第三話「喫茶セレニティ 中」
いやいやいやいやいや……。
どうやったらタントとベントレーを間違えられるのだろう。自動車であること以外の共通点を探す方が難しい。なんだか、中島さんのことが心配になってきた。
「タ《《ント》》とベ《《ント》》レー。確かに響きが酷似している」
ソファーに座っていた太宰は、そう言いながら朝刊を畳み、残りの紅茶を一気に飲み干すと、音もなく中島さんの向かいに腰を下ろした。「ねー、似てますよね」と、中島さんは身を乗り出す。
「ホストさんはベントレーがなくても、デートしてくれるんですか?」
ボクが尋ねると、中島さんの顔は途端に曇る。
「多分、無理だと思う。どうしよう、なんとかしなくちゃ」
「でも、実際に新車の購入を予定していたんじゃ──」ボクは言った。
「あれは、私の結婚資金に貯めていたお金で、どう頑張っても、国産の普通車を買うのが精一杯。あぁ、彼と結婚するための第一歩として、完璧な使い道だと思ったのになぁ~」
「レンタルはどうですか? 高級車専門のレンタカー会社が都内にありますよ。まあ、それなりの費用はしますけど」
ボクが提案すると、さっきまで伏し目がちだった中島さんの表情が、みるみる明るくなっていく。
「そうか、レンタカーを借りればいいんだ。それならなんとかなりそう」
「⋯⋯すぐにレンタカーだとバレると思う、『わ』ナンバーだから」太宰が、突然、割り込んでくる。
「車両の識別を容易にするため、1961年、当時の運輸省が、レンタカーのナンバーに平仮名の『わ』を割り当てることを義務化したんだ」
「え?」
ボクと中島さんは、思わず声を揃えて聞き返した。
「ちなみに、北海道と沖縄では『れ』も使われている。『わ』が足りなくなったのがその理由だが、一説によると、当時の北海道の職員が読み間違えて──」太宰はなおも続ける。
いや、そんな豆知識はどうでもいい。いま、そのディテールにこだわる必要がどこにあるのか。
すると、中島さんがつぶやく。
「じゃあ、私『《《よ》》』にする」
は? この人は何を言っているんだろう。ボクは中島さんの目を見つめた。⋯⋯どうやら本気らしい。
「素晴らしい! ナンバープレートを改ざんする方法はいくつかある。ただし、Nシステムの赤外線照射も突破するのなら、例えば──」太宰の話は止まらない。
長くなりそうなのでボクが遮る。
「ちょ、そんな説明はいりません。中島さん『よ』は駐留軍人用のもので、一般道ではめったに見かけない激レアのナンバーですよ」
「え、そうなの? ひょっとして、マスターは詳しい?」
「そうだ、山崎君はなぜ、そんなことを知っているんだい」
明らかに脱線しそうな話題には応えず、ボクは率直な疑問を中島さんにぶつけた。
「そんなことより、そもそも何で『よ』なんですか。一般的に使われている『ね』の方が『わ』に似てるから偽装するのも楽でしょう」
中島さんは、少しためらいがちに答える。
「だって、彼の源氏名が『《《YO》》SHIKI』だから⋯⋯」
人は本物の無垢を目の当たりにすると、何も言えなくなってしまうらしい。
「じゃあさ、お父さんがグアテマラ軍の最高司令官、ってことにしたらダメかな」
と、中島さん。…⋯なんだか頭痛がしてきた。グアテマラ産のコーヒーなら日本でも人気が高い。でも、軍隊は別だ。誓ってもいいが〝中米の火薬庫〟グアテマラの駐留軍は、日本にはいない。
太宰がやけに嬉しそうに、テーブルに肘をついて中島さんに詰め寄る。
「ほお、お父さんは、やはり陸軍ですか? 海軍? まさか空軍!?」
ボクは呆れながら太宰に聞く。
「あの太宰さん。さっきから細かいことばかり言ってるけど、それ、重要なんですか」
「重要に決まっている。奇天烈すぎる嘘は、逆に無条件で信用されるんだ。より学術的に言うと『真実バイアス』というんだが⋯⋯」
机上の空論のようにも聞こえるが、太宰が言うと真実味を帯びてくるから厄介だ。中島さんが絞り出すように答える。
「え、よくわかんない⋯⋯陸軍かな」
それを聞くと太宰は、満足そうにうなずいて言った。
「お父さんは、グアテマラ軍の陸軍最高司令官──。完璧だ!」
ボクは、学術的な話をする前に、太宰は、『完璧』という言葉の意味を辞書で調べた方がいい⋯⋯と思った。




