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龍と虎の首縊りの迷宮  作者: 秦江湖


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聖女の涙と、悪役令嬢の良心(?)

 実家からの監査を無事に(ハッタリで)乗り切った愛結商店は、今日も平和に悪徳商法を続けていた。


 貴族たちには「幸運を呼ぶ伝説の壺(金貨五十枚)」を売りつけ、冒険者たちには「勇者になれる気がするポーション(金貨十枚)」を売りつける。王都の経済は、この小さな店を中心に回り始めていると言っても過言ではなかった。


「ふふふ……お金が勝手に増えていくわ。これが真のスローライフね」


「それはスローライフじゃなくて、ただの不労所得です。しかも詐欺の」


 札束の風呂に浸かりそうな勢いのエレノア(愛結)に、ナイジェル(蛯原)が冷たく突っ込む。

 その時、入り口のドアベルが控えめに鳴った。


「お嬢様! みすぼらしい服を着た女が来ました! 金を持っていなさそうなので叩き斬りますか!」


「ゴードン、お前は本当に学習能力がないな! 剣をしまえ!」


 ナイジェルがゴードンを制止し、入り口へと向かう。


 そこに立っていたのは、粗末な修道服に身を包んだ、銀髪の可憐な少女だった。


 透き通るような白い肌に、慈愛に満ちた翠緑の瞳。彼女の姿を見た瞬間、ナイジェルは息を呑んだ。


「……先生。ヤバいのが来ました」


「ヤバいの? ああ、貧乏そうな客なら適当に追い返し……」


 エレノアがカウンターから顔を出し、少女の顔を見て言葉を失った。


「……マリア?」


「はい。あの、マリアと申します。こちらに、どんな願いでも叶えてくれる『奇跡の壺』があると伺って……」


 マリア。


 それは原作『龍と虎の首縊りの迷宮』における、正真正銘のメインヒロイン――「聖女」の名前だった。


 本来の物語であれば、エレノアはこの聖女マリアを徹底的にいじめ抜き、最終的に王子様を巡ってドロドロの愛憎劇を繰り広げるはずなのだ。


「ちょっとナイジェル!なんでヒロインがこんなところに来てるのよ!」


「僕に聞かないでください!おそらく、貴族たちの間で広まった『壺』の噂が、尾ひれをつけて市井にまで広まってしまったんでしょう!」


 小声で言い争う二人の前で、マリアはボロボロの布袋から、ジャラジャラと小銭を取り出した。

 銅貨、銀貨、そしてわずかばかりの金貨。


「あの……私、孤児院で子供たちの世話をしているのですが、今年の冬を越すための資金が足りなくて……。この『奇跡の壺』にお祈りすれば、子供たちを救えるかもしれないと聞いて、孤児院の全財産を持ってきました。どうか、この壺を私に売っていただけませんか?」


 マリアの目から、ポロリと大粒の涙がこぼれ落ちる。


 そのあまりにも純真で、あまりにも健気な姿に、店内は水を打ったように静まり返った。


「……ん。私、こういうの苦手」


 元・暗殺者のシャーリーが、気まずそうに目を逸らす。


「うおおおおお! なんという悲しき運命! このゴードン、涙が止まりませぬ!」


 脳筋騎士のゴードンは、滝のように涙を流して号泣している。


「ふぉっふぉっふぉ……。さすがのわしも、この純真無垢な少女から全財産を巻き上げるのは、少々寝覚めが悪いですな」


 悪徳商工会議所役員のバルガスでさえ、バツが悪そうに咳払いをした。


 そしてナイジェルは、無言でエレノアを睨みつけている。「まさか、この子から巻き上げる気じゃないでしょうね」という、編集者としての無言の圧力だった。


「……わ、分かってるわよ! 私だって鬼じゃないんだから!」


 エレノアは頭をガシガシと掻きむしり、大きなため息をついた。


 そして、カウンターから出てマリアの前に立つと、彼女の差し出した小銭の山をそっと押し返した。


「マリア。この壺はね、ただの銅貨一枚の壺よ。奇跡なんて起こらないわ」


「えっ……? で、でも、噂では……」


「噂は噂よ。あなたみたいな純粋な子が、こんなガラクタに全財産を使っちゃダメ」


 エレノアは、自分が売りつけていた壺を「ガラクタ」と切り捨てた。


 そして、マリアの肩に手を置き、あの「本質を突く言葉」を紡ぐ。


「奇跡っていうのはね、壺にお祈りして起こるものじゃないの。自分の手で、知恵で、汗水垂らして掴み取るものよ。……あなた、孤児院の子供たちを救いたいんでしょ?」


「はい……!」


「なら、神様や壺に頼るんじゃなくて、自分で稼ぎなさい。ちょうど今、うちの店は人手不足なの。あなた、今日からここで働きなさい。時給は銀貨五枚。まかない付きよ」


 その言葉に、マリアはパァッと顔を輝かせた。


「ほ、本当ですか!? 私、一生懸命働きます! ありがとうございます、アユ様!」


 マリアがエレノアの手にすがりつき、何度も頭を下げる。

 その光景を見て、ナイジェルは深く安堵のため息をついた。


「……先生。たまには良いこともするんですね」


「うるさいわね。ヒロインを泣かせたら、読者(神様)に怒られるでしょ。それに、彼女の『聖女スマイル』を接客に使えば、売り上げが三倍は跳ね上がるわよ」


「結局、金儲けの道具にする気じゃないですか!」


 かくして、本来なら敵対するはずの「悪役令嬢」と「聖女」は、まさかの「悪徳オーナーとアルバイト店員」という形で運命の交差を果たすのであった。



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