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第十一話「地球最後の夜 中」

 なにが「負けるはずないけどさ」だ。


 ボクは二階のクローゼットから、横瀬の言った〝しょうもないデッキ〟とやらをようやく探し出した。ケースを手に持つと、ずっしりとした重みが伝わってくる。十年以上しまいっぱなしだったが、ついさっきまで遊んでいたみたいに、何もかもが当時のままだ。フタを開けると、貪るように時間を過ごした子ども時代の淡い香りがした。


 デッキはそのままでも、ボクはもうあの頃とは違う。父も母もいなくなって、この家にいるのはいまやボク一人だ。足繁く通ってくれる常連たちのおかげで、なんとか踏みとどまれているが、それもいつまでもつのかわからなかった。

 あ、そういえば太宰がいた。あの人にもずいぶん支えられている。というか、太宰はなぜここで暮らすことになったのだろう。あれは確か……。


「おーい、茜。デッキあったか?」


 階下から横瀬の呼ぶ声がした。


「うん、あった。いま行く」


 立ち上がってクローゼットを閉じる瞬間、ふっと「早く店を締めなければ」という強い思いが沸く。まるで自分の内側から込み上げる懇願にも思えた。でも、ボクにはその正体を探る根拠がない。


 階段を降りていくと、横瀬はすっかりゲームの準備を整えて蒼井恋あおいこいと話をしていた。

 蒼井は太宰と妙に気が合うらしく、最近、よく顔を見せるようになった常連客の一人だ。きっちりしたグレーのパンツスーツ姿が、その職業を暗に語っていた。一番上のボタンを外したシャツの隙間からは、小さなルビーのネックレスが顔を覗かせている。


「懐かしいね。私、高校生のときによくやったよ、これ」


 蒼井はカードを手に取り、心地よい音を立ててシャッフルした。


「え、蒼井さん『地球最後の夜』知ってるんですか?」横瀬が尋ねる。


「大会にも出てたよ。元カレがめっちゃハマってて、よく対戦させられたなあ。結局、私の方が強くなっちゃってさあ……。彼、いまどうしてるかな」


「蒼井さん、この人ね、界隈では有名なサバイバーですよ」


 ボクはそう言って、横瀬を顎で差した。


「ん、横瀬……マジ!? あのヨコセ・ブリッツの?」


「はい。あのヨコセです」横瀬は真顔で答える。


 なんだこの会話。まあ、横瀬が嬉しそうでなによりだけど、なんだか三鷹のカードショップにいるみたいな気分だ。


「あのね、ヨコセ・ブリッツなんて偉そうに言ってるけどさ、所詮はただのラッシュ攻撃でしょ。ボクの『スタンズ』の敵じゃないです」


 ボクは横瀬の対面席に座ると、デッキを広げながら蒼井に言った。しかし、視線は横瀬に向けたままだ。


「……それは聞いたことないなあ。どんなの?」


 蒼井はボクに聞いたのだが、すかさず横瀬が答える。


「スタンズは、特殊効果を重ねまくって相手を行動不能にしたうえで、ずっと自分の手番を続けるという、しょうもない戦法のデッキっすよ」


 横瀬も視線はボクに向けたままだ。


「おー、いいね。それだとブリッツとの相性最悪じゃん、横瀬くん?」


 さすがに大会経験者だけあって蒼井はゲームに詳しい。

 横瀬は小学生の頃から抜群に強くて、ボクを含めた当時のカード仲間はまるで歯が立たなかった。うんざりしていた仲間は、なけなしのカードと知恵をみんなで持ち寄って、ただ横瀬をぎゃふんと言わせたい一心でデッキを組み、ボクに託した。それがスタンズだ。

 束の間の沈黙のあと、横瀬は言った。


「蒼井さん、ジャッジできますか?」


「いいよ。じゃあ、デッキちょうだい。チェックするから」蒼井は慣れた手つきでカードを確認すると、大会ルール、三ポイント先取と言い渡し「では、レッツ・サバイブ!」と叫んだ。


「レッツ・サバイブ!」


 これは『地球最後の夜』の公式が推奨するゲーム開始の合図だ。ボクたちは小学生の頃と同じように、人目も気にせずに叫んだ。来る日も来る日も、飽きもせずに唱えたお馴染みのフレーズだった。


 それを聞きつけて、別のテーブルで本を読んでいた白石と、洗い物を済ませた美花がテーブルに集まってきた。太宰は少し離れたいつもの席で、この光景をじっと見ている。


 先手はボクだ。デッキからカードを五枚引き、その中から「忘れられない歌」のカードを自分の場に置いた。次は横瀬の手番だ。横瀬も同様にカードを引いて「最後の缶ビール」のカードを場に置く。

 置かれたカードは、いわばお互いの軍隊だ。このゲームは、こうして自分軍を育て上げ、来るべき最終決戦を生き延びたプレイヤーが勝者となる。


「あぁこれ、アニキも昔やってた」


 美花が冷めた口調で白石に言う。


「初めて見ました。美花さん、ルールわかりますか?」


「わかんない。なんか『なんちゃら男』ってカードを出すと終わるんじゃなかったかな」


 美花が言うのは『最後まで立つ男(The Last Man Standing)』のことだ。お互いのデッキには必ずこのカードが入っている。これが場に出た時点で互いの軍隊ポイントを合計し、より高いプレイヤーが勝者となる。このシンプルなルールが当時の小学生を熱狂させたのだ。


 静かな立ち上がりだった。でも、ゲームのイニシアチブは確実にボクが握っていた。横瀬のカードを次々と封じ込め、軍を無力化する。その間に自軍を強化してワンサイドゲームに持ち込む……これが、小学生のボクたちが導いた横瀬への回答だ。

 

 勝敗はあっという間に決した。ボクが、返り血を浴びた男の描かれた『最後まで立つ男』を出したとき、横瀬の軍はなす術もなく沈黙していた。ポイントを計算するまでもなかった。蒼井は「山崎くんの勝利。一ポイント先取」と宣言した。


「くっそ、小学生んときの苦い思い出が蘇ってきた! 途中から茜に勝てなくなってさ、挽回しようとした頃にはブームが去ってて、もうお前、やってくんないんだもん」


「そりゃあ……これを中学までこじらせてたの、横瀬だけだかんね」


 ボクたちは一切合切を昨日のことのように笑い合った。蒼井は元カレとの思い出話を、美花は兄とした失敗談を、まるで淀んだ水面に降り積もる落ち葉のように、幾重にも重ねていった。

 そして、ひとしきり語り尽くすと、ボクはようやく白石がいないことに気づいた。


「あれ、白石さんは?」


 虚ろな記憶を絞り出して美花に尋ねる。しかし、その返事はさらにボクを困惑させた。


「白石さんって誰?」美花は笑顔だった。

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