第2話 ①
ナカたちとの衝突を経て、ほんの少しだけレッスン室の空気が変わり始めた頃。
メイには、どうしても引っかかっている「もう一つの歪み」があった。
(……コウさん、またあそこにいる)
自主練習の合間、冷えたミネラルウォーターを飲みながらレッスン室の隅に視線を向ける。
パイプ椅子にポツンと腰掛け、真面目な顔でスマホの動画を見つめている黒髪の男。
追加メンバーとして「MARCHING」に加入した、コウだ。
26歳。
年齢で言えば最年長のヒカルやヒロに次ぐ上から3番目の年長組。
けれど、彼の周りだけいつもぽっかりと空間が空いていた。
部屋の反対側では、ヒカルとヒロが楽しそうに冗談を言い合い、カイやチカがそれに笑っていた。
MARCHINGの「顔」であり、グループの精神的支柱でもある年長組の4人。その輝かしい輪の中に、コウが入っていく姿を俺は一度も見たことがなかった。
「……なぁ、ナカ」
隣で欠伸を噛み殺しながらストレッチをしていたナカに寄って、小さく声をかける。
「ん? なァに、メイくん」
「コウさんのことなんだけどさ。……あの人、普段どんな感じ? ほら、一応お前ら同期だろ?」
そう、コウとナカは、同じタイミングで加入した同期にあたる。年齢はコウが7歳も上だが、グループ歴で言えば対等なはずだった。
ナカは首を傾げ、自販機で買ったスポーツドリンクのキャップをひねる。
「コウサン? ……うーん、正直よく分かんねえ」
「分かんねえって、同期だろ?」
「いや、同期だけどさ。あの人、いっつも『あ、ごめん』とか『俺なんか…』って感じで引いちゃうじゃん。喋りかけてもニコニコして『練習頑張ろうね』くらいしか返ってこないし。
悪い奴じゃないのは分かるけど、壁があるっつーか……何を考えてンのかサッパリ分からん」
ナカはペットボトルを口に含みながら、どこか気まずそうに視線を泳がせた。
「それにさ、年長組のあの空気感に入っていくの、普通に無理ゲーだろ。ヒカルさんたちって元々『PartLove』じゃん。俺たちみたいな後輩からしたら、あの4人の完成された世界に入るのって、めちゃくちゃ勇気要るんだよ」
「……あ」
「まあ、メイくんは仲のいい同期がいるから、あんまり感じたことないかもだけど。俺なら気まずくて泣いちゃうカモ」
ナカの言葉に、はっとした。
忘れていたわけじゃない。
カイ、チカ、ヒカル、ヒロの4人は、MARCHINGが結成される前、別の5人組ユニット──『PartLove』として活動していた。
圧倒的な人気とビジュアルで一世を風靡した、研修生だった俺たちの憧れのグループ。
だが、当時の絶対的センターだったメンバーが突然の脱退。
残された4人は解散を余儀なくされ、そこに新メンバーを大幅に増員して再立ち上げされたのが、現在の「MARCHING」なのだ。
4人にとって『PartLove』の挫折と歴史は、絆そのものであり、同時に俺たちにとっては触れづらい聖域でもある。
(Seniorとして同じ枠組みに括られてるけど、コウさんは……)
ナカの言う通りだった。
26歳という大人な年齢だからこそ、年下たちに弱音を吐くこともできず、かといって既に出来上がった4人の絆に割り込むこともできない。
コウさんは今、この大所帯の中で、誰よりも深い「孤立」の中にいるのかもしれない。
俺が複雑な思いでコウさんを見つめていると、彼の視線が一瞬こちらと交差した。
コウさんはハッとしたように肩を跳ねさせると、どこか申し訳なさそうな、ぎこちない苦笑いを浮かべて小さく頭を下げた。
そして、逃げるようにレッスン室の重い扉を開けて外へ出て行ってしまった。
(……コウさん)
手元に残されたナカの「何を考えてるのか分かんない」という言葉が、重く胸にのしかかる。




