第17話:『不撓不屈の土俵(リング) ―母のスープと大蒼の風―』
いつも『ホテル・ブルートーン』を応援していただき、本当にありがとうございます。
第17話となる今回のゲストは、大島が生んだ将来の横綱候補でありながら、
現在は人生の大きな壁にぶつかっている力士――幕下の青木さんです。
体格にも恵まれ、一時は大いに期待されながらも、最愛の母親を亡くした喪失感から心を痛め、
土俵の上で自分を見失ってしまっていました。
母の命日、すでに生家も失われた故郷の島で、傷心の彼がブルートーンの扉を叩きます。
チャンの屈託のない歓迎、亮太が再現した懐かしい島の香り、須賀が語るプロの「背負う覚悟」、
そして成人とカイトが贈る、朝のテラスを揺るがす熱い応援。
バラバラになりかけていた一人の男の魂が、再び「大銀杏」をキッと結び直すまでの復活劇です。
今回はいつも以上に胸が熱くなり、最後は誰もが笑顔になれる、
そんな大島発のジャイアント・ストーリーをどうぞお楽しみください!
大島の夕暮れ、ホテル・ブルートーンのロビーに、ひときわ巨大な影が滑り込んできた。
現れたのは、現役の相撲取りで幕下に甘んじている青木だった。
その圧倒的な体格に、フロントの陰から様子を見ていたチャンは「わぁ……大きい、すごい!」と、
目を輝かせてウキウキ気分で飛び出してきた。
「ようこそ、ホテル・ブルートーンへお越しくださいました」
総支配人の佐々木が丁寧な挨拶とともに、旅の目的をそっと伺う。
青木は大島出身の力士で、その恵まれた体格から一時は「将来の横綱候補」とまで
街中から持ち上げられていた男だった。しかし、唯一の肉親であった最愛の母親を
急に亡くして以来、心にぽっかりと穴が空いたように落ち込み、
最近は幕下をウロウロと行き来するスランプに陥っていたのだ。
「……今日は母の命日なんです。久しぶりに島へ帰ってきたんですが、
生家もすでに無くなっていて。行くあてもなく、こちらに寄らせていただきました」
青木は寂しそうに巨体を縮め、ぽつりと呟いた。
佐々木はすべてを察し、彼を最も温かい部屋へと案内した。
◇
部屋で荷物を解き、夕食のためにレストランへ降りてきた青木は、
厨房の近くを通りかかった瞬間、ピタリと足を止めた。
そこから漂ってきたのは、かつて母親が狭い台所で毎日のように作ってくれた、
あの「島のスープ」にそっくりな、どこか泥臭くて愛おしい潮の匂いだった。
席に着くと、チャンが満面の笑顔でそのスープを運んできた。
「青木さん、お待たせしました! 島の特製スープです!」
湯気とともに香りを吸い込み、一口スープを口に含んだ瞬間、青木の大きな目が丸くなった。
「これは……母の味だ。どうして……」
驚く青木の前へ、料理長の亮太がゆっくりと歩み寄ってきた。
「うちの厨房では、洗練されたフレンチだけでなく、この大島の家庭に代々伝わる
『土着の味』も大切に含めて作っています。お母様もきっと、
この島の恵みをあなたにたくさん食べさせて育てたんでしょう」
亮太の言葉が、青木の胸に深く突き刺さる。自分は母親を亡くして孤独だと思い込んでいた。
けれど、この島全体が、そして母が作ってくれた味が、
今の自分のこの巨大な身体を作ってくれたのだ。
青木は、自分がどれほど大きな「島の想い」を背負って土俵に立っていたのかを、
深く自覚し始めていた。
◇
夜、青木は静まり返ったBAR『ブルートーン』の椅子に腰を下ろした。
巨体ゆえに、バーカウンターが少し小さく見える。
チーフバーテンダーの須賀が差し出した、大島の豊かな果実を使ったカクテルを飲みながら、
青木はグラスを見つめて深い溜息をついた。
「スープを飲んで、ハッとしました。今の自分は、島のみんなや母の期待に応えられていない。
不甲斐なくて、本当に自分が恥ずかしいです……」
すると、須賀はボトルを磨く手を止め、静かに、けれど重みのある声で青木に告げた。
「青木さん。あなたは、お母様からも、この島からの期待にも、
あの神聖な土俵へ上がるということで、もう充分に応えているのですよ」
「え……?」
「その巨体で砂を踏みしめ、戦う姿を見せるだけで、人々は勇気をもらっている。
あなたの努力は無駄になっていません。あと少しです。あと少しで、あなたの願いは叶いますよ」
須賀の静かな太鼓判は、青木の心の奥底で燻っていた闘志の導火線に、静かに、
けれど確実に火をつけた。青木は強く拳を握りしめ、静かに深く、頷いた。
◇
翌朝、よく晴れたテラス席。
パティシエの成人が、笑顔のチャンと共に運んできたのは、驚くほどダイナミックな一皿だった。
「青木さん、今朝のデザートです! 『ちゃんこ鍋』をイメージして、
たくさんの島のフルーツを盛り合わせてみました!」
器から溢れんばかりに美しく盛られた色とりどりの果物。
それは成人とチャンが、青木のこれからの勝利を願って作った、
特製の“スタミナ・スイーツ”だった。青木が嬉しそうにフォークを伸ばしたその時、
テラスの向こうから、激しく、熱いサックスの音色が鳴り響いた。
カイトが吹き鳴らした曲は、ボン・ジョヴィの
『リヴィン・オン・ア・プレイヤー(Livin' On A Prayer)』。
朝の静けさを切り裂くような、泥臭くも圧倒的に前を向くロックの旋律。
カイトのサックスは、まるで「お前の人生はここからだ!」と叫んでいるかのように、
青木の背中を力強く、激しく押し上げていく。
「皆さん……本当に、ありがとうございます。
押し潰されそうだった自分に、こんなにたくさんの勇気と応援をいただけるなんて」
青木が深く頭を下げると、総支配人の佐々木が、優しく微笑みながら首を横に振った。
「いいえ、青木さん。私たちはきっかけに過ぎません。きっと、天国のお母様が、
私たちに少しだけ力を貸して、あなたを励まされたのだと思いますよ」
その言葉に、青木は溢れそうになる涙を堪え、大島の青い海に向かって、
力強く咆哮するように笑顔を見せた。
◇
それから一週間後。
朝のBAR『ブルートーン』へ、チャンがバンッ!と勢いよく扉を開けて飛び込んできた。
その手には最新のスポーツ新聞が握られている。
「須賀さん、須賀さん! これ見てください!!」
新聞を奪うように受け取った須賀が紙面に目を落とす。
そこには、大きな文字で『幕下優勝・青木! 十両昇進決定!』の見出しが躍っていた。
さらに記事を読み進めると、彼の新しい四股名が発表されていた。
大島の青い海と空、そしてホテル・ブルートーンから一文字を取った、
新たなる四股名――『大蒼』。
記事の最後、新十両としてのインタビューで、大蒼関はこう締めくくっていた。
『いつか私が関取として上り詰め、横綱になったら、その私の四股名と同じ名前のカクテルを
作ってほしいと約束した、大島の最高のホテルがあるんです』
それを見た須賀は、フッと嬉しそうに口元を綻ばせた。
「やれやれ……。それまでに、横綱にふさわしい至高のレシピを準備しておかないといけませんね」
「わぁ、絶対に素敵なカクテルになりますよ!」
チャンは興奮冷めやらぬ様子で、バーの椅子にドサリと腰掛け、嬉しそうに新聞を読み返していた。
しかしその時、チャンが眉をひそめて「あれ?」と声をあげた。
「須賀さん。この椅子、なんだか前に傾いていますよ?」
須賀はカウンターの中から、チャンの座る椅子を見つめ、悪戯っぽく微笑んだ。
「ああ。今度、大蒼関がさらに大きくなって帰ってきたら、その椅子に思い切りもたれかかって、
私のカクテルを飲んでもらうつもりだよ。そのための『仕込み』さ」
須賀の粋なジョークの意味を理解したチャンの、鈴を転がすような明るい笑い声が、
ブルートーンの吹き抜けを通り抜け、大島の高い空にまで真っ直ぐに上がっていった。
【第17話:不撓不屈の土俵 完】
第17話を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
今回は、孤独とスランプに苦しむ力士の青木さんが、亡き母の味と島の応援によって
『大蒼』へと生まれ変わる、王道の復活劇を描きました。
亮太のスープが母の記憶を呼び覚まし、須賀のカクテルが「土俵に立つことの誇り」を思い出させる。
そして翌朝、成人特製の「ちゃんこ風フルーツ」を豪快に食べながら、
カイトが吹くボン・ジョヴィの『リヴィン・オン・ア・プレイヤー』を聴く――。
静かな感動から、一気にロックな熱量へとシフトしていく流れは、
書いていて最高にスカッとしました!
カイトのサックスは、完全に「突っ張り」のビートとシンクロしていましたね(笑)。
そしてラストの、チャンが見つけた「前に傾いているバーの椅子」のエピソード。
「今度大蒼関が来たら、もたれかかってカクテルを飲んでもらうための仕込みさ」
という須賀さんのセリフは、彼がいつか本当に横綱になって、
その大きな背中を預けに帰ってくる未来を約束する、
最高にオシャレで温かいおもてなしの形になりました。
チャンの明るい笑い声とともに、読者の皆さんの心にも爽快な風が吹き抜ければ幸いです。
大蒼関のこれからの快進撃を、ぜひ一緒に応援してください!
また次回の物語でお会いしましょう。
野内




