星屑級の日常
星屑級の日常
宿の朝食は、いつも質素だった。
パンと薄いスープ。それと、甘みのある木の実が少し。メイはいつも通り、静かにパンをちぎっていた。
「昨日の件、ギルドで噂になってるか」
「なっていると思います。あの広間で、ああいうことが起きれば広まるのは早い」
「面倒だな」
「慣れてください」
素っ気なかった。でも否定はしなかった。
窓の外では、街がもう動き始めている。荷馬車の音、露店の声。この街は朝が早い。俺も少しずつ、そのリズムに慣れてきていた。
「今日も依頼を受けるつもりですか」
「金がないと宿代が払えない」
「そうですね」
メイは木の実を一つ口に入れて、窓の外へ視線を向けた。何か考えているようだったが、何も言わなかった。
ギルドに着くと、空気が昨日と少し違っていた。
広間へ入った瞬間、いくつかの視線がこちらへ向く。昨日までとは違う種類の視線だった。値踏みするような、観察するような。敵意ではなく、興味に近い。
カウンター近くにいた冒険者が、俺を見て声をかけてきた。
「お前、昨日グラウラーの件にいたやつか」
「いた」
「星屑級だろ。なんで分かったんだ、崩落」
「地面が沈んでた」
男は少し考えてから、納得したのかしていないのか分からない顔で頷いた。
「……まあ、運が良かったな」
「そうだな」
否定する気にはなれなかった。
男はそれ以上聞いてこず、仲間の方へ戻っていく。
昨日までは誰も話しかけてこなかった。それだけのことなのに、少し可笑しかった。
掲示板へ向かう。
星屑級向けの依頼を流し見した。討伐系は避ける。今の俺に戦闘力はない。観察や調査、採取系へ目を向ける。
一枚の紙に視線が止まった。
『薬草の品質鑑定/調査依頼/星屑級/報酬:銀貨二枚』
「メイ、これ」
隣に立っていたメイが紙を見る。
「薬師への納品前に、薬草の品質を確認する依頼です。マナ濃度が高い薬草ほど効能が強い。それを判断できる人間が必要なんでしょう」
「マナ濃度を感じ取れれば判断できるか」
「できると思います。ただ、普通は専用の道具を使います」
「道具なしでやれるか」
メイが少し間を置いた。
「……やってみなければ分かりません」
「受けよう」
依頼主の薬師は、街外れで店を構えていた。
年配の女性で、店の奥には薬草が所狭しと並んでいる。乾燥させたもの、束にしたもの、瓶へ詰めたもの。独特の草の匂いが漂っていた。
「来てくれたかい。まあ座って」
薬師は慣れた手つきで、薬草の束をいくつか並べた。見た目はどれも似ている。
「これを納品前に確認してほしいんだ。測定道具が壊れちまってね。勘のいい冒険者なら何とかなるかと思って依頼を出したんだよ」
俺は一番手前の束を持ち上げた。
目を閉じる。
感じ取ろうとした。
マナの流れを。
あった。
薄いが、確かに感じる。
葉の繊維の中を、細い流れが通っていた。川の支流みたいな、小さく安定した流れだった。
次の束を持つ。
今度は違う。
流れが乱れている。濃度が薄く、途中で途切れていた。
「これとこれは質がいい。これは薄い。これは……ほとんど残ってない」
薬師が目を丸くする。
「正確だね。道具で測ったのと同じ結果だよ」
「道具、持ってるじゃないか」
「予備があったんだよ。確認用にね」
悪びれない顔だった。
まあいい。結果が合っていたなら問題ない。
報酬を受け取って店を出る。
路地を歩きながら、メイが口を開いた。
「さっきのは、かなり正確にマナを感じ取っていましたね」
「なんとなく分かった。流れが違う」
「なんとなく、ではないと思います」
メイが足を止める。俺も止まった。
「龍馬のマナ感知は、訓練で得たものではありません。生まれ持った感覚です」
「異常ってことか」
「それだけではありません」
メイは静かに続けた。
「魔術は、術式に従ってマナを動かすことで現象を起こします。どう集めて、どう流し、どう解放するか。その構造を組み立てる技術です」
「術式って設計図みたいなものか」
「そうです」
メイが小さく頷く。
「そして術式を扱うには、マナの流れを理解している必要があります。多くの魔術師は、それを長い訓練で覚える。でも龍馬は、最初から感覚として持っている」
俺は自分の手を見る。
薬草を握った時の感覚が、まだ残っていた。
細い流れ。
乱れた流れ。
それが自然に分かった。
「詠唱は何のためにある」
「術式を安定させる補助です。言葉でマナの流れを整えている。詠唱が短いほど、頭の中で術式を組み立てられているということになります」
「メイの詠唱は短かった」
「練習しました。長い時間をかけて」
「属性は」
「得意なマナの種類です。扱いやすい術式が変わります。それはまた別の機会に」
俺は歩き出した。
術式。設計図。マナの流れ。
頭の中で、何かが少しずつ繋がり始めていた。
まだ形にはなっていない。でも輪郭だけは見え始めている。
やってみたい、と思った。
午後の依頼は、迷子の魔獣の追跡だった。
街へ迷い込んだ小型魔獣を捕獲し、森へ戻す依頼。戦闘はない。足跡を追い、居場所を特定するだけだった。
街外れの倉庫街へ入る。
足跡は途中で消えていた。小さな爪痕が、石畳の上で途切れている。
俺は目を閉じた。
マナの痕跡を探る。
生き物が通った後には、わずかな乱れが残る。それを辿るように意識を向けると、倉庫の隙間へ薄い流れが続いていた。
「あっちだ」
倉庫の裏へ回る。
木箱の陰に、小さな生き物が丸まっていた。
リスに似た身体。大きな耳。尻尾は二本。
怯えた目でこちらを見ている。
メイが静かにしゃがんだ。
「《縛れ》」
短い詠唱と共に、風がそっと魔獣を包む。暴れることなく、おとなしく捕獲された。
「……簡単だったな」
「相手が弱かっただけです」
それもそうだった。
ギルドへ戻ると、昨日より広間の空気は落ち着いていた。
それでも、俺へ向く視線は残っている。
昨日より少しだけ、観察に近い視線だった。
報告を終え、カウンターを離れようとした時。
広間の奥から、低い声が聞こえた。
「あれが噂の星屑か」
振り返っても、誰が言ったのか分からない。
ただ、その声には軽さがなかった。
品定めでも嘲りでもない。
純粋に確認するような声だった。
メイが隣で、わずかに表情を変える。
「行きましょう」
「ああ」
宿へ戻る。
部屋は静かだった。
ベッドへ腰を下ろし、天井を見る。
木の天井。
少し見慣れてきた、と思った。
二日前まで、俺は別の天井を見ていた。染みの形まで覚えているくらい、長い間。
ここの天井は、まだ染みの位置を覚えていない。
それが何となく可笑しかった。
この世界へ来て、まだ数日しか経っていない。
帰り方は分からない。魔術も使えない。金もほとんどない。
状況だけ並べれば、最悪に近かった。
でも。
手の中には、銀貨の感触が残っていた。
今日、自分で稼いだ分だ。
少ない。でも、確かにあった。
外へ出たい、とあの部屋で思っていた。
今、外にいる。
それだけのことだったが、悪くなかった。
少なくとも、あの天井を見続けていた頃よりは。
まだ帰ることは考えている。
でも今夜は、それより先に眠気が来た。




