2-16
「――…うそでしょぉ……」
所詮、私は押しに弱い日本人。
困惑と混乱が頭の中で乱舞している中、気づけば奴隷さん(泣)の契約書と鍵を握りしめ、礼拝所の前で呆然と立ち尽くしていた。
あの神父、しれっと金貨1枚持っていったな。
今更返せとは言わないけど、あれが神父さんの懐に入ると思うとなんかムカつく。
それよりも――…
問題はこっちだよ。
背後に佇む奴隷さんをチラリと見やる。
ぼさぼさで不揃いの長髪に、薄い無精ひげ。
肌も爪も荒れ放題で、体中いたる所に青あざや火傷の痕、そして無数の傷を負っている。
……これが「欠陥奴隷」、か。
身に付けているのは、首と両手首に鎖付きのごつい枷、着ているのは破けて汚れたシャツとおぼしきモノ。
残念ながら、ズボンはなし。
おかげで、シャツの隙間から見えてはいけない彼のナニがチラチラ垣間見える。
ズボンくらい履かせてやれよ、まったく……
伸びた前髪の間から見える伏し目がちの目。
死んだ魚のような目って、このことを言うんだなって初めて実感しました。
はぁぁぁぁぁ……参ったな。
フードをかぶり直しながら、心の中で盛大に溜息を吐く。
いや、ごめん。実際に吐いた。
「――…とりあえず、宿屋に行きたいんだけど、行ってもいいかな?」
「――……はい」
うわぁ、覇気のないお声。
しかもめっちゃガラガラだし。
裸足の彼が歩くたびにジャラ……ジャラ……という、精神衛生上非常によろしくない鎖の音が響く。
――なんか、私が連行しているみたいに見えるじゃん。
めちゃくちゃ不本意なんですけどっ!
「なんだかなー……」
見上げた青い空が、やけに眩しい――
それにしても、彼、ホントに歩くの遅いな。
どうしたんだろうと振り返った瞬間。
「え?」
黒い小さな「点」が、ぴょんと跳ねた。
それが何度も……何度も……
「ちょ!ちょ!ちょ!ちょっと待って!!」
瞬時に彼がピタリと止まる。
――…なんだろう。
今……見てはいけないモノを、見たような気ががが……
「変なこと、聞くけど……どれくらい、体、洗ってない?」
彼は記憶を辿るように長く考え込んだ末に、信じられない事実を告げてくる。
「――…一月、以上は……?」
……おぅふ。
だからか……だからなのか……この、強烈なニオイは。
ほぼ毎日入浴習慣のある日本人からしてみれば、いろんな意味でマジ無理案件。
どうしよう……
気が遠のく中、なんとか頭を働かせる。
初めての経験で、何をどうすればいいのか分からない。
こういう時、竜賢さんが居てくれれば的確なアドバイスがもらえたのに。
「――そうだよ」
竜賢さんで思い出した。
彼に背を向け、懐の【空間収納】からさっき片づけたばかりの虫よけの薬玉を取り出す。
「両手、出して?これ、持って」
「――…はい……」
彼の両手に強烈な臭いを放つそれを渡すと、一瞬、彼の顔が歪んだ気がした。
うん。わかる。わかるよ。
でもね。
それは、竜賢さんと私で作った信頼と実績のある特製の虫よけだ。
効かないはずはない!
あと、臭いに関してはキミも負けてないからね?
――…数分後。
黒くて小さい「点」がポロリ……ポロリ……と落ちていく。
よかったぁぁぁ。
正解だったみたい。
「オッケー。じゃぁ、行こっか」
「――…はい……」
そんな彼からちょっと距離を取りつつ(ごめん、ホントごめん)、礼拝所から目と鼻の先にあった鳥が木の枝をくわえてる看板が目印の酒場兼宿を目指して歩いた。
普通に歩いて5分もかからない距離だったけど、彼のフラつきながらの歩みに合わせていたら、すごく時間がかかった。
まぁ、これだけ満身創痍なら仕方ないか。




