ほのかな恋心
カシウスは目を閉じ、ゆっくりと味わうように何度か頷いた。
「……確かに、ルキア様の言った通り、非常に不思議な味ですね。渋みは独特で、ただひたすらに澄んだ甘みのようなものが口に広がりますね。それと体が芯から温まり、魔力がじんわりと癒やされていくのを感じます」
「ロマーナさんが言うには、あの大陸の豊かな自然と、ガイアードっていう神様の祝福を受けているからしいの。そうそう、うちのお店でも販売することになったのよ」
私が嬉々として語ると、カシウスは感心したようにカップを見つめた後、ふと小首を傾げた。
「しかし……どこかで味わった記憶があるような気がするのです」
「本当?」
ティル・ナ・ノーグの珍しいお茶を、カシウスが過去に飲んだことがあるというのだろうか。彼は幼い頃から私に仕えており、こういった品を口にする機会はなかったはずだ。もしかしたら、さらに昔の故郷でのことなのかもしれない。
「ええ……なんと言いますか……」
カシウスは言葉を探すように宙を見つめ、やがて真面目な顔でこう言った。
「金属のような……」
「……えっ?」
「最初の口当たりの独特な苦味といいますか、……それが釘や、真新しいノミの匂いと似ていたので」
「ちょっと、カシウス!?」
私は思わずツッコミを入れてしまった。せっかくの神の祝福を受けた茶葉が、釘やノミの味だなんて、ロマーナさんが聞いたら卒倒してしまうかもしれない。
「す、すみません。私の舌が卑しいばかりに、このような品の無い例えをしてしまって……」
カシウスは慌てて謝罪し、困ったように眉を下げた。彼独特の、少しずれた味覚表現は昔から変わらない。
だが、その「金属のような」「独特の苦味」という言葉を聞いて、私の脳裏に前世の記憶がピシャリと閃いた。
「あ! 待って! 今の言葉で思い出したわ! ……サフラン茶よ! サフラン茶に似ていたのよ!」
そうだ、前世で一度だけ飲んだことのあるサフランティー。美しい黄金色で、独特のヨード臭というか、薬品や金属にも似た土っぽい苦味があるのが特徴だ。このお茶には、それに非常に近い味が含まれているのだろう。
「そうなのですか! サフラン茶、と言うのですね。やはりルキア様は博識であらせられる」
カシウスは心底感心したように目を輝かせ、再び美味しそうにお茶を飲んだ。
「あ、いや……なんて言ったらいいか……その……昔、本で読んだことがあってね」
私は冷や汗をかきながら、曖昧な笑みを浮かべて誤魔化した。
この世界に「サフラン」という植物が存在するのかどうかすら、私にはわからない。咄嗟に出た前世の知識を、カシウスはまったく疑うことなく「ルキア様の知識」として尊敬の眼差しで受け止めている。
その純粋な眼差しを見るたびに、私の胸の奥にはチクリとした小さな痛みが走る。
いずれ、カシウスには前世の記憶を持っていることを、すべて正直に話さなければいけない時が来るのかもしれない。私が急に人が変わったように商売を始めたり、見たことのないデザインを生み出したりする理由。それを隠し続けることは、私を尊敬し、忠誠を誓ってくれている彼に対して不誠実な気がしたからだ。
しかし、今はまだその時ではない。単に勇気がないだけである。
私は気を取り直し、話題を変えることにした。
「そ、それよりカシウス! さっきね、お店のリニューアルに向けた新しい商品のアイデアが固まったの。聞いてくれる?」
私は麻紙に描いたイカやタコ、ヒトデのデザイン、そして「クッキングドレス」の構想について、カシウスに熱弁を振るった。ドワーフミシンを活用して生産効率を上げること、開店日を減らして制作に集中することなど、これからのビジョンを語る私の声は、自分でも驚くほど弾んでいた。
話している途中。
ふと視線を感じて言葉を止めると、カシウスがお茶の入ったカップを両手で包み込むように持ちながら、テーブル越しに私の顔をじっと、瞬きもせずに見つめてきていることに気がついた。
その静かで熱を帯びた青い瞳に見つめられ、私は昼間のロマーナさんの言葉――「結婚!?」「主従関係なんて、世界の前では無意味よ」――が突如として脳内にフラッシュバックし、心臓がドクンと大きく跳ねた。
「な、なに? どうしたの、カシウス。私の顔に、インクでもついてる?」
私は動揺を隠すように、自分の頬や顎をペタペタと触りながら尋ねた。
カシウスはゆっくりと首を横に振り、カップを置いて、ふわりと柔らかく、包み込むような微笑みを浮かべた。
「いえ……。ルキア様が、最近はずっと、昔のように心からの笑顔を取り戻されているので……それが、私はとても嬉しいのです」
昔のように。
その言葉を聞いて、私は思わず言葉を失った。
私の今世の人生、記憶が戻る前のルキアとしての人生は、決して明るいものではなかった。幼少期から容姿に強いコンプレックスを抱き、貴族社会の冷たい視線に晒され、常に下を向いて生きてきた。前世の記憶を取り戻し、とりあえず美容を始めた頃。エルフの秘薬も商人に土下座して買い。
そしてそして、ロマーナさんがもたらした美容技術によって、見た目は「ビフォーアフター」を遂げた。というものの、それまでの暗い人生の染みは、そう簡単に消えるものではなかった。
前世の記憶が戻ってからの私は、まるで何かに取り憑かれたかのように行動した。見せかけだけの貴族としての見栄をあっさりと捨て去り、先祖代々の屋敷も、不要な豪華なドレスも、価値のある宝飾品もすべて競売で売り払い、莫大な借金を一気に返済した。そして、美容オタクへと変貌を遂げ、自分の趣味である裁縫を活かして、王都の片隅で小さなお店を始めたのだ。
周囲の貴族たちは当初、私を「没落して頭がおかしくなった令嬢」と嘲笑った。
確かに、長年そばにいたカシウスからも見れば、私の劇的な変化は、不思議どころか「何かに憑依されたのではないか」と疑うレベルの異常事態だったはずだ。それまで塞ぎ込んでいた主人が、急に屋敷を売り飛ばし、見たこともない丸い鳥のぬいぐるみを、夜な夜な嬉々と縫い始めたのだから。
それでも、カシウスは私を一度も疑うことなく、否定することもなく、ただ黙って寄り添い、私の選択を信じてついてきてくれた。そして今、楽しそうに商品の構想を語る私の姿を見て、彼は、自身の事のように喜んでくれている。
カシウスのその優しさと、彼が本当に嬉しそうにしている姿を見て、私の胸の奥から、温かくて泣きたくなるような感情が込み上げてきた。
「……新しい人生……ううん、違うわね」
私は麻紙の上に置いた自分の両手を見つめ、そして、真っ直ぐにカシウスの瞳を見返した。
「一度きりの人生だもん。周りの目なんて気にして、暗い顔をしてちゃ、もったいないと思って。自分が好きなこと、やりたいことをして、楽しく生きなきゃと思ったの」
それは、前世の税金の支払いと忙しい時間に追われ、やりたいことも満足できず、寝るのが一番楽しいという思い出で終わってしまった記憶を持つ私自身の、魂からの決意表明でもあった。
私の言葉を聞いたカシウスは、深く、穏やかに頷いた。
「はい。ルキア様が楽しく、笑顔で生きられること。それが私にとって、何よりの喜びであり、誇りです。ルキア様の進む道がどこであれ、私はずっと、お供いたします」
満月の光が差し込む静かなアパートの一室で、彼が紡いでくれたその優しい言葉は、どんな高価なお茶よりも、どんな成功の約束よりも、私の心を強く、そして温かく満たしてくれたのだった。




