新任教師リディアと数年ぶりの再会
展示会用の大講堂へ続く廊下で、空気が一瞬だけ止まった。
愛結たちの前に、淡い栗色の髪を上品にまとめた若い女性が立っていた。濃紺の教師用ローブを着こなす、柔らかな物腰の美人である。
「展示会の担当を引き継ぎます。新任教師のリディア・フェルナーです」
リディアはナイジェルの姿を見るなり、薄い茶色の瞳を大きく見開いた。
「……ナイジェル?」
「リディア」
ナイジェルもまた、普段なら決して崩さない事務的な表情を忘れたように立ち尽くしていた。
見た目はいつもの過労執事そのものなのに、声だけが少し若返ったように聞こえる。
「本当に、ナイジェルなのね。卒業してから、ずっと会っていなかったから……」
リディアは嬉しそうに微笑み、ためらいなく彼の手を両手で包んだ。
「……っ」
その瞬間。
愛結の手の中で、展示会のカタログがぐしゃりと潰れた。
「先生?」
ナイジェルが、はっと振り返る。
「な、何よ。紙質の耐久性を確かめただけよ」
愛結は潰れたカタログを背中へ隠した。
リディアは楽しそうに小さく笑った。
「変わっていないのね。昔も、あなたは困ったようにため息をつきながら、誰かの無茶に付き合っていたわ」
「……学生時代から、そうだったの?」
愛結の声が、思ったより低くなった。
「ええ。試験前でも同級生にノートを貸し、先生に資料整理を頼まれて。自分のことを後回しにしてばかりだったわ」
リディアは懐かしそうにナイジェルを見た。
「図書室で帳簿の計算をしたまま眠って、毛布を掛けた私に翌朝ずっと謝っていたこともあったわね」
「……そんなこともありましたね」
ナイジェルの口元が、自然にほころぶ。
愛結の胸が熱くなった。自分の知らないナイジェルを、目の前の女は当たり前のように知っている。
(別に、どうでもいいでしょう。学生時代なんて、今の利益に関係ないわ)
そう思うのに、指は緩まなかった。
「申し遅れました」
愛結は、営業用の完璧な笑みを浮かべ、リディアへ一歩近づく。
「私はエレノア・クライス。愛結商店の代表取締役社長よ。今回の展示会では、あなたの学園に莫大な利益をもたらしてあげるわ」
「エレノア様……。つい先日ご卒業された、クライス公爵家の令嬢ですね」
リディアは丁寧に礼を取った。
「ナイジェルが仮教師として付き添っていた時も、随分と印象的な生徒だったと伺っています」
「そう。私はどこにいても目立つもの」
「ですが、驚きました。ナイジェルがエレノア様の専属執事をしているなんて」
「驚くことじゃないわ。こいつは私が拾って、教育して、使いこなしている優秀な人材よ」
「先生。言い方に問題があります」
「事実でしょう」
愛結がきっぱり言い切ると、リディアはまた微笑んだ。
「そうですか。ナイジェルが今も誰かのために一生懸命働いているなら、安心しました」
優しいはずの言葉が、愛結には妙に引っかかった。
「さて」
愛結は話を切り替えた。
「昔話はそこまでよ。展示会の設営を説明して。卒業生どもの思い出を金貨に変える仕事があるの」
「……先生。せめて学園の方には、もう少し穏やかな表現を」
ナイジェルのため息を聞き流し、愛結は大講堂へ歩き出した。
その背中から、ぐしゃぐしゃに潰れたカタログが一枚、はらりと落ちた。
愛結はそれに気づかなかったふりをして、いつもより少しだけ速い足取りで廊下の先へ進んでいった。




