卒業後の学園と付き添い執事の記憶
数日後。
愛結商店の荷馬車は、「青春回顧録」をぎっしり積み込んで王立学園の正門前へ到着した。
春の陽光を受けた白亜の校舎は、卒業後に見ると少しだけ他人行儀に見えた。
「……相変わらず、無駄に広いわね」
愛結は馬車から降りると、校舎全体を品定めするように見上げた。
「この土地を商業区画にしたら、どれだけの利益が出るかしら。大講堂なんて、客を詰め込める劇場にした方が――」
「先生。卒業された母校を、開口一番で再開発しないでください」
背後からナイジェルの穏やかなツッコミが飛ぶ。
荷馬車から書類箱を抱えて降りてきた。銀縁メガネの奥には相変わらず疲労の色が浮かんでいるが、学園の正門を見た時だけ、その表情がほんの少し柔らかくなった。
「何よ。あんたまで感傷に浸るつもり?」
「いえ。ただ……先生が入学された初日から同行を命じられ、仮教師としてここへ来た日のことを思い出しただけです」
「命じたんじゃないわ。優秀な人材を連れていった方が、学校生活の効率が良いと思っただけよ」
「はい。そういうことにしておきます」
ナイジェルが小さく笑い、愛結の胸の奥が理由もなくくすぐったくなった。
愛結はすぐに顔を背け、待機していたゴードンへ指を突きつけた。
「ゴードン! 額縁は一枚ずつ運びなさい。勢いで二枚持ちして落としたら、今月の食費を半額にするわよ!」
「アユ様ああああ! このゴードン、繊細な魔導具であろうと、赤子を抱くように丁重に扱ってみせますぞおおお!」
ゴードンは巨大な額縁を一枚だけ、なぜか胸に抱きしめるように持ち上げた。
その後ろから、シャーリーが静かに荷台へ飛び乗る。
「……ん。壊しそうな奴がいたら、先に指を折る」
「ダメよ! まず注意して、それでもダメなら私に報告しなさい!」
「……ん。面倒」
愛結が頭を抱えていると、正門の奥から見覚えのある教師が駆け寄ってきた。
「エレノア様! ご卒業以来ですね。愛結商店の皆様も、ようこそお越しくださいました」
教頭が丁寧に一礼し、続いてナイジェルへも礼を取った。
「ナイジェル先生にも、またお目にかかれて光栄です」
「いえ、私はあくまで期間限定の仮教師でしたので……」
ナイジェルは困ったようにメガネへ手を添える。
「先生、と呼ばれるのは嫌なの?」
愛結が何気なく尋ねると、ナイジェルは少し考えてから首を横に振った。
「嫌ではありません。ですが、私が本当に仕えるべき方は、今も昔も先生だけですから」
「……っ」
愛結の足が、不自然に止まった。
「な、何を当たり前みたいに言ってるのよ! あんたは私の専属執事なんだから、勝手に他の誰かへ仕えたら減給よ!」
「畏まりました、先生」
ナイジェルはいつもの調子で答えたが、その声はどこか楽しげだった。
愛結は耳まで熱くなるのを誤魔化すように、先頭に立って歩き出す。
「さあ、展示会の会場を見せてもらうわ! あんたたち、ぼさっとしてないで付いてきなさい!」
愛結は歴代卒業生の肖像画を横目に、展示の導線と客の滞留時間を計算していた。
「入口の正面に大型の実演機を置くわ。泣いた直後が一番、財布の紐が緩いもの」
「利益になる思い出なら、何だって大切にするわよ」
愛結が胸を張った、その時だった。
「……失礼します。展示会の担当を引き継ぎます、新任教師のリディア・フェルナーです」
背後から、落ち着いた女性の声が響いた。
振り返ったナイジェルが、珍しく目を見開く。
「……リディア?」
愛結は、ナイジェルが見せたことのない表情に、説明のできない不穏な予感を覚えた。




