリーですよ!本来なら、マリアさんは王立学園で『王子様』と運命の出会いを果たすはずじゃないですか!こんなところでレジ打ちさせてたら、物語が崩壊しますよ!」


 ナイジェルが声を潜めて抗議する。


 原作『龍と虎の首縊りの迷宮』において、聖女マリアと第一王子アルベルトの身分差の恋は、物語の大きな軸の一つである。そのヒロインが毎日「いらっしゃいませー! 壺はいかがですかー!」と元気に接客しているのだから、原作ブレイクもいいところだ。


「いいじゃない、別に。王子様なんて、どうせ顔がいいだけのポンコツでしょ」


「先生が自分で書いた設定でしょうが!」


 その時、入り口のドアベルがけたたましく鳴った。


「お嬢様!金髪でキラキラした無駄に顔の良い男が来ました!買わないようなら叩き斬りますか!」


「だから斬るな! ……って、え?」


 ゴードンの報告にナイジェルが入り口を見ると、そこには、白馬に乗ってそのまま店に入ってきそうなほどキラキラとしたオーラを放つ、金髪碧眼の美青年が立っていた。


「……アルベルト第一王子」


 ナイジェルが絶望の声を漏らす。


 なんと、王子様の方から店にやってきてしまったのだ。


「マリア! 探したぞ!」


 アルベルト王子は、レジ打ちをしていたマリアの元へ駆け寄った。


「あ、アルベルト様……? どうしてここに」


「君が学園を休んで、こんな怪しい店で働いていると聞いてな!さあ、こんな悪徳商法からは足を洗って、私と共に王宮へ行こう!君の孤児院の資金なら、私がなんとかしてやる!」


 王子の熱い言葉に、マリアは一瞬驚いた顔をした後――困ったように微笑んだ。


「お気遣いありがとうございます、アルベルト様。でも、私、この仕事がとても楽しいんです」


「……は?」


「アユ様は、私に『奇跡は自分の手で稼ぐもの』だと教えてくださいました。私、自分の力で孤児院の子供たちを養いたいんです。それに、ここの皆さんはとても優しくて……」


 マリアが、無表情で壺を磨くシャーリー、入り口で仁王立ちするゴードン、お茶をすするバルガスを愛おしそうに見つめる。


 完全に「アユ教」の信者になっていた。


「そ、そんな馬鹿な……!君は騙されているんだ!おい、この店の責任者は誰だ!」


 アルベルト王子が激昂して店内を見回す。


 エレノアは「面倒くさいわね」とため息をつきながら、王子の前に進み出た。


「私ですが。何か文句でも?」


「お前がマリアをたぶらかした……って、エ、エレノア!?」


 アルベルト王子は、エレノアの顔を見て素っ頓狂な声を上げた。


 原作では、エレノアはアルベルト王子の婚約者候補であり、彼をマリアから奪おうと執拗に迫る役回りである。王子からすれば、エレノアは「自分に付きまとうストーカー令嬢」のはずだった。


「なぜ君がこんなところにいる!まさか、私への当てつけでマリアを……!」


「自意識過剰ね。私はただ、優秀な人材を雇っただけよ。営業の邪魔だから、壺を買わないなら帰ってくれない?」


「なっ……!私に向かってその態度はなんだ!」


 顔を真っ赤にして怒る王子。


 しかし、エレノアは全く動じない。むしろ、王子のその「無駄に顔が良くて、プライドが高くて、少しポンコツ」な姿を見て、ある閃きを得ていた。


「ねえ、アルベルト王子」


「な、なんだ」


「あなた、暇ならうちで働かない?『王国の第一王子が接客してくれる店』って宣伝すれば、王都中の貴族の令嬢たちがこぞって壺を買いに来るわよ。時給はマリアと同じ銀貨五枚でどう?」


「……は?」


 王子が絶句する。

 ナイジェルも絶句した。


「先生!?一国の王子を時給制のバイトで雇う気ですか!?」


「いいじゃない。どうせ暇なんでしょ? マリアのそばにもいられるし、一石二鳥じゃない」


「っ……! マ、マリアのそばにいられるなら……いや、しかし私は王子で……!」


 葛藤するアルベルト王子。しかし、マリアの「アルベルト様と一緒に働けたら、私、嬉しいです」という無自覚な聖女スマイルの一撃により、彼はあっさりと陥落した。


「……わ、分かった!マリアを守るためだ、働いてやろう!」


「よし、採用!ゴードン、彼に接客の基本を教えてやって!」


「はっ!まずは『買わない客をどう叩き斬るか』から教え込みます!」


「それは教えるな!!」


 かくして、愛結商店には「聖女」に続き「第一王子」までもがアルバイトとして加わることになった。


 原作のドロドロの愛憎劇は完全に消滅し、残されたのは、ただひたすらに売り上げを伸ばし続けるブラック企業(?)の姿だけであった。



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