表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
2/13

知らない天井

目を覚ました時、天井が木だった。


丸太を組んだ素朴な造り。染み付いた木の匂い。どこかで鳥が鳴いている。俺の部屋には、そんなものは一つもない。


起き上がろうとして、全身が軋んだ。


「……っ」


痛みというより、疲労に近い感覚だった。身体の奥から力が抜けているような、そんな感じ。ゆっくり上半身を起こして、周囲を見回す。


小さな小屋だった。


木製の家具。窓の外には緑。壁際には見慣れない道具が掛けられている。淡く青い光を放つ石が、部屋の隅で静かに揺れていた。


ここは、どこだ。


「目が覚めましたか」


声がした。


部屋の隅、小さな椅子に座った少女がこちらを見ていた。


銀色の髪。青い目。年齢は十かそこらに見える。表情は静かで、感情が読めない。だが、その目は警戒していた。品定めするように、こちらをじっと見ている。


「……お前、誰だ」


「それはこちらが聞くことです」


即座に返ってきた。柔らかい声なのに、芯が硬い。


「森で倒れていたあなたを運んだのは私です。名前くらいは教えてもらえますか」


「……坂本龍馬。龍馬でいい」


「龍馬、ですか」


少女は小さく繰り返した。信じているのかいないのか、顔からは読めない。


「私はメイです」


それだけ言って、立ち上がった。距離を保ったまま、窓の外へ視線を向ける。


「一つ確認させてください。あなたは、この森に何をしに来たのですか」


「……俺にも分からない」


「分からない、とは」


「気づいたら倒れてた。本当のことだ」


メイはしばらく黙っていた。


信じていないのかもしれない。でも追及はしてこなかった。ただ、俺から目を離さなかった。


窓の外で、何かの鳴き声が響く。低く唸るような声だった。メイの視線が一瞬だけ外へ向く。


「……今夜はここにいていいです。ただし、勝手に動かないでください。この森には危険な獣が出ます。あなたに対処できるとは思えないので」


命令ではなく、警告だった。


それだけ言って、メイは部屋を出ていった。


翌朝、目が覚めると、テーブルに食事が用意されていた。


スープと、硬そうなパン。見慣れない赤い果実。それと湯気の立つ飲み物。質素だが、温かい。


メイは向かいの席に座って、静かにパンをちぎっていた。俺が椅子を引くと、視線だけがこちらへ動く。


「食べてください」


「……ありがとう」


「礼はいいです。毒は入っていません」


毒の話を自分から出すやつが、毒を入れるとは思えない。


俺は黙ってスープを一口飲んだ。塩気が強いが、悪くない。


しばらく、無言だった。


メイは食事の間も、ちらちらとこちらを確認していた。隠しているつもりなのか、それとも隠す気がないのか。どちらにしても、まだ警戒が解けていないのは分かった。


「聞いていいか」


「……何ですか」


「なんで助けた」


少し間があった。


「放置すれば死んでいたからです。それ以上でも以下でもありません」


嘘をついているようには見えなかった。


感情的な理由じゃない。ただそこに人が倒れていたから、見捨てなかった。それだけの話らしい。


変なやつだと思った。でも、そういう理由の方が俺には分かりやすかった。同情とか、親切心とか、そういう柔らかい言葉の裏を考えずに済む。


「ここはどこだ。国の名前でも、地域の名前でも」


「リアベルの森です。アルディアという世界の西端にある場所で、街から離れた辺境にあたります。近くに人里はありません」


「……アルディア」


「あなたが来た場所とは、別の世界です。驚かないのですか」


「驚いてないわけじゃない。ただ、騒いでも何も変わらないと思って」


メイはしばらく俺を見ていた。


さっきより、少しだけ目の色が変わった気がした。警戒というより、観察に近い目つきに。


「……そうですか」


パンをちぎりながら、メイはまっすぐこちらを見た。


「龍馬。あなたは、これからどうするつもりですか」


「……まだ決めてない。ここがどんな世界なのかも分からないし、帰り方も分からない」


「そうですね。この世界のことを知るなら、街へ出た方がいいでしょう。森の中では限界があります」


そこで一度、言葉を切った。


「……本当は、あまり街には行きたくないんですが」


「行きたくない?」


「色々あるんです」


それ以上は話さなかった。


答えを急かすわけでもなく、ただ事実だけを置いていくような言い方だった。


俺は窓の外の緑を見ながら思った。


ここがどんな世界なのかも、どうやって帰るのかも、何も分からない。でも、この部屋に閉じこもっていても何も変わらない。それだけは分かった。


食事を終えて、外に出た。


空が広かった。


馬鹿みたいな感想だが、それ以外の言葉が出てこなかった。


見渡す限りの木々。葉の間から差し込む光。空気が、肺の奥まで染み込んでくる。


空には月が二つ浮かんでいた。片方は青白く、もう片方は赤みを帯びている。


ずっと部屋の中にいた。窓から見える空だけが、俺の空だった。


「綺麗だな」


声に出すつもりはなかった。


「そうですか」


隣に立ったメイが、森を見ながら答えた。住み慣れているせいか、特に感慨もなさそうだった。


風が吹く。


葉が一斉に揺れた。遠くで鳥が鳴く。その奥から、何か大きな獣が木々を踏み鳴らす音が聞こえた。


「近くに国はあるか」


「アルトリアという国が、ここから歩いて半日ほどの距離にあります。そこなら冒険者ギルドもありますし、この世界の基本的なことは調べられるはずです」


「冒険者ギルドというのは?」


「依頼を受けて報酬をもらう組織です。情報収集の拠点にもなります。異邦人のあなたでも、門前払いはされないでしょう」


俺は空を見上げた。


青い月の隣を、翼の生えた大きな影が横切っていく。鳥ではない。もっと大きく、もっと異質な何かだった。


ここは俺の知っている世界じゃない。


帰り方も分からない。頼れる人間もいない。理由ならいくらでも並べられる。


でも、それを並べ続けた先に何がある。


「案内してくれるか」


メイは少しだけ目を細めた。


驚いているのか、考えているのか。それから、静かに頷いた。


「……分かりました」


今度は、警戒じゃなかった気がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ