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「当時、俺達が住んでいたのはセレコウス自治区600番という地区、というか街だった。昔ながらの街でね。だから1つの世帯が1つの家に住んでいる。戦後に急造された家屋だからどれも同じ間取りなんだ」
さて、ニシくんの顔が曇った。どこか伝わりにくい部分があっただろうか。
「自治区? 国なのかそれとも街の名前なのか?」
なんだそこか。
「もともと陽星にはたくさんクニがあった……数は忘れたが君たちホモサピよりは少ないはずだよ。豊かなクニは赤道の暖かいところに、貧しいクニは北方の永久凍土の上にあった。戦後はそれらのクニ制度は廃止されて世界政府──綴りが長いんで単にヴィーと呼んでいたが、そこに統合された。複数の言語と方言も共通語に統一されたし軍隊もすべてヴィーの指揮下に入った」
「さすがだな。あちこち戦争ばかりのホモ・サピエンスじゃ、そんなの何百年かかてっても実現できない」
「そうだね。でもこれは人類が優れているというより必要に迫られてのことだ。外星人の大侵寇があり、クニの違い、制度の違い、言葉の違いは大きなハンディとなると知った。知ったからこそ人類というアイデンティを確立した」
ノアは少しだけ、ソファの上で姿勢を変えた。
「当時は氷河期の真っ只中にあった。だから陽星の温暖な赤道地域を農業集約地として、人々はその他の寒冷な北半球に住むことになった。大きく3つの自治区に分かれている。俺達がいたのがセレコウス自治区。大海の沿岸に沿ってあった。赤道から離れているから、海の近くといえど寒い。当時は居住塔という人工環境都市へ移住が進んでいた。
大海を隔てた向こうの大陸にラゴス自治区があった。軍事的な要衝で宇宙軍の基地もそこにある。ずっと前に新兵器ヤイ=アックプランの事故で大陸の一部が蒸発し巨大なクレーター湾ができていてね。そのせいで人々は住み着かず軍事基地だらけになった。そして軍事基地の中に街が作られた、という感じだ。実際に行ったことはないけど。
さらに小海を隔てた対岸にあったのがアンティゴノス自治区。これは地下都市でね。元は鉱山だったが戦時中にシェルターと地下都市が築かれた。そして当時は常温核融合炉で年中暖かく、分厚い岩盤をその余剰エネルギーで支えていた。巨大なエネルギーで工場を稼働させ、ゆりかごから戦艦のフォルナック式動力炉までなんでもアンティゴノス製というわけだ」
「まるでスターウォーズだな」
知らない例えだ。ユキに解説を頼もうとしたが、ニシはまた“言葉の綾だ”と断った。かわりにニシは別の質問を用意した。
「国家を3つの自治区に統合……利害関係の調整だけで頭が痛くなるが、そんなにすんなりできたのか」
「数億人が死んだ大侵寇を“すんなり”というと過去の英霊に呪われてしまうが、まあそうだ。俺はその戦後生まれだから戦前がどういう価値観だったかは知らない。教科書の中でもあまり聞いたことがない……ま、ともかくそうして俺達は人類と名乗ることになったわけだ」
「陽星に住む人類か、なるほど整理できた。あんたも歴史の授業で戦争を学んだって、いかにも平和そうな高校生活だ。戦争とは無縁の。うらやましいよ」
「君も、そうだったはずでは?」
「そうだった。でも今は違う」
皮肉じゃない言い方だ。彼の資料は読んでいる。かなり数奇な運命だが、神の存在を知っていれば、やはり彼の人生はそうとう、上位者のおもちゃにされている。神戯の掌。古代宗教の演目ふうに言えば、そうなる。神様の手は広くて逃げようがない。まったくの悲劇ではあるが。
「平和な日常というのは、不意に崩れるんだ。英雄になりたい、そう願っていたが英雄にならざるを得ない状況に変わった。でも、その本当の意味を理解したのはだいぶ後のことだった」
いつもの帰り道。
天気予報じゃ来週からもっと寒いの季節が始まるらしい。嘘だ。午後の雪だけでももうすでに膝の高さまで積もっている。保温インナーのおかげで寒さを感じるのは顔だけだけど、じめっとして鬱陶しい。
ノアが先を歩いて雪をかき分け、フリムは出来たばかりの小道を楽々歩いていた。週に1度の登校日は楽しいらしく、朝 同じクラスの女子たちと話したことをまたもう一度話している。
「——でね、個人通信端末にゲームをダウンロードしたんだけどさ、今更始めてもレベルが全然追いつけないよね? って言ったらみんな優しく教えてくれてさ」
「んーいいカモじゃ」
背中に雪玉がぶちあたった。
ノアは、フリムの話をうわの空で聞いていた。パルで、来週から始まる軍事訓練の案内を見ていた。
訓練といってもなんてことない。つまんない座学と装備の付け方を基地に行って学ぶ。あともっと寒い《フリージョス》の季節でのサバイバル術とか。そんなつまんない行事が週に1回、半年間続く。
その半年の期間の最後の最後で、やっと銃が撃てる。1人5発だけだけど。
「当ててあげようか」
フリムが背中を小突いたせいで、ノアは足を深い雪の中にずっぽり埋めた。
「ノアがぼけーしてるのはいつものことだけど、来週からの訓練が楽しみなんでしょ」
「はずれ。別に楽しみじゃない」
「でも鉄砲、好きでしょ」
ノアは返事に困っていたが、フリムは言い訳を許さなかった。
「男子って好きよねーそういうの。去年の訓練もさ、体力練成会? あれ私1番だったらしいいんだけど、鉄砲は難しいのよね。重いし、持つだけでも大変」
「意外と腕力は無いんだな」
「私、女の子ですから。ノアは走る練習でもしたら?」
この雪だらけの中をどう走れっていうんだ。
「兵隊さんは、大変。銃と、背嚢と、全部抱えるんでしょ」
「訓練に使っているのは旧式の2型ライフル。全部鉄でできてるから重い。だけど今、軍が使ってるのは3型ライフル。樹脂製だから軽いし素手で触っても皮膚が張り付かない」
「ほーら、やっぱり好きなのね。男子っていつもそうよね」
仕方がないだろう。機械とか火薬とか、男は黒光りする固いものが好きなんだ。
やっと英雄の丘公園の頂上まで来た。雪で通路が隠れているがいつも歩いている道だから踏み外さないよう、歩くなんてわけない。
英雄たちのレリーフは風花雪が張り付いているせいでほとんど見えなくなっていた。でも銃だけは見えた。2型ライフルのようにも見えるが。しかしあんな長いライフルを担いで宇宙まで行ったのか、実際のところわからない。戦前はたくさんクニがあって、豊かなクニでそれぞれで別々の銃を作っていた。だから統合政府のもとで2型ライフルが作られた。1型は無い。
レリーフを見上げている間に、フリムはノアを追い越した。
「夢もいいけど、数学の宿題ちゃんとしないと」
「わかってる」
今度はオフクロと同じこと言われた。
「中等部のときは宿題しなかったら怒られて、終わり。でももう子どもじゃないんだから、宿題をしなくても誰も怒らない。で気づいたらもう周りに追いつけない」
「俺なりに、やってるって」
「どうせパルでおっぱいの大きいオネイサンを見てるんでしょ」
「見てないって!」
「あーあ、ヤだヤだこれだから男子は」
嫌ならわざわざ俺と一緒の帰り道を歩くなよ。
フリムのせいで宿題のことで頭がいっぱいになった。先週の未提出分と今週の分をまとめて明日 出さなくてはならない。答えを写させてくれるような友達も、いない。フリムは絶対に答えを教えてくれない。わかっている。
空に虹がかかった。
ちょうどレリーフの背後だ。真っ暗な雪雲の下に虹がかかった。
「虹? そんなはずない。虹は寒い季の雨のときにかかるんだ」
小学校でそう習った。めったに見ることはできないけれど。
痛い/女子体力練成会No1の腕力で、フリムに腕をつかまれた。
「あれ! 見て! ねぇってば!」
フリムに無理に引っ張られて首がもげるかと思った。レリーフの反対側/ちょうど西の山脈のほうだ。雪雲の裏側が明るく照らされている。明るくなった雲を突き抜けて輝く火球が落ちた。それもひとつじゃない。ばらばらと、湿雪を投げたみたいに燃えながら遠い遠い山脈の向こうへ落ちた。
おかしい。
あれが何か直感でわかる。だから、おかしい。そんなはずは絶対ない。
「あれって、宇宙船?」
大侵寇の資料ビデオは学校で何度も見させられた。当時のなけなしの人工衛星は全部破壊されて火球になって落ちてきた。そして勝利の時も、シエリアの艦艇は巨大な火の玉になって陽星の地表に降り注いだ。
「事故とかそういうののはずはない。宇宙軍は全部出港してしまったんだ」
フリムも、それを知っているはずだ。俺も知っている。でも、やっぱりその答えはあり得ない。
「じゃあ、世界政府の宇宙ステーションが?」
まさかそんなはずはない。巨大な構造物を動かすのは大変だって、物理の先生が言っていたことだけは、理論はともかく覚えている。
街の上の雪雲もにわかに輝きだした。ノアとフリムは雪をかき分けて丘の展望台へ向かった。ちょうど街の半分ぐらいが見える。その向こうは海だ。
雲を突き抜けてきたそれは、しかし火球などではなく、ゆっくりとロケットエンジンを逆噴射させながら高い建物を避けてハイウェイの交差点に着地した。融けた雪が水蒸気に変わった。雲の柱が海風に流されて斜めになった。
「繭?」
すぐ近くの家々の倍の高さはあった。繭から足が8本伸びて立ち上がる。まるで蜘蛛——
「バクテリオファージみたい」
「はい?」
「もう、ノア、ちゃんと勉強しなよ。中等部で習ったでしょ。ウィルスの」
ああ、そんなのもあった気がする。
繭の内部から頭部がするすると伸びて細い胴体があらわになる。ちょうど繭の直上に虹がかかっていた。
街のあちこちに繭が落ちる。2人のすぐ頭上を轟音を立てながら繭のひとつが落ちていく。学校の校庭を狙ったらしいが少しずれて校舎に突き刺さった。
何が起きているんだ。
奇怪な巨大バクテリオファージが街のあちこちで起立した。どれも沈黙している。翻って街のあちこちから警察や消防のサイレンが鳴り響いている。
続いて街の各所のスピーカーが巨大な音量と音圧で揺れた。
「避難警報!」
耳が痛い。この英雄の丘公園にも緊急スピーカーが設置されている。不快なサイレンが耳を覆った両手を通り越して脳髄を揺らす。
「敵襲だ」
学校で習った。訓練以外で聞くなんて。そして眼下では、バクテリオファージが輝きをガンガンに増した。ちょうど8本足の中央の空気が揺れて、そして軍団ともいうべき、銃を手にした集団が駆け足で現れた──何なんだあれ。
「戦争だ、戦争が始まった!」
ノアは柵から身を乗り出して火の手の上がる街を見ていたが、フリムは力ずくでノアをひっぱった。
「早く! ノア、逃げなきゃ! ぼさっとしないで」
物語tips:世界政府
陽星の政府。綴りが長いので略称のヴィーと呼ばれることが多い。
50年前の大侵寇で豊かなクニが滅びたあと、生き残った人類が設立した。法、軍事、言語の世界統一が達成された。本拠地は中立を保つため、また守りの要である宇宙軍を直接指揮するため軌道上の宇宙基地に存在している。




