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第二話「喫茶セレニティ 上」

「おはよう」


 太宰はそう言うと、ティーカップを取って紅茶を淹れ始めた。ボクが作り置きしたポットのコーヒーには気がつかないみたいだ。壁の時計が午前十一時ちょうどを告げている。ランチに提供するツナサンドの仕込みで忙しいボクは、手を動かしたまま太宰に声をかける。


「太宰さん、おはようございます。もうお昼ですよ」


 太宰は眼を細くして小さくつぶやく。


「え、ホント? 参ったなぁ」


 ボクは朝の──とはいえ、もう昼に近いけれど──太宰を見るのが好きだ。まるで判を押すみたいに、太宰は毎朝決まった行動をする。この後、たっぷりのミルクを紅茶に注ぎ、カウンターに置かれた朝刊を左腋に挟み、窓際に並んで置かれた二脚のソファーまで歩いて行って、決まって右側の席に座り、朝刊を広げる……。と、思ったそばから太宰は、まさに、その通りの動きをトレースした。そして、紅茶を一口すすってこう言うはずだ。


「熱っ」


 この台詞までを太宰は、毎朝、寸分たがわぬ正確さで繰り返す。まるで、高性能ロボットみたいだ。


 ここは、西武新宿線、鷹の台駅に程近い玉川上水沿いにある「喫茶セレニティ」。ボクは山崎茜やまざきあかね。一応、この店の店主だ。高性能ロボットは居候の太宰杜羽だざいとば。数カ月前から、ある事件をきっかけに、ここの二階で一緒に暮らしている。ボクより五歳年上で、本人は自覚していないが、30代半ばの〝りっぱな〟中年男だ。


 ランチ前の来客はいつもまばらだ。この日もボクと太宰、そして中央のテーブル席に女性客が一人、スマホで誰かと話しているだけだった。

 太宰はティーカップを片手にじっと朝刊を眺めると、ある見出しに目を止めた。「玉川上水沿いの住宅地で異臭騒ぎ」。記事を読み終えると、太宰は、ポケットから赤いペンを取り出して記事を丸く囲んだ。

 突然、女性客の黄色い声が店内に響く。


「うん、必ず迎えにいくからね。じゃ、バイバ〜イ!」


 女性客は、いつもこの時間に一人で来店するお得意さんだ。会計時に決まって領収書を希望するからよく覚えている。名前は確か、中島美登里なかじまみどりさん。丸顔の少しぽっちゃりした体形に整った顔立ちで、どこか上品さを感じさせる。年齢は20代後半だろうか。ボクは仕込みの手を止めて声をかけることにした。


「中島さんですよね? ずいぶん楽しそうに話していましたね」


 一瞬、意外そうな表情を浮かべたが、中島さんはすぐに、目じりを下げて嬉しそうに答えた。


「うん、新宿の大人気ホストと、日曜に店外デートすることになったんです。絶対に無理だと思っていたから、どんな手段を使ってでもモノにしなきゃ!」


 中島さんは朗らかな口調で不穏なことを言う。ちょっと怖いから、ボクはそれを避けつつ話を続ける。


「それは凄いですね。どうやってお誘いしたんですか?」


「彼が車好きだっていう情報を入手して。それで、直接、彼に、どんな車が好きか聞いたんです。そしたら『ベントレー』だって……」


 なるほど、イギリスの高級車ベントレーなら、ホストが興味を持って当然だろう。


「だから、私、彼に聞いたんです。うちの自家用車はベントレーだから、それで迎えに行けばデートしてくれる? って。そしたら見事デートをゲットしちゃいました」


「え、中島さんの自家用車はベントレーなんですか!?」


「いいえ、うちのはカローラ。だから、デートまでに私が新車を買わなくちゃ」


 と、中島さんはこともなげだ。


「中島さんはお金持ちなんですね、ははは、羨ましい」


「でも、軽自動車だから、それほどでもないです」


「あ、ベントレーは軽自動車じゃなくて──」


 ボクの二の句を、窓際で朝刊を読んでいた太宰が紙面をめくりながら継いだ。


「……ベントレーは、安いやつでも家が買えるくらいしますよ」


「え?」


 中島さんは口を半開きにしたまま固まっている。


「あの、なんで国産の、しかも軽自動車がそんなに高いんですか?」


「ベントレーは外車です」


 ボクがそう伝えると、中島さんは驚愕の一言を放った。


「ベントレーって、軽自動車の『タント』のことじゃないの!?」

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