第14話 父の評定、子の沈黙
評定の場には、声の強い者がいる。
だが本当に場を支配する者は、必ずしも声を張らぬ。
義重は、そのことをこの日ほどはっきり感じたことがなかった。
境の村の絵図と、失踪者が通った裏道筋が近いと分かってから、城の中ではまた一段、物事が繋がって見え始めていた。
火は小さい。
だが、それが上がった場所は偶然ではないかもしれぬ。
旗なき兵も、城下の見慣れぬ旅人も、消えた下役も、裏道も、どこかで同じ網に引っかかっている気配がある。
若い義重には、それがもどかしかった。
ここまで繋がっているなら、なぜすぐ兵を出して押さえぬのか。
なぜ境の近くを洗わぬのか。
なぜ名を出して問い詰めぬのか。
胸の内では、そういう思いが何度も頭をもたげる。
だが、この日の評定で父が見せたものは、その思いを単純には吐き出させてくれなかった。
評定の間には、朝からすでに人が集まっていた。
火の報、村の様子、川筋の道、近隣の郷の動揺、国衆筋への探り。
紙は増え、声は減っている。
皆がそれぞれに考えているが、それをむやみに口へ出せば場が崩れると知っている顔だった。
義重はいつもの位置へ座る。
老臣は少し後ろ。
そして上座には父がいる。
父は、やはり多くを語らぬ。
だが、この日の義重には、その「語らなさ」が妙に目についた。
言葉数が少ないのではない。
少ない言葉で、先に進めてしまうのだ。
まず、村の件を大きく騒ぎ立てぬことが確認された。
「境にて火は上がった。されど、騒ぎ立てるな」
父の声は低い。
怒鳴らぬ。
なのに、場はその一言で形を取る。
「は」
重臣たちが応じる。
「近隣の村へはどうする」
「先に使者を」
「米と薬も」
「騒ぎが広がらぬよう、郷の者を通じて」
「うむ」
短い。
だが、それで足りている。
義重は、内心で少し苛立っていた。
もっと強く言えばよいではないかと思う。
どこの兵とも分からぬなら、なおさらこちらの強さを見せるべきではないのか、と。
だが父は、まず村の救済を急がせた。
怪我人に薬。
焼けた箇所の手当て。
米の運び。
逃げ出しそうな者を落ち着かせる使者。
そのすべてが、兵の増派や怒りの宣言より先に並ぶ。
義重は、それが分からぬでもなかった。
分からぬでもないが、腹が追いつかない。
「敵を追わぬのですか」
思わず口が出かけた時、老臣の袖がわずかに引かれた。
ほんの少しの力だ。
だが、それで「今ではない」と分かる。
義重はぐっと口を閉じた。
父の視線が、こちらを見たような気がした。
叱るでもない。
止めるでもない。
ただ、見ておけ、と言うような視線。
評定では次に、周辺の国衆への探りが話し合われた。
「いきなり兵を大きく動かせば、こちらが何を重く見たかを知らせることにもなります」
「うむ」
「まずは近辺の国衆筋へ探りを入れ、どこが妙に静かで、どこが騒ぎを知りすぎておるかを見たく」
「急げ」
義重は、そこで初めて少しだけ驚いた。
村の件そのものだけでなく、周辺の反応を見る。
火そのものより、その火を見て誰がどう動くかを見る。
たしかに理にかなっている。
だが若い義重からすれば、どうにも遠回りに見える。
遠回りに見えるが、もしかするとそれがいちばん早いのかもしれぬ。
そう思う瞬間もある。
それでもなお、まっすぐ斬り込みたい気持ちが消えるわけではない。
評定は続く。
「敵を決めるには早うございます」
「されど遅すぎれば、次の火を呼びます」
「ゆえに、まずは近隣の動揺を抑える」
「そのうえで、道を見て、金を見て、人を見よ」
「村が逃げ腰になれば、それ自体が負けにございます」
「うむ」
父は言葉少なだ。
だが、誰かの案を長々と飾らせない。
必要なところだけを取り、余計な熱を削ぎ、場を収めていく。
それは義重には、時に臆病にも見えた。
斬るべき時に斬らず、
怒るべき時に怒らず、
曖昧なまま場を引かせているようにも見える。
だが同時に、それが賢さでもあるのかもしれぬという厄介な感じも、義重は覚え始めていた。
軽々しく敵を決めぬ。
村の救済を急ぐ。
近隣の動揺を抑える。
並べれば理は通る。
だが、理が通るからといって、若い胸の中の苛立ちまで収まるわけではない。
義重は、口を挟みたくてたまらなかった。
なぜすぐ兵を出さぬのか。
なぜ村を荒らされたまま、まず言葉や米の話をするのか。
なぜ相手の名を決めぬのか。
けれど、父の前でその問いをぶつけるには、まだ足りぬとも分かっていた。
自分は見ている。
だが父は、見た上で飲み込んでいる。
その差を、義重は悔しいほど感じていた。
評定の中ほどで、ひとりの重臣が少し熱を帯びた声を出した。
「村へこれ以上の火が及ぶ前に、兵を厚く見せるべきではございませぬか」
父はすぐには答えなかった。
場がその沈黙を待つ。
やがて短く言う。
「厚く見せれば、向こうも厚く隠れる」
重臣は口を閉じた。
義重はその言葉に、また少し驚いた。
父は大きく構えぬ。
だが、何も恐れていないわけでもない。
相手がこちらの動きから学ぶことを、先に勘定に入れているのだ。
怒りより先に、相手の目を勘定に入れる。
それは若い義重にとって、少し嫌な強さだった。
評定が終わりに近づいた頃には、やるべきことが静かに定まっていた。
村へは救済を。
周辺国衆へは探りを。
境目の見張りは厚くするが、あからさまにはせぬ。
城下の旅人筋もなお見よ。
そして、騒ぎを大きく見せるな。
義重は最後まで黙った。
黙れたことに、少し驚いた。
途中で一度や二度ではない。
何度も口を挟みたくなった。
けれど、そのたびに父の短い言葉が場を先へ進めてしまうので、差し込む隙がなかった。
評定のあと、義重はしばらく一人で廊下を歩いた。
板張りの上を、靴音もなく進む。
庭の向こうでは風が木を揺らしている。
城下は静かだ。
だが、その静けさの裏で、今この瞬間も境の村では火の跡を踏み、人が不安な顔をしているのだろう。
老臣が後ろからついてきた。
少し間を置いてから、静かに口を開く。
「若君」
「何だ」
「よく耐えられましたな」
義重は足を止めた。
「何をだ」
「口を挟まずにおられたことにございます」
義重は少しだけ顔をしかめる。
「我慢していたのが分かったか」
「分からぬ者は、この城では長く生きられませぬ」
「……」
老臣は並ぶように立ち、庭を見た。
「若君は、なぜすぐ兵を出さぬのかと思われたでしょう」
「思った」
「なぜ村を荒らされて、まず米や薬なのかとも」
「思った」
「なぜ名を決めぬのかとも」
「思った」
老臣は頷く。
「それでよろしいのです」
義重は眉を寄せた。
「よくない」
「よくございます。若君がそう思わねば、いずれ兵を動かす時の熱が足りませぬ」
「だが、父上は違う」
「違いますな」
「臆病にも見える」
老臣は、その言葉にすぐには反発しなかった。
少しだけ考える顔をして、それから言う。
「賢さは、時に臆病に見えます」
「……」
「とくに若い目には」
義重はその言葉が少し気に入らなかった。
若い目だと言われるたびに、自分の見えているものまで軽くされたような気がするからだ。
だが、老臣はすぐに続けた。
「しかし、臆病に見えるものがすべて賢いわけでもございませぬ」
「どちらだ」
「当主がどこを見ておるかによります」
義重は黙る。
老臣は庭石の向こうを見ながら言った。
「当主は怒りより先に国の勘定をする」
その一言は、ひどく静かで、重かった。
「国の勘定……」
「はい。怒るのは、兵にも村人にもできます。ですが“今ここで怒れば、どこが減り、どこが揺れ、どこが得をするか”を先に数えるのは、当主の役にございます」
義重は、その言葉を胸の内で何度か転がした。
怒りより先に、国の勘定をする。
それは少し冷たい。
少し嫌だ。
だが、当主というのはそういうものなのかもしれない。
兵を出す。
村を守る。
敵を討つ。
それらの前に、何が減り、何が揺れ、どこが得をするかを数える。
それができねば、たとえ一度斬って勝っても、国全体では負けるのだろう。
「俺は」
義重が低く言う。
「まだ、すぐ斬りたいと思う」
老臣は少しだけ笑った。
「それでよろしゅうございます」
「よくないと今言ったばかりだ」
「当主としては、すぐ斬りたいばかりでは困ります。ですが若君としては、まずその熱が要る」
「……ずるい言い方だな」
「年寄りはそのような理屈を覚えるのでございます」
義重は鼻を鳴らした。
けれど、その胸の内には、ただの反発ではないものが残っていた。
父の評定は、苛立つ。
もどかしい。
言葉が少なく、すぐに兵を出さず、まず村を落ち着かせ、周囲を探る。
若い義重には、回りくどくも見える。
だが、その回りくどさで場が崩れていないことも事実だった。
もし自分があの場で大きく怒っていたら。
もしすぐ討てと叫んでいたら。
村は少し安心したかもしれない。
だが周辺は余計に騒ぎ、敵はさらに隠れ、内の綻びは別のところで広がったかもしれぬ。
そう考えると、父の沈黙はただの沈黙ではない。
言わぬことで、余計な火を増やしていないのだ。
廊下の先から、近習の少年がそろそろと顔を出した。
何か用があるらしいが、今声をかけてよいものか迷っている顔である。
義重はそれを見て、少しだけ気が抜けた。
「何だ」
少年は慌てて近づいた。
「い、いえ、その、書の稽古の続きをと」
「今か」
「今でございます」
義重はしばらく少年の顔を見ていたが、やがて小さく息を吐いた。
「……黙っている方が難しい」
ぽろりと出たその言葉に、近習の少年はきょとんとした。
老臣だけが、深く頷いた。
「はい」
「口を出す方がまだ楽だ」
「左様にございますな」
「だが、父上はあれをやるのか」
「毎度ではありませぬでしょうが、当主とはそういうものにございます」
義重は、庭の向こうをもう一度見た。
境の村。
火の跡。
旗なき兵。
動揺する郷。
そして、それを前にまず国の勘定をする当主。
家督を継ぐ前に見ねばならぬものは、刀や馬だけではないらしい。
若君はまだ子であり、父は当主である。
その差が、今日ほど腹立たしく、また重く見えたことはなかった。
それでも義重は、黙って覚えた。
黙ることの難しさごと。




