第2話 ②
レッスン室を抜け出し、静まり返った地下の更衣室へ逃げ込んだコウは、壁に背中を預けて深々と息を吐いた。
手元にあるスマートフォンの画面には、新曲のダンスの動画が流れている。
(……また、俺だけワンテンポ遅れてる)
画面の中で、完璧なフォーメーションを描くメンバーたち。
その中で一人だけ、動きが硬く、どこか浮いてしまっている自分が映っていた。
「はぁ……っ」
髪をかき上げようとして、自分の前髪の手触りに手が止まる。
鏡に映る俺の髪は、一度も染めたことのない、野暮ったい黒髪のままだ。
(みんな、髪色変えたりパーマかけたりしておしゃれなのに……なんか、俺、全然アイドルっぽくないな)
もっと垢抜けて、華のある存在になりたくて、一度美容院で明るい色に染めようかと考えたことがある。
でも結局、『26歳にもなって似合わなかったらどうしよう』『浮いて笑われたらどうしよう』という恐怖が勝って、言い出せなかった。
『どうせ俺なんて』
それが、昔からの俺の口癖であり、逃げ道だった。
オーディションに合格して「MARCHING」の年長組として配属された時は、夢みたいだと思った。嬉しかった。ここから俺の大逆転ストーリーが始まるのだと思っていた。
でも、待っていたのは現実だった。
ヒカルさん、ヒロさん、カイ、チカの4人。
彼らはかつて、伝説のグループ『PartLove』として共に汗と涙を流してきた仲だ。
絶対的センターの退所、グループ解散という地獄を共に乗り越えてきた4人の間には、新参者の俺がどんなに逆立ちしても入れない、強固で美しい絆が存在している。
「ヒカルさん、さっきのフォーメーションだけど」
「あ、カイ! そこは俺がヒロと合わせるから、お前はチカと前に出て!」
彼らの会話を聞くたび、胸がキューッと締め付けられる。
遠慮して話しかけられない俺。頼りたいのに、「PartLove」の完成された輪を壊すのが怖くて一歩引いてしまう俺。
(26歳にもなって、年下に気を遣わせて……情けないよな)
同期のナカは、7歳も年下なのに度胸があって、自分の感情をストレートに出せる。
1つ後輩のエイタたちだって、ぶつかり合いながらもちゃんと自分の居場所を探している。
なのに、最年長組の端っこにいる俺だけが、誰にも頼れず、足を踏み出せずにいるんだ。
「……練習、しなきゃ」
その日の夜、一人で誰もいない第3レッスン室に入り、音源を流す。
鏡に向かって、何度も、何度もサビのステップを繰り返す。
ダダッ、ダン、タ──ッ。
「わっ……!」
また引っかかった。右足の重心移動がうまくできず、バランスを崩して膝から床に崩れ落ちる。
「なんで……なんで出来ないんだよ……っ」
床に突っ伏したまま、拳で床を叩く。
悔しさと、孤独感と、情けなさが一気に溢れ出してきた。
ヒカルさんやカイに「教えてください」と言えばいい。
でも、『そんなことも出来ないのか』と思われるのが怖くて、声が出ない。
頼れる仲間なんて、最初から俺には一人もいないんだ。
ポタポタと、床に静かな水滴が落ちていく。
「……っ、ふ……う」
一度溢れ出した涙は、もう止まらなかった。
誰もいない暗いレッスン室で、俺は声を押し殺して泣いた。
26歳にもなって。大の大人が、一人ぼっちで。
この涙を拭ってくれる仲間なんて、どこにもいなかった。
「……っ、ふぅ、う……ぁ」
床にしゃがみこんで、必死に涙を拭おうとするが、一度溢れた涙や情けなさは止まってくれなくて、しゃくりあげる声が静かな部屋に虚しく響く。
その時──ガチャリ、と重いドアが開いた。
「スマホ、スマホ……って、うわっ!?」
部屋に入ってきたのは、同期のナカだった。
ナカは明かりをつけた瞬間、床で涙と鼻水まみれになって座っている俺を見て、目と口を限界まで見開いた。
「コ、コウサン!? え、なんで泣いて……っ、いや、え!?」
「ひっ……!? な、ナカくん……っ!?」
完全に油断していた俺は、跳ね起きるように立ち上がろうとして、足をもつれさせて派手に派手に転んだ。
「あ、痛っ……うぅ、ご、ごめんねっ。 びっくりさせちゃって……っ、!」
両手で顔を覆い、必死に背中を向ける俺。
26歳の男が19歳の年下に号泣現場を見られるなんて、恥ずかしくて今すぐ消えてなくなりたかった。
ナカは気まずそうにバッグを握りしめている。
でも、根が面倒見のいいナカは、見捨てることもできずに恐る恐る歩み寄ってきた。
「な、なぁ……大丈夫かよ。怪我したんか? なんでそんな泣いて……」
「いやっ、怪我じゃなくてっ。だ、ダンスが、全然できなくて……。新曲、俺だけ遅れちゃうから……」
ぐす、と鼻を鳴らしながら答えると、ナカはぽかんと口を開けた。
「……は? ダンスが出来ないから泣いてんの? え、Seniorのメンバーに教えてもらえばいいじゃん。ヒカルさんとかカイくんとか、ダンスめちゃくちゃ上手いし」
その言葉に、胸の奥がギュっと締め付けられる。
「だ、だって……いや、そうなんだけどさ。ヒカルさんたちに迷惑かけらんないし……。
俺なんかが『教えて』なんて言って、『こんなことも出来ないのか』って呆れられたら、俺、もう立ち直れないし……」
溢れ出す弱音と一緒に、またポタポタと涙がこぼれ落ちる。
「うわあぁあ! 泣くなよ!?
俺、年上の男泣かせたとか思われたくないんだけど!?」
ナカはパニックになりながらも、慌てて俺の背中に手を添え、ポンポンと力任せになだめるようにさすってくれた。
「わかった! わかったから! 俺が教える! 俺が教えるからさぁ!」
「え……っ? ナカくんが……?」
「お、おう! 俺だってダンスは得意だし! 一緒に練習してやるから、とりあえず顔拭けよ! ほら!」
そう言って、ナカは自分のバッグからくしゃくしゃのタオルを突きつけてきた。
不器用で粗暴だけど、すごく温かい手。
ナヨナヨと泣く俺を、7歳も年下の同期が、一生懸命励ましてくれていた。
次の日、レッスン後の片付けを終えたメイのもとに、ナカがやってきた。
「メイくん、ちょっといい?」
「ん? ナカ、どうした?」
ナカは周りをチラチラと気にしながら、低く忍び声で言った。
「あのさ……コウのことなんだけど」
ナカから打ち明けられたのは独りでレッスン室で泣いていたコウのことだった。
「あいつ、マジでメンタル弱くてさ。『俺なんて』ってナヨナヨ泣くからビビったわ。でも……マジで一人で抱え込んでたみたいで」
ナカの話を聞きながら、俺は胸が締め付けられる思いだった。
26歳という年齢、芸歴の差という疎外感、そしてPartLoveという大きな壁。
(コウさん、ずっとそんな想いで……)
「ナカ、教えてくれてありがとう。何とかしてみるよ!」
俺は感謝を込めてナカの肩をバシバシと強く叩く。
ナカはなんとも言えないような表情をして、俺の肩を労わるように揉み出した。
「わっ、どったの急に」
「はぁ〜〜……。俺はメイくんが、なんでも抱え込みすぎないか心配だよ」
「???」
その後、楽屋に残っていた同期のカイとチカのもとへ向かった。
カイとチカとは入所からの友達だ。研修生のコンサートで期間限定ユニットを組んだこともある。
一時期は2人がPartLoveになったことで、もう二度と一緒には歌えないのかと残念に思っていたが、今こうやってまた同じグループを組めて本当に嬉しく思う。
「カイ、チカ。ちょっと話があるんだけど」
二人は不思議そうに顔を見合わせる。
俺はコウさんが一人で悩んでいたこと、そしてPartLoveの4人に気後れして声をかけられずにいたことを伝える。
「コウさんは、PartLoveのメンバーの輪に入っていくのが怖いみたい。……良かったらもっとコウさんに話しかけてやってくれない?頼むよ。」
俺の切実な訴えに、カイとチカは目を見開いた。
「……そっか。俺たち、普通に接してるつもりだったけど、そんな風に気を遣わせてたんだな……」
カイが申し訳なさそうに視線を落とす。
チカも眉をひそめて頷いた。
「確かに、コウって真面目だから不必要に遠慮しちゃってたのかも。……分かった、メイ。教えてくれてありがとう!」




