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『ホテル・ブルートーンへようこそ』  作者: マサ


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13/20

第13話:『針路、静かなる海へ ―老船長の決断―』

いつも『ホテル・ブルートーン』を応援していただき、ありがとうございます。

今回のゲストは、海の世界でその名を知らぬ者はいない伝説の男、村田です。

東海汽船の船長として皇室の方々をお運びし、生涯無事故という金字塔を打ち立てた彼は、

現在、船の博物館の館長を務めています。

しかし、そんな彼のもとに舞い込んだのは、関西の船会社からの

「レストラン船の船長」という意外なスカウトでした。

「おがさわら丸」のデッキから大島の島影を見つめる村田の目は、

現役時代と変わらぬ鋭さを保っていた。

しかし、その胸中は複雑に揺れていた。

(一万トンの船を無事故で通してきた。それが今さら、千トンのレストラン船か……)

博物館の静寂に慣れた身には、新たな挑戦はあまりに小さく、そして同時に、

あまりに未知のものに思えたのだ。


元町港に降り立った村田を待っていたのは、島の空気だけではなかった。

「あ、あの! もしかして、本物の村田船長ですか!?」

ロビーに現れたチャンが、目を輝かせて駆け寄る。

島では英雄として知られる村田の来訪に、彼女のワクワクは最高潮に達していた。

「わぁ、有名人に会えるなんて……今日、私、運を使い果たしたかも!」

チャンの屈託のない歓迎に、村田の強張った頬がわずかに緩んだ。


そこへ、総支配人の佐々木が静かに、けれど隙のない足取りで近づいてきた。

佐々木は深々と、最敬礼で村田を迎える。

「村田館長、ようこそ『ホテル・ブルートーン』へ。

海の伝説をお迎えできること、光栄に存じます」


だが、一礼した村田の表情を見た瞬間、佐々木の鋭い観察眼が「違和感」を捉えた。

「……村田様。失礼ながら、その瞳、ただの休暇には見えません。

何か、静かな海で解決すべき『問い』をお持ちではありませんか?」


部屋へ案内する道すがら、村田は重い口を開いた。

「……佐々木総支配人。私はこれまで、巨大な船を安全に運ぶことだけに心血を注いできた。

だが今、私に求められているのは、一万トンの重厚さではなく、千トンの華やかさだ。

私は……その小さな舵を握る資格があるのだろうか。

老いた船長が、今さらレストラン船などという場所で通用するのか、答えが出ないのだ」


佐々木は桟橋の向こうに広がる海を見つめ、静かに答えた。

「船の大きさで、命の重さは変わりません。

そして……お客様の『笑顔』という波を越える技術は、一万トンの経験があっても、

一から学ばねばならないものかもしれません」


伝説の船長の、人生最後の「操船」が始まろうとしていた。


チャンが、たまらずといった様子で口を開いた。

「村田船長! 私、小さい頃にお父さんに連れられて、船長が動かしてた船に乗ったことあるんです!」

村田が驚いて顔を上げると、チャンは満面の笑みで続けた。

「あの時、船長が汽笛を鳴らしてくれたの、今でも覚えてます。

安全なのは当たり前だったけど、私が一番嬉しかったのは、

船長が最後にデッキで手を振ってくれたことなんです。

一万トンの船じゃなくて、船長さんに会いたくて、みんな乗ってたんですよ」

村田は静かにほほ笑んだ。


夕食の席、亮太が運んできた地産地消の料理を一口運んだ村田は、

その深い味わいに箸を止め、亮太を呼び止めた。

「亮太さん、一つ聞きたい。船上と陸上で作る料理、その決定的な違いはどこにあると思う?」


亮太はまっすぐに村田を見据え、静かに答えた。

「船の上では、安全のためにガスが使えません。

火力が限られる分、じっくりと時間をかけて火を通す。

その手間暇こそが、料理の魂になります。

……船も同じではないでしょうか。

船長がじっくりと海と天候を観察し、慈しむように舵を取る。

その『間』が、お客様の安心と感動を作るのだと私は思います」

村田は深く頷いた。一万トンの重厚さも、千トンの繊細さも、

注ぐ「時間」の密度は変わらないのだと、亮太の料理が教えてくれた。


夜、BAR『ブルートーン』。

村田は須賀が差し出したカクテルを傾けながら、ずっと胸にあった疑問をぶつけた。

「須賀さん。これほどの腕を持ち、支配人まで務めたあなたが、

なぜ今、この最前線のカウンターに立っているのか」


須賀は、氷を静かに回しながら微笑んだ。

「私は、この場所が好きだからです。そして、ここで共に戦うスタッフと、

ここを訪れるお客様が何より好きだからです。

現場でしか見られない笑顔、ここでしか生まれない物語がある。

私は、最後までそれを見届けていたいのです」


その言葉を聞いた瞬間、村田の表情から一切の迷いが消えた。

「……そうか。私も、海と、船と、そこに集う人々が好きだったのだ」


翌朝、テラスで海を眺めていた村田のもとに、成人がワゴンを押して現れた。

「村田館長、出航前に少しお時間をいただけますか?」

ワゴンに乗っていたのは、昨日、果樹園の美津子から届いたばかりの、

燃えるように赤いさくらんぼだった。

成人は手際よく青い炎を立ち上げ、即興でチェリージュビレを演出し始めた。

「……見事な手際だ」

驚く村田に、成人は少年のような瞳で語りかける。

「僕たちは毎日、この一瞬の驚きと、お客様の『美味しい』という

笑顔のために工夫を重ねています。千トンの船も、きっとこの一皿と同じではないでしょうか。

お客様に喜んでいただく楽しさに、船の大小は関係ありません」

その言葉に、村田の決心は揺るがないものになった。


桟橋には、ブルートーンのメンバーが勢揃いしていた。

「佐々木総支配人、須賀さん……ありがとう。新しい舵を握る勇気をもらいました」

深々と頭を下げる村田の背中に、カイトのサックスが突き抜けるような旋律を叩きつける。

曲名は『宇宙戦艦ヤマト』の行進曲。

未知なるうみへと旅立つ男への、最高の門出の歌だった。


翌週。ホテルのロビーにあるテレビから、関西のニュースが流れた。

「話題のレストラン船、いよいよ就航です!」

画面に映し出されたのは、立派な髭を蓄え、まるで『ヤマト』の沖田艦長のような

威厳を纏った村田船長の姿だった。

記者から「船長として今、最も大切にしていることは?」と問われ、

彼はカメラを真っ直ぐに見据えてこう答えた。

「常にエンターテインメントであれ。お客様を笑顔の中へお運びすること。

それが私の、新しい航路です」


画面の中の村田は、訪れる客一人ひとりと笑顔で記念写真に応じていた。

「素敵……! 髭の船長さん、本当にかっこいい!」

テレビの前でチャンが歓喜の声を上げる。その横では、須賀と佐々木が、

自分たちのバトンが繋いだ「新しい海の英雄」の姿を、誇らしげに見守っていた。


【第13話:針路、静かなる海へ 完】

「常にエンターテインメントであれ」。

この言葉は、村田船長がブルートーンでの一夜を経て、

自分自身に下した新しい「操船命令」です。

一万トンの「安全」の上に、千トンの「悦び」を乗せる。

その決意が、あの立派な髭と力強い笑顔に現れていました。

成人の情熱、カイトの力強いメロディ、そしてチャンの純粋な憧れ。

それらすべてが、一人のレジェンドを再び立ち上がらせました。

私たちはこれからも、訪れる方の「次の一歩」を祝福する場所であり続けたい。

そう強く願っています。


野内マサ

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