アルトリア
街は、思っていたより賑やかだった。
石畳の通りに露店が並んでいる。野菜、肉、見たこともない果実。串焼きを売る屋台から煙が立ち上り、香辛料の匂いが風に混じって流れてきた。
頭上では、小さな光球が浮かんでいる。昼間なのに淡く光っていて、通りの端をゆっくり移動していた。
呼び込みの声が飛び交い、荷馬車が通るたびに人波が割れる。どこかで子供が笑っていた。
俺は入り口で立ち止まったまま、動けなかった。
人が多い。
視線が全部こちらへ向いている気がした。そんなはずはないと分かっている。誰も俺のことなんか見ていない。
それでも、足が重かった。
教室へ入った瞬間の空気を思い出す。
いつも通り騒がしいはずなのに、何人かがこちらを見た気がした。視線が合うと、すぐ逸らされる。
――違う。ここは教室じゃない。
頭では分かっている。でも身体は、まだあの朝を覚えていた。
「龍馬」
メイが隣に立った。
「顔色が悪いですよ」
「……少し待ってくれ」
息を吸う。吐く。
石畳の目地を数えた。一、二、三。
それだけで、少し落ち着く。
「行ける」
「無理に急がなくていいです」
「急いでない」
メイはそれ以上何も言わなかった。
ただ、歩き出す時に俺の少し前へ出る。人混みを割るようにではなく、自然に道を作るみたいな歩き方だった。
さりげなかった。
だから余計に助かった。
冒険者ギルドは、街の中心から少し外れた場所にあった。
石造りの大きな建物。入り口の上には、剣と盾を組み合わせた紋章が刻まれている。
扉は開け放たれていて、中から複数の声が聞こえてきた。
中へ入る。
広い広間だった。
壁一面に張り紙が並んでいる。依頼書らしい。カウンターの向こうには受付が数人。テーブルでは冒険者らしき連中が酒を飲みながら話していた。
耳の長い女。腕が鱗で覆われた大柄な男。普通の人間だけじゃないらしい。
視線が飛んでくる。
俺とメイを見て、すぐ興味を失ったように戻っていった。
敵意でも好意でもない。ただ、「誰だろう」と確認しただけの目だった。
思っていたより、息ができた。
「こちらへ」
メイがカウンターへ向かう。
受付の女性が顔を上げた。
「本日はどうされましたか」
「マナ測定をお願いしたいのですが」
「初めての方ですね」
「彼が」
受付の視線が俺へ向いた。
「では、こちらへどうぞ」
案内された小部屋には、台座の上に透明な球体が置かれていた。
水晶みたいな見た目だった。中は空洞になっていて、淡く光が揺れている。
「手を触れてください。マナ量と魔法適性を測定します」
俺は球体へ手を置いた。
冷たい。
それから、森で感じたものと似た感覚が走る。
何かが流れ出ていくような感覚だった。
球体が光る。
白に近い、淡い青色だった。
受付の女性が、小さく目を細める。
「……マナ量は一般より少し多めですね。魔法適性もあります」
紙へ何かを書き込みながら続けた。
「ただ、まだ未熟です。才能はありますが、現状は基礎もできていない状態ですね」
「つまり、これからってことか」
「はい。鍛え方次第です」
妙に納得できる言い方だった。
俺は球体から手を離す。
才能がある、と言われた。
素直に喜べるほど単純じゃない。でも、悪い気もしなかった。
それより、さっきの感覚の方が気になる。
流れ出ていく感じ。
あれがマナなのか。
「メイ」
「はい」
「これ、鍛えたら強くなるか」
「なります。ただ、時間はかかります」
「どのくらい」
「……そこは、本当に人によります」
少し困ったように言った。
完璧な答えじゃなかった。
でも、たぶんそれが一番本当なんだろうと思った。
部屋を出る。
その瞬間、メイが小さく壁へ手をついた。
ほんの一瞬だった。
「……大丈夫か」
「問題ありません」
返事は早かった。でも少しだけ顔色が悪い。
森で魔術を使った時より、呼吸が浅い気がした。
「疲れてるように見えるけど」
「測定用の魔導具は、周囲のマナも少し乱れるので苦手なんです」
「苦手?」
「……昔から、少し」
それ以上は話さなかった。
「これからどうしますか」
話題を変えるように、メイが口を開く。
「帰る方法が分からない以上、ここで生活するしかない」
「そうですね。となると、お金が必要になります」
「分かってる」
財布どころか、この世界の通貨すら持っていない。
着の身着のままで飛ばされてきた。
現実は単純だった。
「冒険者になろうと思う」
メイが少し間を置く。
「……戦えますか」
「戦えない」
「では」
「戦わなくていい依頼から始める。採取とか、雑務とか。あるだろ」
メイはしばらく俺を見ていた。
それから、小さく頷く。
「あります」
カウンターへ戻り、登録の手続きをした。
名前を書き、簡単な確認を受ける。
受付の女性が、カードを差し出した。
灰色だった。
「星屑級です。最下級からのスタートになります」
「依頼をこなして、少しずつ上がっていく形ですね」
別の受付員が横から補足する。
「危険な依頼ばかりじゃありません。荷運びや採取から始める人も多いですよ」
俺はカードを受け取った。
灰色の、小さなカード。
名前と数値が刻まれている。
最下級。
それは事実だった。
でも、不思議と惨めな気持ちにはならない。
ゼロから始まるのは、慣れている。
慣れすぎているくらいには。
「龍馬」
メイが隣へ立つ。
「しばらく、ここで過ごしますか」
「ああ」
「では、宿を探しましょう。お金は私が少し持っています」
「……借りる。後で返す」
「構いません」
短く答えて、メイが出口へ向かう。
俺はもう一度、手の中のカードを見た。
灰色。星屑級。
悪くない出発点だと思った。
少なくとも、あの部屋にいた頃よりは。




