巫女の務め(2)
みなもの様子がいつもと違うことに実菜穂と陽向は、その空気から感じ取っていた。
冷静であり、全てを見通し、気丈であるはずのみなもが二人の巫女を前に憂いの色をその瞳に浮かべていた。
「みなも、参上しない神様って……務め以外に何か理由があるの?」
実菜穂が持ち前の好奇心を開花させて、訊いた。
「あるのう。『神議り』に参上せぬ神……と言うより、参上できぬ柱じゃ」
「参上できない?」
新たなる事実に、実菜穂と陽向は興味津々の表情で聞き入った。
「天津が原には獄というものがあることは知っておろう」
「はい。神にとっての監獄。嶺漸もそこにいる」
陽向がキュッと柔らかな唇を噛み締めた。嶺漸とは、雷鳴の女神であり、強さを求めるがために神としての道を踏み外し、ナナガシラで陽向と死力を尽くして戦い敗れた柱である。
「そうじゃな。この獄は、神としての務めを果たさぬ柱が入るところじゃ。まあ、中にはアマテの神が手を焼いた柱も入れられておるがのう」
「つまり、獄に入っている神様は『神議り』の場に出してもらえないから、参上できないっていうこと?」
実菜穂が顎に手を当て、深く考え込んでいる仕草をしている。当たり前のことを言っているが、本人は真剣に考えているのだ。
「そうじゃ。獄におる連中が出てくれば、天津が原はおろか地上の世界は混乱するじゃろう。厄介な柱どもじゃ」
「獄にいるのは、そんなに変な神様なの? 確かにアマテの神が持て余すくらいだから、大鉤のような暴れ者が多いのかな」
実菜穂が再び神妙な面持ちでみなもを見ている。みなもはゆっくりと首を振り、実菜穂の言葉を受け止めた。
「大鉤など可愛いものじゃ。獄の中には、天津が原に火をつけてアマテの神の御殿まで焼き尽くそうとした柱や、地上の世界で太陽を隠した柱もおる。中にはアマテの神を再起不能なまでに酩酊させて『神議り』で最高神を名乗り出ようとした不届きな柱までおった」
みなもは、チラリと火の神を見た。火の神はコクコクと頷き、彼女の説明を聞き入っていたが、涼し気な視線を感じて再び表情を引き締めた。
「ほえーっ、そんな神様をおちおち『神議り』に参上させられないよね。おっかなーい。アマテの神様って江戸時代の将軍様みたいだね。油断したら寝首をかかれるなんて」
「もっとも、その柱もとっ捕まって、こっ酷くアマテの神に仕置きを受けたわ」
本気でアマテの神を心配している実菜穂をみなもは、幼い子供を見るような優しい瞳で見つめていた。
実菜穂と陽向は、神話でも語られていた太陽が隠れたという話が、本当にあったことなのだと興奮して話している。そこに、みなもの柔らかくも憂いが込められた声が割り込んできた。
「ところでじゃ。その太陽のことで話しておかねばならぬことがある。獄におる神は、閉じ込められておるから日の目を見ることはない。じゃから他に害を与えることはできぬのじゃが、この世界にはもっと厄介な神たちがおってな」
「と……言いますと⁉」
みなもの引き締まった唇を見ながら、実菜穂が背筋を正した。緩みのない唇の時のみなもの神気は、辺りを一瞬にして静粛な空気で満たした。
「お主が先程申した『神無月』じゃ。知ってのとおり、この地から神がいなくなる。そうなれば、これ幸いにと黄泉の世界から闇の神々がこの世界に現れる。おまけに物の怪もうじゃうじゃとな」
「と……つまり、氏神様が『神議り』に参上している合間に、黄泉の世界から良からぬ者たちが来るってこと?」
「そうじゃ。太陽を隠した神もその混乱が目的じゃった。今でもそれが続いておるでな。まっ、太陽の代わりが氏神どもと言うわけじゃ」
みなもの言葉に実菜穂は「うーん」と声を上げながら、天高く輝く太陽を見上げて考え込んでいた。
「みなも、『神議り』は昔からあったんでしょ。でも私、危険な目には遭ったことないよ」
実菜穂の素朴ながらも核心を突いた疑問に、みなもは微かに口角を上げて目の前の二人の巫女を見た。
「実菜穂、お主の言葉はもっともじゃ。なぜ、無事でおったか。本当ならば、人は良からぬ神や物の怪に襲われておるところじゃ。じゃが、神に代わり護る者がおったのじゃ」
「巫女……」
みなもの問いに陽向がすぐにその答えに気づき、瞳を光らせた。
「そのとおりじゃ。氏神に代わり、巫女がこの世界を護っておるのじゃ。留守を預かるというやつじゃ」
「おおおっ……ん? えっ、ということは私がみなもの代わりに、この世界を護るということ⁉」
実菜穂が跳び上がって驚いている横で、陽向は二柱を紅の瞳で見つめていた。
「実菜穂、陽向、お主たちは儂らに代わり、この地を護ることになる。もし、自信がないというのであれば、儂は『神議り』には参上せぬ」
みなもが笑みを浮かべ二人を見つめた。その顔は麗しい光に包まれ、優しく瞳を輝かせていた。実菜穂は、すぐに首を振った。
「大丈夫。一人じゃない。頼りになる陽向がいるし、なにより私は『水面の神』の巫女だから。みなも、心配ご無用!」
実菜穂の瞳は水色に輝き、力強い笑みを浮かべた。みなもは、その笑みをいつまでも眺めていた。
陽が沈んだ神社の拝殿で、陽向と火の神が向かい合っていた。
実菜穂はとうに家路へとつき、みなもも一緒について行った。『神議り』に参上する前に氏神と巫女、いや、幼き時からの親友として一夜を過ごすことにしたのだ。
「陽向、みなもは、ああ言ったが本当はこの地の人が平和に暮らせたのは、全部あいつが護っていたからだ。承知のことであろうが、私はそなた以外に巫女をとったことがない。だが、みなもにとって実菜穂殿は二代目の巫女になる。あいつが『神議り』に参上しなくなったのは、先代の巫女を失った悲しみもあるが、人を護るためでもあったのだ」
火の神は、声を潜め陽向に語りかけた。僅かな明かりの下で、陽向は神の声を聞きながら瞳を閉じていた。
「陽向よ、みなもが、この地を離れるということは、護る神がいなくなるということだ。ここだけの話であるが、実菜穂殿はみなもの先代の巫女を討った柱から命を狙われている。奴らがこの機会を見逃すはずはない。お前には負担をかけるが、実菜穂殿を護って欲しい。もし、実菜穂殿に何かあれば、あいつは今度こそ消える。そうなれば、太陽が消えたも同じ……この地上の世界に再び混乱と争いが起こるであろう」
火の神の声に力が入った。陽向がゆっくりと瞳を開けた。
「承知しています。実菜穂は、私にとっての恩人。この御霊に代えても護ります」
陽向の言葉に火の神は大きく頷いた。




