2-19
力なく地面に蹲り、私が渡した虫よけの薬玉を守るように必死に抱いて震えている――
そんな彼に、なんて言葉をかけたらいいのか、私にはわからなかった。
「大丈夫?」なんて聞いたら絶対「大丈夫です」という返事が返ってくるのが目に見えていたからだ。
痛みを我慢して起き上がろうとする彼に対して、薬玉を守らずに自分を守ればよかったのに――なんて思ったけど、おそらく奴隷にはそれすら許されないんだろうな。
ため息が出る。
「――…ごめん。待たせて……」
「――…いえ……」
感情のこもらない声が、胸をえぐる。
こんなことなら看板の下で待っていてもらえばよかった。
私がきちんと迎えに行けばよかった。
そうしたら、こんなことにはならなかったのに……
後悔って、なんでいつも後からするんだろう。
ため息を飲み込む。
「ごめんついでに悪いんだけど。今からあなたを洗っていい?」
「――…え?」
伸びた前髪の隙間から覗く彼の緑の瞳を見て、首を傾げて訊いてみる。
「だって、一月以上も体洗ってないんでしょ?いいかげん、さっぱりしたくない?」
“洗っていい?”とか訊いておきながら、洗う気満々で着ていたマントを脱ぎ、近くにあった樽の上に放り投げる。
邪魔にならないよう、結っていた髪を更にまとめながら彼を見ると、彼は驚愕の眼差しで私を凝視していた。
「――…おんなの、子……?」
「んん?ごめん。声が小さくて聞こえなかった。何か言った?」
「あ。いえ……なにも……」
あれ?
なんか急に顔が真っ赤になったけど、どうした?
目も泳いでるし、大丈夫かな?
あ。顔、背けられた。なんで?
「えっと…――きれいになるの、いや?」
「いえっ……そのような、ことは……」
「そう?良かった」
正直、洗われるのは嫌ですと言われたらどうしようかと不安だったけど、違うのなら話は別だ。
それならば!
彼を洗濯すべく、水汲み場の下手に置かれた大きなたらいへ向かう。
……女将さんや。
確かに私は彼を「洗濯する」とは言ったけど、あれは言葉の比喩であってね。
これ、本当に洗濯用のたらいじゃん。
本気にするなよ。
しかもこのお湯、めちゃくちゃぬるいじゃんっ!
どうやって沸かせっちゅぅねん。
てか何、この石。めっちゃ熱そうなんだけど……
―――え?
もしかして、これをたらいに入れてお湯を沸かせってこと?
あの2人が言ってた「焼き石」って、そういうこと?!
「うそでしょぉ~……」
ボタン一つでお湯が出る生活だったこの私に?
いきなりその作業はちょっとハードル高過ぎない?
でも――
これをやらないと、お湯が湧かないんだよね……
「マジか……」
――…よし。がんばろう。
腕まくりをして、傍に置いてあった火ばさみで慎重に焼き石を挟み取る。
確か、急に入れたら石が破裂するんだよね?
だからゆっくり入れなきゃいけないんだよね??
水同然のぬるま湯の中に焼き石をそっ……と入れる。
途端、じゅうううぅぅぅ……!という大きな音と共に、目の前にぶわっと白い湯気が立ち上る。
ひぃぃぃ!怖いっ!怖いよぅ!!
あまりの熱気に手が震えて、焼き石を放しそうになる。
けど、破裂は本当にイヤなので、顔を背けながらなんとか焼き石をたらいの底に沈めた。
――…よし。私はがんばった!
額に浮かんだ汗を拭い、温度を確かめる。
ちょっと熱いけど、これくらいは許容範囲内だ。
そんな私の奮闘を、湯気の向こうから瞬きもせずじっ……と見ていた彼。
やがて、何かに導かれるようにフラフラと立ち上がり、ゆっくりとした足取りでこちらに近づいてきた。
期待と不安が入り混じった視線でお湯と私を交互に見やり、ごくりと喉を鳴らす。
どうやら立ち上る温かい湯気の誘惑には勝てなかったようだ。
「――薬玉、今はいらないから、預ろうか」
「……はい」
そう言った彼の手には鎖付きのごつい枷。
瞬間、眉間に皺が寄る。
「……」
舌打ちしそうになるのをぐっと堪えて、彼の手からちょいっと薬玉を取る。
心の中でありったけの悪態を吐きながら上着のポケットから鍵を取り出し、ガチャガチャ……と乱暴な手つきで首と手首の枷を外していく。
「――…え?」
「ん?」
「いえ……その……外すの、ですか?」
「そ。邪魔くさいからね」
こんなもん、いつまでも見てられっか。
乱暴に外した枷を、視界の隅に放り投げる。
ただ、投げた先にあった今にも崩れそうな小屋を見て、唖然となった。
もしかして――これが女将さんの言っていた”使ってない馬小屋”?
あの人、こんな所に彼をぶち込めって言ってたの!?
「いや……これはないわ」




