消えた灯火草
宿の朝は早かった。
日が昇りきる前から、通りに人の声が聞こえてくる。荷馬車の音。露店の準備をする物音。この街は、夜明けと同時に動き始めるらしい。
俺はベッドの上で天井を見ていた。
木の天井だった。
リアベルの森の小屋とは違う、宿の天井。それでも、見慣れた部屋の天井とは全然違う。
当たり前だけど。
起き上がり、顔を洗って一階へ降りる。
メイはすでにテーブルへ座っていた。パンと温かい飲み物が二人分並んでいる。
「おはようございます」
「……ああ」
パンをちぎりながら、今日のことを考えた。
冒険者登録はした。あとは依頼をこなして、金を稼ぐだけだ。
シンプルな話だった。
ギルドの掲示板は、朝から人が集まっていた。
依頼書が所狭しと貼り付けられている。討伐、護衛、採取、調査。ランクごとに色分けされていて、星屑級向けは端の方へまとめられていた。
俺は、その中の一枚で足を止めた。
『消えた灯火草/採取依頼/星屑級/報酬:銀貨三枚』
「メイ、灯火草って何だ」
隣へ立ったメイが紙を見る。
「夜になると淡く光る植物です。魔導灯の燃料にも使われていますね」
「枯れることはあるか」
「普通はありません。マナの多い場所なら、かなり長く育ちます」
俺はもう一度、依頼書を見る。
消えた灯火草。
採取依頼のはずなのに、その言葉だけ妙に引っかかった。
「これにする」
メイが少し間を置く。
「……理由はありますか」
「気になるから」
それだけ言って、受付へ向かった。
依頼を受けると、同行者がいると説明された。
同じ依頼を受けた冒険者が三人。合流してから出発する形らしい。
広間の隅のテーブルに、すでに集まっていた。
三人とも星屑級より上に見えた。
装備が違う。身体の動かし方が違う。場慣れしている。
俺が近づくと、三人の視線が一斉に向いた。
「お前が新入りか」
一番体格のいい男が言う。
短く刈った髪。日に焼けた肌。腰には大きな斧が下がっていた。
男は椅子へ浅く腰掛けたまま、器用にナイフを指で回している。
「坂本龍馬。昨日登録した」
「星屑級か」
「そうだ」
男は鼻を鳴らした。
「簡単な依頼だから心配すんな。迷子にならなきゃ十分だ」
隣の女が肩を揺らして笑う。
「ガルド、また新人脅かしてる」
「脅かしてねぇよ」
細身の男だけは無言だった。
壁へ背中を預けたまま、静かにこちらを見ている。視線が妙に鋭かった。
迷子にならなきゃ十分、か。
昔だったら、その一言だけで縮こまっていたかもしれない。
今は、ただ事実として受け取れた。
実際、俺には戦闘力がない。足を引っ張らなければ十分だと思っていた。
「よろしく」
短く言って、メイの隣へ立つ。
森はアルトリアから歩いて三十分ほどの場所にあった。
リアベルの森とは別の、小規模な森だった。街の近くにあるせいか、道も踏み固められている。
冒険者たちは慣れた足取りで進んでいった。
俺は少し後ろを歩きながら、周囲へ意識を向ける。
おかしかった。
森へ入った瞬間から、何かが違う。
うまく言葉にできない。でも空気が重かった。
マナの流れがぎこちない。
淀んでいるというより、どこかで無理やり堰き止められている感じだった。
鳥の声がしない。
虫の音もない。
葉が風で揺れる音だけが、妙に大きく聞こえた。
喉の奥が少し乾く。
嫌な静けさだった。
「静かだな」
独り言のつもりだった。
だが前を歩いていたガルドが振り返る。
「森なんてこんなもんだろ」
「……そうか」
違う、と思った。
でも上手く説明できなかった。
灯火草は見当たらなかった。
本来なら、この時間でも薄く光っているはずだとメイは言っていた。
だが周囲を見回しても、光る植物は一本もない。
地面には、枯れた草の痕跡だけが残っていた。
根元から干からびるように色が抜けている。
マナが、ない。
正確には、流れが極端に薄い。
どこかへ吸い取られているみたいだった。
「メイ」
小声で呼ぶ。
「気づいています」
メイも同じものを感じているらしかった。
表情は変わらない。
でも歩く速度が少し落ちていた。
死体を見つけたのは、森の奥へ入って十分ほど経った頃だった。
茂みの陰に、小動物が倒れていた。
リスに似た生き物だった。
身体が異様に干からびている。
水分だけじゃない。中身そのものを抜かれたみたいな、不自然な萎び方だった。
周囲にも、同じような死体が転がっている。
背筋が冷えた。
俺はしゃがみ込み、近くで観察する。
皮膚の表面に、細い線が刻まれていた。
自然にできた傷じゃない。
規則的な模様だった。
「メイ、これ」
「……術式痕ですね」
メイが静かに答える。
「マナを無理やり抜かれています。だから、こんな風に」
声が少し低かった。
「誰がこんなことを」
「分かりません。ただ……」
メイが周囲を見回す。
「規模が大きい。この森全体のマナが、どこかへ流されています」
俺は立ち上がった。
「戻った方がいい」
三人の冒険者が振り返る。
「あ?」
ガルドが眉を寄せた。
「この森、おかしい。マナの流れが歪んでる。動物も術式で殺されてる。何かいる」
ガルドは俺を見て、それから周囲を見回した。
「お前、ビビってんの?」
「ビビってるんじゃなくて、状況がおかしいって言ってる」
「星屑級が採取依頼でビビるなよ。恥ずかしいぞ」
女が苦笑する。
「まあまあ。新人なんだから」
細身の男だけは黙っていた。
その視線が、死体へ向いている。
胸の奥がじわりと重くなる。
知っている感覚だった。
何かを言っても笑われる。
信じてもらえない。
だったら最初から黙っていた方がいい。
そう思い込んでいた時期が、ずっと続いていた。
でも。
俺は死体を見た。
干からびた身体。術式痕。歪んだマナの流れ。
これは気のせいじゃない。
喉が乾いていた。
それでも、言葉は出た。
「俺は戻ると言ってる。判断はそれぞれでいい」
ガルドが何か言い返そうとした、その時だった。
茂みが揺れる。
同時に、音が消えた。




