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佐竹義重物語『鬼義重、常陸を喰らう ――坂東最凶と呼ばれた男の戦国一代記――』戦国異聞伝  作者: 常陸之介寛浩 本能寺から始める信長との天下統一


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第12話 誰の旗でもない兵

詳しい報せというものは、安心を運ぶとは限らない。


むしろ、曖昧だったものに輪郭がつくほど、不気味さが増すことがある。


境の村で起きた小競り合いについて、二度目、三度目の使者が戻るにつれ、太田の城の中では話が少しずつ具体になっていった。

火は田の外れの藁束へ移ったが、村全体を焼くには至らなかった。

怪我人は増えていない。

奪われたものも、思ったほど多くはない。


そこだけ聞けば、小さな騒ぎである。


けれど義重は、その“小ささ”がかえって気に入らなかった。


焼くならもっと焼けたはずだ。

奪うならもっと奪えたはずだ。

殺すなら、村の男を一人二人斬って逃げれば、もっと強い傷を残せたはずだ。


なのに相手は、そうしていない。


田の外れを荒らし、火を見せ、見張りとぶつかり、村を怯えさせるだけ怯えさせて退いている。手加減というより、加減を知っている動きだった。


評定の間には、朝よりさらに多くの紙片が並んでいた。

使者の言葉を書き留めたもの、村から上がってきた口書、見張りの伝えた方角、火の上がった場所、人数の見立て。どれも断片で、ぴたりとは重ならない。だが断片だからこそ、皆が自分の見たい形へ繋げようとする。


義重は、その場にいつものように座っていた。


もう「若君にはまだ早い」と言う者は減ってきた。減ったのは、義重が幼くなくなったからではない。止めても来ると知れたからでもある。さらに言えば、若君が見ていること自体に、皆がうっすら慣れてしまったのだろう。

慣れは時に怖い。

だが今の義重には、その慣れが少しありがたかった。


評定では、まず人数が改めて確認された。


「五、六という見立てが最も多うございます」


使者役の男が申す。


「もっといたという声は?」


年長の重臣が問う。


「夜明け前のことにございますゆえ、影を多く見た者もおりましょう。ただ、足跡と踏み荒らしの様子からすれば、多くて八つ、少なければ四つほどかと」


「少ない」


別の重臣が吐き捨てるように言った。


「少ないからこそ始末が悪い」


それに応じるように、別の声が入る。


「ただの野盗でございましょう。村の外れを荒らし、火をつけて逃げるなど、まさにその類」


すぐさま、向かいの重臣が首を振る。


「野盗なら、もっと露骨に奪います」


「飢えた野盗ならそうでしょうな。だが金で雇われた手合いなら、仕事は別にございます」


「では、どこぞの国衆の試しか」


「それもありましょう」


「いや」


そこへ、昨日から何度か慎重な物言いをしている老臣格の一人が口を開いた。


「村を荒らすだけでなく、こちらの見張りとわざわざぶつかったというのが妙にございます」


「妙とは」


「見つからぬようにやるなら、もっと静かに済ませられた。ぶつかったうえで火を見せたとなれば、これは“見つけさせた”と見る方が自然」


義重は、その言葉にほんの少し体を起こしかけた。

老臣が袖を引く前に、自分で止める。


見つけさせた。


その考えは、昨日から義重の頭にもあった。


火を見せるための火。

見つかるための小競り合い。

旗を隠したまま、こちらの目だけを境へ向けさせる。


評定の場では、見方が三つほどに割れていた。


一つは、野盗まがい。

食うため、あるいは金で雇われて荒らしているだけだと見る者。


一つは、どこかの国衆や土豪の試し。

本格的に兵を出す前に、境目の反応を見ているのではないかとする者。


そしてもう一つは、内通者を誘い出す動き。

小さく火をつけ、誰がどう慌てて動くかを見ることで、内と外の継ぎ目をあぶり出そうとしているのではないか、という見方だった。


義重は、その三つのどれも、完全には捨てきれぬと思った。


それがまた気持ち悪い。


「断じきれぬのが、いちばん厄介だな」


義重が小さく漏らすと、背後の老臣が「左様にございます」と同じくらい小さく返した。


評定ではなお議が続く。


「どこの勢とも分からぬ、というのがそもそも出来すぎております」

「見られたくないから隠したのでしょう」

「いや、違う」


その「違う」は、義重の口から出た。


場が静まる。

自分でも少し早かったかと思ったが、もう遅い。


年長の重臣が若君を見る。


「若君、今のは」


義重は前を向いたまま言った。


「見られたくないのではない」


「では」


「見た者に迷ってほしいのだ」


一瞬、言葉の意味が場へ落ちるまで間があった。


義重はその沈黙のあいだに、自分の考えを言葉へ整える。


「旗を隠せば、どこの兵か決めきれぬ」


「……」


「決めきれねば、こちらは怒りの向け先が定まらぬ。兵をどう出すかも迷う。村も怯える」


重臣の一人が顎に手をやった。


「なるほど」


義重は続ける。


「見られたくないなら、もっと暗く静かにやるはずだ。だが今回は、見張りとぶつかり、火まで見せた」


「……はい」


「見てほしくない者のやり方ではない」


そこで、年長の重臣がゆっくりと頷いた。


「若君のお考え、一理ございますな」


別の重臣も渋い顔で言う。


「旗がないこと自体が、情報というわけか」


義重はその言葉に、少しだけ胸の内が動いた。


そうだ。

旗がないこと自体が、もう一つの旗なのだ。


何も見えぬようでいて、「何も見せぬつもりではない」と告げている。

見えぬことによって、こちらへ迷いを投げつけてくる。


老臣がその場へ向けて静かに言った。


「名乗らぬ兵ほど始末が悪いものはございませぬ」


皆がそちらを見る。


老臣は続けた。


「野盗なら野盗なりの貪りがあり、どこぞの家の兵なら兵なりの癖が出ます。だが、名を隠し、旗を隠し、それでいて小さく火だけを見せて退くとなれば、これは“勝つため”というより、“揺らすため”の動きにございます」


「揺らす、か」


「はい。村も、こちらも」


その言い方は重かった。


勝ち負けではなく、揺らすため。

なるほどそれなら、村を焼き尽くす必要もない。

田の外れを荒らし、火を上げ、見張りを傷つけ、旗を隠して退けばよい。

残るのは、村の怯えと城の迷いだ。


義重は、その構図が少しずつ見えてくるのを感じた。


戦とは名乗ってから始まるとは限らない。


これまでは、敵がどこかにいて、いずれ旗を掲げて来るものだと思っていた。

だが実際には、旗のないまま始まる。

もっと言えば、戦かどうかも曖昧な形のまま始まる。


村の者から見れば、火が上がればもう戦だ。

城から見れば、まだ断じられぬ。

その差そのものが、敵の狙いなのかもしれない。


評定の場では、ここでまた温度差が出た。


「それでも、敵は敵として決めねば動けませぬ」


そう言ったのは、いかにも実務家らしい重臣だった。


「断じきれぬ相手を前に、ただ慎重ばかりでは村が疲れます」


すると別の重臣が返す。


「逆に、断定を急げば相手の思うつぼにございます」


「いつまでも“分からぬ”では家中の足が揃わぬ」


「だからといって、仮の敵をこしらえるのか」


義重は、そのやり取りに強い違和感を覚えた。


敵を断定したい者と、断定できぬ者。

どちらも理がある。

だからこそ、場は余計に揺れる。


断定したい者は、動きやすさを求めている。

断定できぬ者は、誤りの怖さを見ている。

だが、その間でいちばん疲れるのは村だ。


「若君」


老臣が小さく言う。


「何だ」


「ご覧なさいませ」


義重は黙って前を見た。


「皆、同じ報せを聞いております」


「うむ」


「ですが、求めるものが違います。早さを求める者、確かさを求める者、責任の軽さを求める者」


「責任の軽さ」


「人は、断定して外せば責を負います。ゆえに断定を嫌う者もおります。逆に、早く敵を決めれば人心はまとめやすいゆえ、それを欲する者もおります」


義重は、その言葉に少しだけ息を呑んだ。


責任の軽さ。


それは、あまりきれいではない言葉だ。

だが、たしかに評定の場にはそれも流れている。

誰も露骨には言わない。

だが「決めきれぬ」と言う時、その中には慎重だけでなく、責を負いたくない気持ちも混じっているかもしれない。


逆に「今すぐ敵と定めよ」と言う者の中にも、村を思う心と、自分の手で場を握りたい欲の両方があるかもしれぬ。


人の顔が、また少し複雑に見えた。


やがて、村から戻った別の使者が呼ばれた。


この者は実際に足元を見てきたらしく、泥の乾き方まで違っていた。


「足跡はどうだ」


年長の重臣が問う。


「はい。田の外れから林の方へ抜けております。数はやはり多くありませぬ」


「草鞋は」


「それが……」


使者は一拍置いてから続けた。


「村の者が申すには、幾つか見慣れぬ締め方にございます」


「見慣れぬ?」


「は。境の向こうで見ぬこともないが、村の者どものものとは違うと」


義重は、その瞬間に昨日の城下を思い出した。


南の通り。

見慣れぬ旅人。

商人にしては荷が軽く、武家にしては旗がない。

その足元を、ちらりと見た覚えがある。


ふと、もう一人の使者が言い添えた。


「……城下で見かけた旅人衆の草鞋と、似ておると申す者もおります」


場がしんとなった。


義重の背筋を、ひやりとしたものが走る。


城下で見た草鞋。

村で残っていた足跡。

別々に見えていたものが、そこで初めて同じ線へ重なった。


敵は遠くから湧いたのではない。

少なくとも、その気配はもう城下の足元にまで来ていたのだ。


老臣が低く言う。


「城下と境が、一本の道で繋がり始めましたな」


義重は、何も言わなかった。


言えば、そのまま胸の内まで出てしまいそうだったからだ。


誰の旗でもない兵。

だが、足はどこかから来ている。

その足跡は、もう城の下にまで届いている。


敵の顔なき動きが、ようやく形を持ち始めていた。

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