プロローグ
居心地のいいソファだと思う。
外観はつるんと継ぎ目のない金属の造形だが、内側はスエード生地が貼ってある。居心地がいいのだから何時間座っていても疲れない。皆に尊主などと呼ばれる地位についても——つかざるをえなかったわけだが——なにひとつ、資産らしい資産はもたなかった。俺に持たせようというのも、させなかった。半ば崇拝されているのは分かっていたが、今の人類は、今の人類自身が運用すべきだ。
でもひとつだけ。この居心地のいいソファだけを所望した。誰ひとり文句を言おうとせず、文句らしい文句と言えば「カテドラルで一番の家に住むべきだ」という感じの、雑音くらいか。
何の変哲もない家具だけれど、そういう由来がある。
ソファに座るノア……その向かい側には、つんと静まった男が、居心地の悪そうな固い椅子に座らされていた。この椅子の由来は知らない。たぶん、どこかの工場で量産されてそのひとつの備品が、施設の適当なところに置かれ、必要な時だけ必要とされる、椅子。
彼は敵意ともとれる眼光を向けられている。適当な椅子に座らされたからじゃない、のは確かだ。足を組みその合わさった膝の上にさらに、手を重ねている。
彼の名前は、ニシ。よく訓練されている兵士だ。ほんの少しの隙も無い。じっと辛抱強く俺が話すのを待っている。心理戦だ。よくある手の。
ニシの隣は、付き添いないし監視役にユキが立っていた。すらりと背が高く前後左右に少しも動かない直立不動/人形のような立ち振る舞い。むしろ人形そのものである。11進数量子コンピューターのインターフェイス用疑似人格プログラム、その行動用汎用素体だ。
「すべてを話そう」
自己紹介はさっき終えたばかりだった。重苦しい沈黙のあとノアが切り出したがニシは予想通りとばかりに眉ひとつさえ、瞳孔さえも動かさない。
「結論から話せ。あんたの説明は回りくどい。たかが自己紹介にどれだけ時間をかけたかわかっているのか」
ふむ、わからない。ユキに確かめようとしたがニシは首を振って“言葉の綾だ”と言葉を口の中に含んだ。
「しかし」ノアはそう切り出した「話というのは端折ってばかりでは理解が及ばない。君が、たぶん君の認識と理解と知識と経験では、端折った話はその表面しか理解できない」
「日本には1を知って10を知る、ということわざがある」
「それはつまり、寓像ということかい?」
「いちいち言わなくても分かるという意味だ」
「しかし、言葉を介さず分かるという割には、君たちホモサピエンスは同種同士で殺し合いをしているじゃないか」
沈黙。あるいは怒気。
ニシはよく訓練されている。訓練したのは人類軍なのだが、すばらしい。久しぶりのおしゃべりは楽しいがあまり無駄話をしていてはユキにしかられてしまう。
ノアは視線だけで合図し、真白な虚空の部屋の——その唯一の入り口をくぐってユキが来た。今ここにいるユキの汎用行動素体とは別の個体が、両手で腕のギアをきしませながらハードケースを持ってきた。
指紋認証でケースを開けた。中には1振りの直剣がしまわれていた。剣と呼ぶには短いが銃剣にするには長すぎる、そういう直剣だった。柄には牛の本革が巻いてある。
刀身はくすんだ大理石のような色合いだったが、ノアが触れたとたん青い宝石のような輝きを増した。
「君なら、この剣の由来を知っているはずだ」
にこり。ノアの顔が下からの青い光に照らされた。
「ニケの爺さんの剣だ。俺も同じものを持っている」
「本来は2振りで1組の剣なんだ。ニケのお爺さんは、ふふ、口数が少ない」
「というか、聞いたことしか答えてくれない。あんたもニケの爺さんに会ったことがあるんだろう? でも全然、あんたのことは話してくれなかった。まるで——」
「師とは寡黙であるべきであり、弟子は自ら疑問を抱き師に尋ねばならぬ」
「あ、ああ、そんな感じ。俺は、単に耄碌しているだけかと」
なんとも、歯に衣着せぬ言い方は、個性的だが誰も彼を好きにならないだろう。むしろ好きになってほしくない、自らを世界の外へ追放している、そういう男だ。
ノアは剣をハードケースに戻した。ユキの別の素体は、軽かったはずのその剣を再びギアをきしませながら帰路についた。
「すべてを話すよ」ノアはまたソファに座って「すべてを。始まりから」
どこから話したらよいものか。そうだな。まだ俺が高等部に上がったばかりのころだ。学校の帰りはいつも英雄の丘公園を横切って、歩いて帰っていたんだ。陽星は1年の大半が雪が降っていてね。しかも深い。でも英雄の丘公園はいつも除雪が行き届いていたから歩いて帰るのにちょうどよかったんだ。
「英雄? あんたのことじゃないのか」
ニシが口を挟んだ。ちゃんと聞いていてくれたらしい。
「50年前に大侵寇があったんだ。コイレ=シエリアという外星人が——いや、シエリアというのは人類側の呼び名で見かけの位置がシエリア星雲方面へ数光年行った先にあるからで、彼らはコイレと自称していた。“人間”という意味だが……」
いけない。また話が回りくどくなってしまった。ニシの顔が曇っている。どうもこういう話は苦手だ。なにせ皆が知っているはずの常識なのだから、それを改まって話すとなると子どもと話す時以上に、複雑だ。ユキなら、もう少し理路整然と話すんだろうが「こういうのはご自身でするべきです」とか言うせいで任せられない。
「ともかく、俺が生まれるずっと前の話。当時、軌道上に展開するシエリアの艦隊に決死の攻撃を敢行した英雄たちの碑なんだ。熱核兵器を手に白兵戦を挑んだ。もちろん、全員殉死したが。分かり……にくいかい、の話?」
「自己犠牲と勝利、だろう? お前らの言うところの、ホモサピエンスのお家芸みたいなものだから、よくわかる」
よかった。
当時の俺は、お世辞にも友達が多いとは言えなかった。もちろんそのことを両親にも言えなかった。あまり学校の話はしなかったな、そういえば。
教室の隅で、携帯情報端末で昔の戦史なんて読んでるような陰湿だが、フリムだけは一緒に帰ってくれた。
フリムは、あれだ。幼馴染で教室の中でも光っているような、そんな子だった。適職適正検査で医師ないし上級看護師の判定が出ていて、普段は専門学校に通っているから学校に来るのは週に1回だけだった。
「適職検査?」
「当時、というか今もだが、子どもたちは精神、体力、学力の検査を受ける。職業適正を判別して基礎教育の後半から専門学校に通うことになる。そもそもこれも、50年前の大侵寇で人口が激減してしまい、効率よく次世代を育成するための策だったが、意外にも理にかなっているということでずっと続けられている」
「で、あんたの適職はなんだったんだ?」
「地方公務員ないし軍の事務処理員。だから専門学校へ通う必要はない。師範学校……つまり一般教養だけ学ぶ学校だけ。つまんなかったよ正直」
「ふん、悪くないじゃないか。そういう仕事は真面目で規律を守るヒトにしか任せられない」
「当時の俺は、不服だったよ、かなりね」
体感で、今日の寒さはもっと寒いぐらい。あと1か月もするともっともっと寒いの季節がやってくる。粉雪が腰高まで積もるようになるとおちおち歩いていられない。向こう3か月間は6輪駆動バスに詰め込まれて学校と家とを往復することになる。
英雄の丘公園は、しっかり除雪が行き届いている。この小さな街でいちばんの誇りだからだ。英雄のうち1人がこの街の出身らしい。そんな話を小学校の先生に聞かされた。
もっと寒いの今日は、だいたいのヒトはバスで帰るのに、歩いている雪道を振り返るとフリムがいた。
「ねー、6組のリノちゃんがアルバイト始めたんだって。28丁目のケーキ屋さんで。でね、そこのベリーのマフィンが美味しいんだよ」
別段、フリムが学校に来ているというのを意識した覚えは無い。帰るときも、別にフリムを追いかけようとか振り切ろうとか、それも考えたことがない。どうしてついてくるんだ、と聞いても決まって「帰り道が一緒だから」なんて返事が返ってくる。
「で?」
「で、じゃなくて。おしゃべり! もう、ノアったらおしゃべりがド下手くそなんだから」
「別にいいだろ。誰だって苦手なことぐらいある」
「ふうん。私は苦手なこと無いのよ! 勉強もスポーツも。それにカワイイ」
知ってる。足もフリムのほうが早い。なんだろな、俺のどんくささってのは。嫌になる。
「どうどう、ノア?」フリムが追い越し際に「こんなカワイイ~フリムちゃんと一緒で嬉しい?」
少なくともかわいいのは認めるが、幼馴染なわけで、見慣れたその目鼻に惚れたりはするわけない。
「なんで俺に付きまとうんだよ。もしかして俺のことがす……」
言い終わるより先に雪玉が飛んでいた。湿雪を固めた玉のせいで鼻先が痛い。
「んなわけないでしょ! カワイイ~フリムちゃんは選び放題なんだから。ノアなんて選ばない」
んーそうはっきり言われると少し傷つく。
「私が帰り道一緒なのは──うんそう、帰る方向が一緒なだけ」
フリムがなんでこの道をわざわざ、俺とわざわざ歩くなんて、理由はつゆほども知らないが、少なくとも俺は、俺自身への焦りと諦めと哀れみのごった煮の感情のせいで気分は沈んだまま浮かんでこない。
英雄達が掘られたレリーフは片手に拳銃を、もう片手に球形の熱核爆弾を抱えて走っている姿だ。彼らが英雄になれたのは敵がいたから。戦争があったから50年も経った今も皆に覚えてもらっている。
空を見上げる──日差しと方角と時間が合えば、ここからでも世界政府のある宇宙ステーションが見える。人類初の宇宙港もそこにあり、宇宙軍の艦隊がずらっと並んでいるのが見える。頭も顔も悪いが、目だけは良いから。
その宇宙艦隊は、今はもういない。1年ぐらい前、シエリア星雲方面へ出かけてしまった。惑星を焼き払えるという新兵器を抱え、宿敵の母星へ。片道2年かかるのでもう今頃ほとんど到着してしまったかもう敵を倒してしまったか。
ぼんやりと、英雄たちのレリーフをみるとそんな考えばかりが頭によぎる。
「戦争が終わってしまったら英雄になれない」
ぼんやりと歩いてぼんやりと言ったせいで、急に立ち止まったフリムに気づけなかった。
「なんて馬鹿なこと言ってんの!」雪玉は投げられなかったが「不謹慎でしょ。戦争のせいで何人死んだと思ってるの」
「え、諸説あるけど。昔の豊かなクニの人々はほとんど軌道爆撃で死んでしまって……」
「9億人! 50年前の戦争で人口の9割が死んだのよ!」
それは、一般人の思ってる数だ。そんなに死んでるはずないだろう。もしそうなら人類はとっくに絶滅している。せいぜい7割といったところで、戦後の飢餓と疫病と、世界政府へ統合するときの混乱で少々、死人が出た。
「この間の適職適性試験で──」
「また受験したの? 何度したって結果は変わらない。数学の試験じゃないの」
くそう、担任と同じこと言われた。
「また同じ、地方公務員ないし軍の後方要員」
ノアの愚痴に飽きたらしく、フリムは自宅への道をたどりはじめた。弧を描いたスロープが丘の麓まで続いている。伝熱素子の練り込まれたゴム材の地面なので、滑りやすい斜面は凍っていなかった。
「いい、ノア? 英雄たちはたしかにすごい。誰にもできない決断をしたから。でも、英雄たちは、英雄たちだけで戦えたわけじゃないの。彼らの武器は? 服は? 食べ物は? 誰が作ったの? お給料の計算は誰がしたの? たくさんの人の支えがあったから英雄になれたの」
「なにそれ? お前の格言?」
「アアギ先生が言ってたでしょ? 寝てたの? まったくノアは歴史の授業ばっかり元気なんだから」
いちいち核心を突かれるとうざい。
「何も、銃を持つヒトだけが英雄とは限らないのよ。それを支えるのも立派な仕事なんだから──何、不満なの? じゃあ次の適職適性試験までにしっかり勉強しておくことね」
勉強、といっても試験内容は数学や社会科とは違う。
「あれ、知能テストなんだから事前に勉強していたらズルじゃないのか。対策本も買うべきじゃない」
「バカね」
フリムのそっけない態度に、さすがにノアもムッと睨んだ。
「いい、ノア」いつもの前置きに続いて「あの試験は、事前の対策も加味して作られてるの。当たり前でしょう? バカ正直にシラフのまま試験を受けたってそりゃ程度も知れるってものでしょ。そんなルールを馬鹿正直に守ってるから、テストにも『地方公務員でもしてたら?』って言われるの。だって、区役所の職員がズルしてたら、ヤでしょ? もしかして仕事がヤなの?」
「嫌じゃないけど。職業差別はしたくないし」
「というか将来何になりたいわけ? 英雄って仕事無いんですけど」
もう帰路の分かれ道に近づいたせいで、フリムも話を巻いている。
「兵士。いや軍人かな」
「士官学校ね。うーん、じゃ勉強全般と、あと運動じゃない? ホッケーでも始めたら?」
「今さら始めたって遅いと思うが」
よく聞こえるように、フリムはため息を吐いた。
「いい、ノア? ノアの悪いところはそこ。新しいことを始めると、初心者はうだつがあがらないから今できることしかしない。それじゃだめなの──」
くそう、オヤジと同じこと言いやがった。
「──だれでも初心者から始めるの。もちろん、才能の差はあるけれど、努力すれば“並以上”にはなれるの。英雄はともかくね」
フリムは、ノアの反論を許さず、ぱっと踵を返すと自宅の方の分かれ道をさっさと歩き去ってしまった。
物語tips:携帯情報端末
各個人が持っている情報端末装置。インターネットと繋がっていて世界中の情報へ瞬く間にアクセスできる。視差を利用した立体映像の画面がある。鮮明な画像を見たい場合は外部スクリーンもある。
オフラインでも利用でき、パーソナルコンピュータの子機や電子機器のリモコンにもなる。




