第12話:『結実のしらべ ―名もなき果実の誇り―』
いつも『ホテル・ブルートーン』を愛していただき、ありがとうございます。
今回の主役は、島で果樹園を営む鈴木美津子さんです。
天候不順に泣かされ、「不揃いな果実しか作れない自分」に自信を失っていた彼女。
そんな彼女が、正体を隠して一人の「お客様」としてホテルの門を叩きます。
スタッフたちは、彼女の正体を知らないふりをしながら、ある「リレー」を繋いでいきます。
それは、彼女が育てた果実たちが、どれほどまでに誰かを輝かせているかを伝える、
無言のメッセージでした。
例年にない不作に、美津子は沈んでいた。果樹園に実るのは、
サイズも形もバラバラなベリーばかり。
「今年はもう、駄目ね……」
そこへ、一台の車が止まる。降りてきたのは成人とチャンだった。
成人は一粒の歪なベリーを手に取り、じっくりと味わうと、パッと表情を輝かせた。
「これです! この不揃いなベリーを全部ください!」
驚く美津子を余所に、成人は嬉々として大量のベリーを買い取っていった。
美津子は不思議に思い、控えておいたナンバーを頼りに、
その車が『ホテル・ブルートーン』のものだと突き止める。
数日後、彼女は意を決してホテルの門を潜った。
ロビーに立った美津子は緊張していた。普段の作業着ではない、精一杯の余所行きの服。
「いらっしゃいませ、鈴木様。お待ちしておりました」
総支配人の佐々木が、穏やかな微笑みで迎える。その包容力に、彼女の不安は少しずつ溶けていった。
「お疲れでしたら、まずはこちらを」
チャンが運んできたウェルカムドリンクは、あの日美津子が売った、
形が悪くて出荷できなかったベリーを隠し味にした冷たい紅茶だった。
「このベリー、すごく力強い味がするんですよ。元気が出る魔法の飲み物です!」
チャンの屈託のない言葉に、美津子の指先が微かに震える。
「こんな風に変わるなんて……」思わず笑みが漏れた。
チャンは部屋へ案内しながら、「夕食も楽しみにしてください」と明るく告げた。
夕食の席、料理人の亮太が運んできたのは、魚料理に添えられた果実のソースだった。
「今年の果物は小ぶりですが、その分、太陽の味が凝縮されています。
この酸味が、今日の金目鯛を一番輝かせてくれるんです」
亮太の職人としての敬意が、ソースのひと雫にまで宿っていた。
「美味しい……! 自分の作った不揃いなベリーが、金目鯛に負けないくらい主張している」
美津子が感動して礼を言うと、亮太は「礼は金目鯛と果物に言ってください」
とぶっきらぼうに、けれど誇らしげにキッチンへ戻っていった。
夜。BARで須賀が差し出した一杯は、美津子の果実の香りを最大限に引き出したカクテルだった。
「土と格闘した方の想いは、グラスの中でも決して消えません。
素晴らしい素材を、成人とチャンが見つけて来てくれました」
その言葉に、美津子はついに堪えきれず、自分がその生産者であること、
そして不作に悩み、自分の果実が役に立っているのか不安だったことを吐露した。
須賀は、すべてを分かっていたかのように静かに微笑んだ。
実は、成人とチャンは果樹園での美津子の笑顔を鮮明に覚えていたのだ。
チャンがドリンクを出した時の美津子の笑みを見て「あの時の美津子さんだ」と気づき、
全員に知らせていた。
「私たちの願いは、お客様に笑顔で元気にお帰りいただくことです。
ですから、一度拝見した笑顔は決して忘れません」
翌朝、成人が持ってきたのは、あのベリーを贅沢に使ったタルトだった。
「形がバラバラなのは、それぞれが一番美味しい瞬間に収穫された証拠。
僕は、この個性のバラツキが大好きなんです」
成人の真っ直ぐな瞳を見て、美津子は初めて、自分の育てた「不揃いな子たち」を誇らしく思えた。
その時、カイトのサックスが鳴り響く。
曲名は『Smile』。
「たとえ心が痛んでも、微笑んで……」という調べが、美津子の涙を誘った。
駐車場で見送られる美津子に、チャンが駆け寄り、そっと手渡したのは「苺の葉で作った栞」だった。
「これ、美津子さんの果樹園で見つけた葉っぱです。
また来年、最高の笑顔に会えるのを楽しみにしてますね!」
美津子は栞を握りしめ、運転席に乗り込んだ。
バックミラー越しに見える『ホテル・ブルートーン』の端正な建物と、
並んで手を振るスタッフたちの姿。
彼らは、彼女が絶望しかけていた「不揃いな果実」に命を吹き込み、
最高の舞台を与えてくれた。
「……負けてられないわね」
美津子はハンドルを握る手に力を込めた。彼らが最高のバトンを繋いでくれたのなら、
自分はそれを受け取り、さらに素晴らしい「始まり」を作らなければならない。
「次は、私の番だ!」
独り言のように、けれど確かな決意を込めて呟くと、美津子はアクセルを踏んだ。
果樹園へと続く道。
フロントガラスの向こうに広がる大島の空は、あの日見た時よりもずっと澄み渡り、輝いて見えた。
【第12話:結実のしらべ 完】
書き終えて、私自身の心も温かな涙で満たされています。
今回、ブルートーンのメンバーが見せたのは、単なるサービスではなく「敬意のリレー」でした。
生産者が土と向き合い、格闘した時間を、料理人やバーテンダーが受け取り、最後はサックスの音色で祝福する。
「一度見た笑顔は忘れない」という須賀の言葉は、ゲストを「ただの客」ではなく
家族」として迎える彼らの覚悟そのものです。
美津子さんが手にした苺の葉の栞。
それは、彼女の苦労がいつか輝く「物語」になるという、ブルートーンからの約束です。
新総支配人・佐々木が指揮を執るこのチームは、これからも島の人々の想いを繋いでいくことでしょう。




